ゴルフという水準器(1974年)
よくわかる 自動車歴史館 第5話
ビートルを継ぐ難しさ
成功したプロジェクトの後を継ぐのは、どんな場合でも難しいものだろう。視聴率の高かったドラマの枠で新しい番組を作れば、確実に比較される。いくらいいものを作っても、なかなか受け入れてもらえないのが常だ。そのとびっきりスケールの大きいケースが、フォルクスワーゲン・ビートルの後継車づくりだった。累計生産台数が2000万台を超える名車の後釜となるモデルを作るのは、とてつもないプレッシャーだったに違いない。
ビートルは全世界でベストセラーになっていたとはいえ、製造が始まったのは1945年のことである。プロトタイプにまでさかのぼれば、設計されたのは第2次大戦前のことなのだ。1970年代にはさすがにすべてが古臭くなり、商品力を失っていた。フォルクスワーゲンも手をこまぬいていたわけではなく、新たなモデルの開発に取り組んでいた。1968年には空冷水平対向エンジンをそのまま使った411/412を発売したが、販売は伸びなかった。NSUによって開発された水冷フロントエンジンのK70を1970年にフォルクスワーゲンブランドで出したものの、これも不発だった。
1974年に登場したゴルフは、水冷の直列4気筒エンジンを横置きにして前輪を駆動するハッチバック車で、形は真四角だった。ビートルとの類似点を探すのは困難で、ほとんど対極にあると言ってもいいかもしれない。しかし、合理性と実用性という面から見れば、これが新時代のビートルだったのだ。またたく間に世界中でヒットし、他メーカーはゴルフを手本にして新型車の開発を進めるようになった。
簡素ながらも端正な力強さを持つデザインは、ジョルジェット・ジウジアーロの手によるものだ。コンパクトなボディーでも室内スペースは十分にとられていて、優れたパッケージングが広く支持された。モデルチェンジを重ねて今ではボディーが大きくなったが、初代ゴルフはとてもコンパクトで、現在のポロよりも小さかった。
原稿を書き直すほどの衝撃
「ぼくは人生であんなにすごいクルマを経験したことはそれまでなかったし、おそらく、もう将来もないんじゃないかと思う」 徳大寺有恒氏は、『ぼくの日本自動車史』の中でゴルフとの出会いについてそう書いている。その頃徳大寺氏は『間違いだらけの自動車選び』の原稿を書き上げたばかりだったが、ゴルフに衝撃を受けてすべて書き直したという。自動車を評価する基準が変わってしまったのだ。
ブレーキがよく利き、ハンドリングが良好で、燃費がいい。そういった基本性能が当時の国産車とはまるで違っていたと氏は書いている。『間違いだらけ~』はベストセラーになり、日本のクルマ好きに大きな影響を与えた。ゴルフは徳大寺氏を通じて日本人の自動車観を一変させたのである。1980年に発売された5代目のマツダ・ファミリアは大ヒットして初代カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したが、ゴルフのよさが認められていたからこそあのモデルが受け入れられたと言えるだろう。
ゴルフは乗用車のカテゴリーではCセグメントに属しているが、時に“ゴルフクラス”という用語も使われる。「味の素」のように、ジャンル全体を表す言葉ともなっているのだ。販売競争の激しいクラスで、欧州車ではメルセデス・ベンツAクラス、ルノー・メガーヌ、BMW1シリーズ、プジョー308など多士済々である。国産ではトヨタ・オーリス、マツダ・アクセラ、スバル・インプレッサなどが当てはまる。
それらのモデルの新型が発表されると、プレス資料にはゴルフと比較してどうかという形で性能が表現されていることがよくある。多くのモデルがあるにもかかわらず、比較の対象となるのは常にゴルフなのだ。自動車雑誌のインプレッション記事でも、新車を評価するのにやはりゴルフが引用される。どちらでも、ゴルフが水準器の役割を果たしているのだ。
7代目も基本性能重視
初代モデルの発売から40年を経ようとする今、ゴルフはモデルチェンジを繰り返して7代目となっている。基本的な成り立ちは変わらないが、ボディーは大きくなり、装備品は豪華になった。GTIと名付けられたスポーツモデルもあり、ゴルフファミリーにはミニバンも加わった。それでも、どのモデルを見てもひと目でゴルフとわかるようにアイデンティティーが保たれている。
すべてが拡大しているようだが、面白いことにエンジンだけは小さくなった。初代のベーシックモデルは1.5リッターのガソリンエンジンを搭載していたが、現行モデルには1.2リッターターボエンジンを採用したものもある。技術の進歩がダウンサイジングを可能にしたのだ。
7代目ゴルフは今までにもまして評判がよく、“傑作”と目されているようだ。自動車雑誌等のインプレッション記事を読むと、褒めている項目はどれも同じだ。加速がスムーズでハンドリングがシャープ、ボディーがしっかりしていて乗り心地がいい。スペースが広く、低燃費である。どれも、自動車の根幹をなす基本性能に関することばかりだ。新世代のターボや気筒休止システムといった新技術が取り入れられているものの、ゴルフの信頼感を支えているのは何よりもベーシックな部分なのだ。
