<自動車人物伝>エンツォ・フェラーリ(1951年)
よくわかる 自動車歴史館 第6話
“母”を殺し、息子を失う
1956年6月30日、エンツォ・フェラーリは最愛の息子が息を引き取るのをみとった。重い病に冒された長男のアルフレードは、死の床でも新しい6気筒エンジンの構想を語り続けた。彼の死後、それはディーノ206というミドシップ・スポーツカーとして現実のものとなる。“ディーノ”とは、フェラーリ家が代々長男につける名前アルフレードの愛称である。エンツォは、1909年にフェラーリ家の次男として生まれた。父は金属工場を経営していた。フェラーリという家名は、イタリア語で鉄を表す“ferro”に由来している。
息子を亡くす5年前、エンツォは“母”を失っている。
「私は母親を殺してしまった」
1951年のイギリスGPでエンツォの率いるスクーデリア・フェラーリは、それまで負け知らずだったアルファ・ロメオを破って初優勝した。自分がレース人生をスタートさせたチームを打ち倒したことを、彼はそう表現したのだ。
23歳の時、エンツォはテストドライバーとしてアルファ・ロメオで働き始めた。その後レースドライバーとなるが、華々しい活躍を残してはいない。当時、チームにはウーゴ・シヴォッチ、アントニオ・アスカリといった名ドライバーがいたのだ。彼が初優勝を果たしたのは、1923年6月にラヴェンナで行われたレースである。表彰式の後、一人の男が彼に話しかけた。第1次大戦中に34機の敵機を撃ち落とした英雄フランチェスコ・バラッカの父親だった。彼は息子が愛機に描いていたシンボルの跳ね馬(キャバリーノ・ランパンテ)を、意気盛んな若者に贈った。
レースで勝ち、スポーツカーを売る
1929年、エンツォは自らのレーシングチーム、スクーデリア・フェラーリを設立する。アルファ・ロメオのレース部門として活動を始めたのだ。天才技術者のヴィットリオ・ヤーノと“空飛ぶマントバ人”の異名を持つレーシングドライバーのタツィオ・ヌヴォラーリを擁し、勝利を重ねていく。1932年に妻のラウラとの間に息子のディーノが生まれて以後、エンツォは自らステアリングを握るのはやめてチームのマネジメントに専念する。
1930年代になると、ヒトラーがレースでの勝利を国民統合の手段として利用するようになり、巨額の費用をかけて無敵のチームを作り上げる。スクーデリア・フェラーリは名車P3で対抗するが、性能差は明らかだった。
1935年7月のドイツGPも、勝つのはドイツ勢だと誰もが思っていた。ニュルブルクリンクでは、予想通りブラウヒッチュが操るメルセデス・ベンツが圧倒的な速さを見せつけた。ヌヴォラーリは必死に追い上げ、ラストラップで30秒の差まで迫った。その時、奇跡が起きた。メルセデスのタイヤがバーストし、P3がチェッカーを受けたのだ。イタリア国民は熱狂し、フェラーリはイタリアの象徴となった。
戦争が終わり、エンツォは自動車製造会社としてフェラーリを再出発させる。第1号車となったのが、ヤーノの弟子であるジョアッキーノ・コロンボが設計したティーポ125だった。V12エンジンを搭載したスポーツカーで、イタリア国内のレースに出場して好成績を収めた。その後継車である166MMは、1949年に再開されたルマン24時間レースで優勝を飾る。ドライバーを務めたルイジ・キネッティは、戦争中にアメリカに亡命していた。かの地の自動車マーケットをつぶさに見ていた彼は、エンツォに市販スポーツカーを作って売るように進言していた。
キネッティの思惑通り、レースでの活躍で名声が広がるとアメリカの富裕層が競ってフェラーリの作るロードゴーイングカーを買い求めるようになる。レースで勝ち、そこで得られた経験を生かして作ったスポーツカーを販売するというサイクルが確立された。“母”であるアルファ・ロメオが戦前に行っていた手法を受け継いだのだ。
巨大企業との対決
レース活動の中でも、ルマン24時間レースは最大の挑戦だった。ここでの優勝は速さと耐久性を証明することになり、技術の高いメーカーの作る高性能車に人気が集まった。1949年の優勝はキネッティとセルスドン卿によるものだったが、1954年にはスクーデリア・フェラーリとして初優勝を果たす。1960年代に入るとフェラーリはルマンで無敵の存在となり、連勝を続けていた。このチームを打ち負かせば、大きな称賛を得られる。そう思うものは多かった。その中には、世界的な大メーカーもあった。アメリカのフォードである。
