トヨタ・パブリカ(1961年) ― トヨタ名車History
パブリカとはパブリックカーを意味する造語で、公募で選ばれた車名である。つまり、国民車ということだ。1961年、日本国民のクルマとなるべく発売されたのがこのモデルなのだ。
発想のもととなったのは、1955年に明るみに出た通産省の「国民車構想」である。「最高時速100km以上、乗車定員4名、1リッターの燃料で30km以上走れる、価格は1台25万円以下」などの条件を定め、安価で高性能な国産車を大量生産することでモータリゼーションを推進しようとしたのだ。実際に政策として打ち出されることはなかったが、トヨタはこの試案に応える姿勢を見せる。翌年に発表された試作モデルの1Aは、空冷水平対向の700ccエンジンを積んだFF車だった。
市販車として実際に登場したのは、5年後である。駆動方式はFRに変わっていたが、軽量なボディーにミニマムなエンジンを載せるというコンセプトは同じだった。軽量なフルモノコックボディーを採用し、28psの非力なエンジンでも最高速度110km/hを達成していた。合理的な設計思想は、当時としては非常に先進的なものだったと言っていい。
しかし、38万9000円という安さにもかかわらず販売は思わしくなかった。合理性は、高級感の欠如と受け止められたのである。前年に発売された三菱500も伸び悩んでいた。さらに安価な軽自動車とクラウンなどの高級車の中間に位置することは、商品力を高めなかった。高度経済成長に差しかかった時期の大衆は、すでに国民車を欲する段階を過ぎていたのだ。
1969年に登場した2代目は、コンセプトを大きく変えた。エンジンは1リッターが主力となり、メッキパーツを多く使って華やかさを演出した。国民車ではなく、若年層をターゲットにしたエントリーカーという位置づけになったのである。
1973年にはスポーティーな上級バージョンのパブリカ・スターレットが登場する。好評を博したこのシリーズは4ドアモデルを加えて独立し、1978年に2代目となったところで本家のパブリカは生産を終了した。
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