孤高のロータリーエンジン(1967年)

よくわかる 自動車歴史館 第12話

回転運動の中で完結するエンジン

常に効率を求め、シンプルを旨とするのがエンジニアの習いだ。だから、往復運動と回転運動の共存というのは、本来は許容しがたいカオスということになる。しかし、カール・ベンツが初めて実用化したガソリン自動車はレシプロエンジンを採用していたし、後に続く者たちもそれを踏襲した。蒸気機関だってそうだったし、ディーゼルエンジンも形式としては同じだ。

マツダ・コスモスポーツ(1967年)
マツダ・コスモスポーツのL10A型ロータリーエンジン

回転運動の中ですべてを完結させようという試みは、幾度となく繰り返されてきた。イタリアのラメリーがロータリーピストン式の揚水ポンプを発明したのは、1588年のことである。1782年には、ワットがロータリー蒸気機関を考案するが、完成させることはできなかった。20世紀に入ってもさまざまな挑戦があったが、いずれも成功には至っていない。ほんとうの意味で実用的なロータリーエンジン車が誕生したのは、1967年である。それが、「マツダ・コスモスポーツ」だ。

新世代のロータリーエンジンを考案したのは、ドイツのフェリックス・ヴァンケル技師である。ヴァンケルはオートバイメーカーのNSUと共同でロータリーエンジンの研究を進め、1957年にDKM型を試作した。これはロータリーハウジング自体が回転するという複雑な機構で、実用化の困難なものだった。翌年、ハウジングが固定されたKKM型を完成させ、トルコロイド型ハウジングに三角おむすび型ローターを組み合わせたロータリーエンジンの原型が誕生した。

もともと自動車会社だったNSUは1957年に「プリンツ」で四輪自動車の製造に復帰するものの、まだまだ会社の規模は小さかった。この技術を自社だけで開発するのはリスクが大きいと判断し、ライセンス事業を展開する戦略をとった。1960年1月にはミュンヘンで大々的な発表会を開催し、革命的なエンジンの開発成功をアピールしたのだ。ちょうどレシプロエンジンの将来性に疑問が投げかけられていた時期で、世界中の自動車会社から強い関心を集めたのである。

知らされなかった“チャターマーク”

マツダR360

日本にもこの情報は伝えられ、マツダが一番に手を挙げた。トヨタや日産も興味を示したが、すでにレシプロエンジン車の生産・販売で実績を伸ばしていた両社が急いで新技術に飛びつく理由はなかったのだ。当時はまだ東洋工業という車名だったマツダには、切迫した事情があった。三輪トラックの製造で発展して広島の中核企業となっていたが、急激な経済成長で需要は四輪トラックや乗用車に移りつつあった。1960年に「R360」で乗用車市場への参入を果たしたものの、基盤を固めていたとはいえない。当時の通産省は過当競争を防ぐために新規参入を制限する構えをとっており、マツダは危機感を募らせていた。

池田勇人首相の力添えもあって交渉権を獲得し、松田恒次社長自らを団長とした調査団がドイツに渡った。ロータリーエンジンを搭載したプリンツに試乗すると、振動の少なさと卓越した加速性能を体感して、すぐにでも実用化できると確信した。技術提携のライセンス料は巨額で、輸出先が制限されるなどマツダにとって不利な契約だった。それでも、マツダはこのエンジンに会社の将来を賭けたのだ。

NSUから400ccのロータリーエンジンが届き、ベンチで試験運転を開始した。9000rpmという高回転から48.8psものパワーを生み出すことがテストで証明され、エンジニアは歓喜に湧いた。しかし、その喜びは短時間で暗転する。順調に回っていたエンジンが、突然停止してしまったのだ。分解してみると、ローターの頂点に装着されたシールが破損していた。ローターハウジングの内面には、“チャターマーク”と呼ばれる無数の引っかき傷が刻まれていたのである。

驚いてNSUに問い合わせると、この症状は以前から頻発しているという回答があった。ドイツで試乗したクルマは快調だったが、それはシール破損が起きる前だったからなのだ。耐久性はまったく確保されていない。そのことは、契約前には知らされていなかった。

ライセンシーからトップランナーへ

致命的な欠陥が明らかになり、ロータリーエンジンへの関心は急速に薄れていった。しかし、マツダは撤退するにはこの技術に多くを注ぎこみすぎていた。1963年に「ロータリーエンジン研究部」が設置され、問題解決に全力をつくすことになる。後に社長となる山本健一をトップとした47人の精鋭が集い、“四十七士”と呼ばれることになった。