1963年、資金繰りに窮したフェラーリは資本の提携先を探していた。フォードが名乗りを上げて話し合いを進めたが、土壇場でエンツォはオファーを拒絶した。レースのマネジメントを主導することができないのなら、契約はできないというのである。直後にフェラーリとフィアットの交渉が明らかになり、フォードは自分たちは当て馬だったのではないかと疑った。アメリカの巨大企業は、イタリアの小さな自動車工房を打倒するために全力で立ち向かう決意を固めた。
フォードが用意したのは、ハイパワーなV8エンジンを搭載したミドシップマシンのGT40である。第1号車が完成したのは、1964年の4月、ルマンのわずか2カ月前だった。急ごしらえのマシンで勝てるほど、ルマンは簡単なレースではない。GT40はレースをフィニッシュすることさえできなかった。さらなるハイパワーを得るために、フォードは7リッターエンジンを持ち込む。1966年のルマンで、ついにフォードは1位から3位までを独占する勝利を成し遂げた。
エンツォは技術者ではなく、アジテーターだったといわれる。自らの思い描く速くて美しいクルマのビジョンを示し、優秀な才能が集まってそれを実現していく。ひとりの人間が独裁者として君臨することがフェラーリの強さだったが、時代は変わっていた。資本の力が何よりもものを言う状況が生まれていたのである。1969年、フェラーリはフィアットの傘下に入った。それでもエンツォは1988年に死去するまで、モータースポーツ部門を指揮して勝利を勝ち取っていった。今も作り続けられているフェラーリのロードゴーイングカーには、レースに注ぎ込まれたエンツォの魂が確かに受け継がれている。
1951年の出来事
topics 1
日本スポーツカークラブ(SCCJ)設立
現在はヒストリックカーの走行会などを開催している団体だが、設立時は違う目的を持っていた。1951年3月に進駐軍のメンバーが中心となって作られた組織で、日本人会員はわずかだった。
設立の翌月には、船橋競馬場で日米対抗自動車レースを開催している。その後も精力的にモータースポーツイベントを開催して、日本にさまざまな自動車競技を紹介した。9月には東京・京都間のロードレースを開催し、優勝タイムとして8時間43分という記録が残っている。12月に茂原飛行場でスポーツカーの3時間耐久レースを行い、川口のオートレース場でもレースを開催している。
1953年に一度消滅するが、1955年に今度は日本人が主体となって再建される。初代会長はミスターKこと片山豊氏だった。
topics 2
警察予備隊が3社の四輪駆動車の運用試験実施
敗戦によって日本では軍隊が解体されたが、1950年に自衛隊の前身となる警察予備隊が設置された。人員や物資を運ぶための四輪駆動車が必要となり、各自動車メーカーに開発が要請された。
それに応えてトヨタはSB型トラックのシャシーをもとにBJ型を試作する。これがランドクルーザーの原型となった。日産が開発したのは4W60型で、これはパトロールへと発展する。
実際に採用されたのは、中日本重工業(のちの三菱重工業)がノックダウン生産するウイリス・ジープだった。 駐留軍との協同関係を考えると、部品や整備の面でアドバンテージがあったからだ。アメリカは朝鮮戦争で使う車両を調達するため、ジープのノックダウン生産を求めていた。このモデルは民生用に作りかえられ、1998年まで製造された。
topics 3
<世相>サンフランシスコ平和条約締結
1951年4月、連合国軍総司令部(GHQ)の総司令官を務めていたマッカーサー元帥が解任された。朝鮮戦争をめぐってトルーマン大統領と対立したことが原因である。アメリカに帰るため東京国際空港に向かう際には、沿道で20万人を超える日本人が見送ったという。
占領行政の象徴だったマッカーサーが去り、9月にはサンフランシスコで連合国との平和条約が結ばれた。名実ともに戦争状態が終結し、日本は主権を取り戻したのである。同日アメリカとの安全保障条約も締結され、日本はアメリカの軍事的影響下に残ることになった。
朝鮮戦争特需で、繊維製品や食料などが米軍によって大量に買い付けられた。好景気は町中にも及び、焼け跡でビルの建設ラッシュが始まった。
【編集協力・素材提供】
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[ガズ―編集部]
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