ビートルは製造開始から約30年でゴルフに取って代わられたが、ゴルフはそれ以上の年月を経てもまだまだ生命力を失っていない。モデルチェンジのたびにゴルフを上回る新しいゴルフが生まれるので、いつまでも自動車の水準器であり続けているのだ。
1974年の出来事
topics 1
アメリカで5マイルバンパー装着義務付け
アメリカでは1967年に連邦自動車安全基準が制定され、車両安全を確保するためのルール作りが進んでいた。シートベルトの装備義務付けをはじめ、インストゥルメントパネルにエネルギー吸収素材を使うことなど、さまざまな規制が行われた。当然この基準は輸入車にも適用されるため、クリアしなければアメリカで販売することはできない。
1974年から新たに加えられたのが、「時速5マイル(約8km/h)以内での単独衝突において、ボディーにダメージを与えずにエネルギーを吸収し、また自身も復元する衝撃吸収装置を装備すること」という項目である。これによってクラシカルなメッキバンパーは使えなくなったのだ。
MGBなどは黒いウレタン製の大きなバンパーを装着しなくてはならなくなり、外観の印象がまったく違うものになってしまった。ビッグバンパーと呼ばれるポルシェ911も、この規制によって生まれた姿である。スポーツモデルの中にはこの変更によってオリジナルデザインが台無しになり、車重が増えた上に排ガス規制による出力低下が重なって動力性能も低下する例もあった。
現在のクルマは独立したバンパーを持たずにボディーと一体化させていることが多い。この時代のモデルは、何よりも巨大なバンパーが目を引いてしまう。美意識とはまったく違う要素が、この特徴的なスタイルを作ったのだ。
topics 2
ヒュンダイが初の独自開発車ポニーを発表
韓国の現代自動車は販売台数で世界5位となったが、会社が設立されたのは1967年と新しい。初期はフォード・コルチナのノックダウン生産を行っていて、その後三菱自動車と提携して技術導入を図った。韓国政府が1969年に、国内の自動車産業を100パーセント国産化するという計画を発表し、1974年に初の自国開発となるポニーが発表された。
ただ、プラットフォームは三菱ランサーをベースにしており、エンジンも三菱のサターンエンジンを使っていた。安価なこともあって海外への輸出も好調だったが、アメリカでは排出ガス規制をクリアできず販売は行われなかった。1986年になってエクセルと名前を変えた後継車がアメリカでも販売を始め、売り上げを伸ばして海外進出の基礎を築いた。
ポニーは低価格ということだけが人気を博した理由だったが、徐々にバリエーションを増やしてセダンのソナタやSUVのサンタフェなどが欧米で人気車種となっていった。北米やヨーロッパにとどまらず、インドや中国の市場にも進出し、2012年には世界で440万台を超える販売台数を達成した。
日本でも2001年に営業を開始したが販売は低迷し、2008年に登録されたのはわずか501台だった。これを受け、2009年に乗用車販売からの撤退が発表された。
topics 3
米ニクソン大統領、日本の田中角栄首相が辞任
リチャード・ニクソンは大統領としての1期目に、デタント(緊張緩和)政策の推進やベトナム戦争終結に向けた秘密交渉、電撃的な中国訪問などの実績を残した。外交手腕が評価されたこともあって1972年の再選選挙に圧勝し、盤石の基盤を築いたように見えた。
しかし、民主党オフィスへの盗聴事件に関わっていたことが発覚し、窮地に陥る。いわゆるウオーターゲート事件だ。CIAを使った捜査妨害があったことも明らかとなり、大統領弾劾法案が提出される事態に発展する。追い詰められたニクソンは、1974年8月に自ら辞任する道を選んだ。アメリカ憲政史上、任期途中で辞任した唯一の大統領である。
日本では“コンピューター付きブルドーザー”の異名を持つ田中角栄が『日本列島改造論』を引っさげて登場し、1972年に佐藤栄作に代わって首相に就任した。親しみやすい人柄から“庶民宰相”と呼ばれ、内閣支持率は70%に達した。
1974年に行われた参議院選挙では大敗し、自民党内で離反者が続出する。追い打ちをかけるように月刊誌『文藝春秋』で立花隆が金脈問題の追及を始め、支持率は急降下した。ついに内閣が総辞職に追い込まれ、クリーンを標榜(ひょうぼう)した三木内閣が発足したのだ。
首相退陣後にロッキード事件が発生し、受託収賄罪などの疑いで逮捕されてしまう。その後も隠然たる影響力を保っていたが、政治の中枢に戻ることはできなかった。
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[ガズ―編集部]
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