57年前に地球を縦断したランドクルーザーFJ28VA 長い眠りから覚め再び動き出すまでの軌跡

今年もスポーツランドSUGOで開催された宮城トヨタモーターフェスティバルに、一際目立つピンク色のランドクルーザーが展示されていた。オーナーは今年で創刊120周年を迎える河北新報を発行する河北新報社。ルーフには<地球縦断「さくら」>と書かれている。聞けばこのイベントのために復元をしたという。驚いたことにエンジンがかかり、走る。さらに驚いたのは、57年前に北米大陸の北端近くから南米大陸の南端近くまで走破していたこと。しばらく社屋駐車場に眠っていたこのランドクルーザーFJ28VAが再び走ったことに興味津々だ。

型式:FJ28VA
全長:4,365mm/全幅:1,690mm/全高:1,860mm/ホイールベース:2,430mm/トレッド:前・1,390mm 後・1,350mm/最低地上高:210mm/車輛重量:1,800kg
さくら号の名にちなんでボディは桜色。

トヨタ=壊れないクルマを世界に広めたクルマ

ランドクルーザーの起源は、1951年までさかのぼる。当初は警察予備隊のために開発されたが、後に地方警察や林野庁など官公庁に採用される。しかし民間利用はほとんどなかった。そして1955年にランドクルーザーに初めて車名に20系と数字の型式が加わった。この20シリーズは当初B型エンジンとF型エンジンと2種類のエンジンを載せる車種があったが、1956年にはF型(直列6気筒3,878ccガソリン)エンジンに統一される。この頃から国内の民間用だけでなく、海外へも輸出されるようになった。頑丈なランドクルーザーは、特にアメリカで人気を博し、トヨタ車は丈夫だという信頼性の礎を築いた。そして1960年から24年に亘ってロングセラーとなる40系にバトンタッチするまで、5年の短い期間であったが、ランドクルーザーが今も持ち続けている信頼性、耐久性、悪路走破性の高さの根本となるシリーズだった。

世界初となる地球縦断の冒険行

昭和35年3月29日にアメリカ・アラスカ州のフェアバンクスを出発し、カナダ、アメリカ、メキシコと北米大陸を縦断。グァテマラ、エル・サルバドル、ホンジュラス、ニカラグア、コスタリカ、パナマと中米を通過し、コロンビア、エクアドル、ペルーを経て7月23日にチリのプエルトモントまで走破した。

アラスカからチリまで北米大陸から南米大陸を縦断

総走行距離32,212km、117日間に及ぶ冒険行は、世界初となる地球縦断ドライブを無事故で走破した。極寒のアラスカでは、寒さで油脂類が硬くなったり、シリンダー内が結露で湿ってしまうことがあり、エンジンの始動性が極端に悪くなる。高速走行を強いられるアメリカのハイウェイでは常にオーバーヒートを意識しながら走る必要がある。灼熱のメキシコでもそうだ。また渡河を余儀なくされる中米では、ボディ下部まで水に浸かってしまう状況でも前進しなければならない。高所のアンデス山脈を越えるときには、高所で酸素分圧が下がり、空燃比のバランスが崩れ混合比が濃くなってしまう。ペルーの大砂漠は、柔らかい砂に埋まらないように走ったり、小石をエンジンルームなどに巻き上げないように注意が必要だ。それもエンジンに電子制御などない57年前。道路状況もよくないどころか、未舗装路も多い。こんな過酷な環境のなか、4名の日本人が力を合わせ、プロジェクトを達成した。

ランクルを再び走らせたい。これがメカニックのプライド

そんな過酷なルートを走破し、日本に戻った後、いつしか社屋駐車場で眠っていたランドクルーザー。当初は、このイベントに展示をすることが目的だった。だから見た目をきれいにし、ブレーキ、パーキングブレーキが利くように修理するくらいを考えていた。担当することになったのは二人のメカニック。宮城トヨタでは、すでに初代クラウンやスポーツ800などをレストアした実績がある。そこでイベントまでに間に合う時間内に、できるだけのことをしてみようと復元が始まった。

  • 河北新報社から預かり、宮城トヨタへ到着したときの状態。埃をかぶっているものの、外観はひどくないように見える。しかし左右のフェンダー取り付け部は折れている
  • 車内は埃とオイルが床にへばりついている。錆も多い
  • ステアリングコラム取り付け部は破損していた。走破の激しさを物語っている
  • 各部に大量の泥が固着していた。本来浸入するはずのない燃料注入パイプ付近にも

ボディの復元を担当したのは千田達也さん。ボディなど部品をひとつひとつ外して、錆を丁寧に落としていく。「年数が経っているし、過酷な条件下で使われていたから、さすがにゆがみがあって。外せるところをできる限り外したのはいいのですが、果たして元に戻るか不安でした」と千田さんはいう。見えない箇所の錆だけでなく、現地で応急処置している場所も見つかり、やればやるほどやることが増える。しかしやり遂げるしかない。

  • ボディのフロント周りを外して作業を始める
  • ルーフの錆もかなり浸食が激しく穴が開きそうだ
  • ひどい錆を落としていく千田さん
  • 錆を落としたら下処理をして桜色の塗装をする

いっぽう、制動系とエンジンなど駆動系は小幡憲司さんが担当した。ゴム製部品は溶けて固着するだけでなく、油圧ホースの中まで流れ込んで固着していた。当時の部品などないから、同じ径、長さの代用品を探すのに苦労した。金属部はホース内を針金で少しずつトンネルを掘るように搔き出しながら汚れを取り除いていった。


エンジンはピストンとシリンダーが固着していてまったくクランクも動かない状態だった。
プラグを外して覗いてみると、真っ赤に錆びていた。新品のヘッドガスケットがないので、エンジンを分解することはあきらめて、プラグを外した穴から潤滑油を入れて一晩ほうっておいた。翌日クランクを回そうとすると、バキッと音がして5度くらい回った。これなら動くかもしれないとさらに2サイクル用エンジンオイルを濃いめにした混合ガソリンを入れてクランクを回してみると、360度回るようになった。バルブも固着していたので、潤滑油を塗布しながらハンマーで振動を与えたりして動くようになった。プラグ穴に指を当ててクランキングしてみると圧縮があるのが確認できたので、さらにバルブステムやシリンダーに潤滑油を塗布し、さらに一晩寝かせた。その翌日エンジンをかけてみたら、見事にかかった。幸いエンジンが焼き付きなどで動かなくなったわけではないので、固着を剥がし、各部を調整することでエンジンがかかるようになった。
「整備マニュアルとはかけ離れた修理の方法で直しましたが、本当、エンジンがかかってほっとしました」と小幡さん。現物と向き合い、エンジンやクラッチなど症状を確認しながら直していく職人技で難関を突破した。

外装部品で、フロントの右スモールランプレンズがなかったので、残った左側のレンズで型をとりハンドメイドで複製した。

  • エンジンは固着していた。ウォータージャケット内も錆で溢れかえっていた
  • サーモスタットも形なく、ハウジングも腐食していた
  • 外したブレーキ関係部品。分解できないほどゴムが溶けていた
  • バッテリー天面がひび割れするほど。もちろん機能する部品はない
  • 駆動系を担当した小幡さん。エンジンがかかり、冷却系、燃料系の組み付け作業中

こうしてFJ28VAは、長い眠りから覚め、息を吹き返した。千田さんは「とにかくこの昔のランクルには感心することばかりでとてもやりがいがありました。細部まで触れば触るほど、この時代から本当に頑丈にできていることがわかりました」と語る。いっぽう小幡さんは「このランクルを動くところまで直したことで、さらにランクルが好きになりました。エンジンがかかったときは、その気持ちも最高潮となりました」。

今回の復元を担当した小幡さん(右)と千田さん(左)。二人とも大のランクル好き

ランドクルーザーがもともと大好きだったから、動態保存できるよう直す熱意は誰よりもあった。数十年間もひっそりと置いてあったものが、修理してまた走り出す。ランドクルーザーの設計思想の高さにあらためて驚いた。

  • 見違えるようにきれいになったエンジンルーム
  • ホーシング、ショックアブソーバー、ラダーフレームもシャシーブラックできれいにした
  • 内装はシートこそ張り替えたが、できるだけ当時の雰囲気を残すため、きれいにした程度に留める
  • 敢えて細かい傷は直さない。使い込んだ道具といった雰囲気が伝わってくる
  • FJ28VAは3列シート仕様もあったが、積載性を優先し2列シートで荷室を大きくとっている
  • ウインチを搭載していたが、固着していた。これは敢えて直さずそのままにしている
  • ボディ左後にも、何かにぶつけて凹んだ痕があるが、これも走破が過酷だったことを伝えるため、現状のままにした

きれいに仕上がったFJ28VA

運転席からフロントウインドー越しに見えるランドクルーザー、FJクルーザーなど。このFJ20系から海外で信頼され、ランドクルーザーがグローバルカーになる祖であることに敬意を払っているかのように並んでいた。

せっかく走れるようになったFJ28VA、今後はいろんなイベントで観られる日が来るかもしれない

(テキスト:寺田昌弘)
(写真:寺田昌弘・宮城トヨタ)