マツダ・ファミリアロータリークーペ
マツダ・ルーチェロータリー
マツダ・サバンナRX-7

まずは、チャターマークとの戦いが最優先された。“悪魔の爪痕”と恐れられたローターハウジング内面の波状摩耗である。実験の結果、これはローターの頂点に装着されたアペックスシールの共振が原因であることが判明する。シールの材料にさまざまな素材を試し、この現象を抑えこむ方法を探った。鋳鉄製からクロム、牛の骨まで100種類以上の素材でテストが繰り返された。シールの形状も工夫され、内部に交差した穴を開ける“クロスホロー”タイプが有効であることがわかってきた。アルミニウムを染み込ませた高強度カーボンシールでチャターマークの発生を根絶したのは、3年後の1966年である。

ほかにも問題は山積していた。オイル消費が多く、排気管からは大量の白煙が上がった。低回転時にはエンジンがスムーズに回らなかった。燃焼室での火炎の伝播(でんぱ)に時間がかかりすぎた。それらの問題を一つ一つ解決して誕生したのが、マツダ独自のロータリーエンジンである。2ローターでサイドポート吸気、ハウジングには2本の点火プラグがあり、4バレルキャブレターを採用した。はじめはただのライセンシーメーカーだったが、マツダはロータリーエンジンの実用化を主導するトップランナーになっていた。

コスモスポーツが発売されたのは、1967年5月である。それに先立ち、「NSUスパイダー」が1964年に世に出ており、「Ro80」も発売された。ただ、どちらも耐久性の問題を完全に解決できておらず、短期間で市場から退場した。マツダはその後「ファミリアロータリークーペ」「ルーチェロータリー」と立て続けにニューモデルを発表し、ロータリーエンジン搭載モデルのラインナップを増やしていく。エンジニアの夢である“回転運動の中で完結する”エンジンを搭載したクルマを販売する唯一の自動車メーカーになったのだ。

輝かしい成功を手に入れたようだが、マツダはその後も試練の道を歩んだ。70年代に入ると排ガス問題が注目され、HCの排出軽減が大きな課題となった。さらに石油ショックで燃費の悪さがクローズアップされ、好調だったアメリカでの販売が急降下した。しかし再びマツダは困難な課題に挑み、「サバンナRX-7」の成功で喝采を浴びる。孤高な戦いだったからこそ、苦難を補って余りある栄光を手に入れたのだ。

1967年の出来事

topics 1

高価で高性能なトヨタ2000GT発売

高価で高性能なトヨタ2000GT発売

1963年に初開催された日本グランプリは、自動車メーカーの目をスポーツカーに向けさせた。レースでの好成績が市販車の販売増に結びつくことがわかったのである。消費者はクルマにスポーツイメージを求めるようになっていた。

プリンスはプロトタイプのR380でレースに挑んだが、トヨタは別の道を選んだ。高性能なロードゴーイングカーの開発である。トヨタ2000GTが1965年の東京モーターショーで発表され、翌年にはプロトタイプでレースに出場した。1967年の5月になって、販売が開始された。

ロングノーズのファストバックスタイルで、2リッターの直列6気筒DOHCエンジンを積む本格的なグランツーリスモだった。価格は238万円で、高級車クラウンの約2倍。まさに夢のクルマだった。

topics 2

ホンダN360がパワー競争に火をつける 

ホンダN360がパワー競争に火をつける

スバル360が発売されたのは1958年である。小さくても大人4人がゆったりと乗れる実用性が受けて、爆発的な人気となった。他メーカーも次々にニューモデルを発表し、軽自動車は日本のモータリゼーションの先兵となって売れ行きを伸ばしていった。

ホンダがN360を発売したのは1967年3月で、最後発ということになる。それだけに、ただものではなかった。最高出力は31psで、それまでトップだったスズキ・フロンテの25psをはるかに上回ったのである。最高速度は115km/hという軽自動車とは思えぬ高性能で、2年で25万台を売るヒット作となった。

これに刺激を受け、パワー競争がぼっ発する。ダイハツのフェローSS、スバルのスバル360ヤングSSなどが発売され、各社が高性能化を競い合った。

topics 3

四日市ぜんそく訴訟が始まる

四日市ぜんそく訴訟が始まる

高度経済成長は富をもたらしたが、次第にマイナスの面が露呈してきていた。公害問題である。1956年には熊本で水俣病が発生し、各地で工業排水による被害も多発していた。

三重県の四日市には大規模なコンビナートがあり、周辺地区で集団ぜんそく障害が起きていた。学術調査によって工場から排出される亜硫酸ガスや二酸化窒素が原因であることが明らかになり、損害賠償と対策を求めて住民が訴訟を起こしたのである。

津地方裁判所は1972年に大気汚染とぜんそくとの因果関係を認定し、企業に賠償を命じた。自動車の排ガスによる環境悪化も指摘されるようになってきており、70年代には排ガス浄化が自動車メーカーの大きな課題となった。

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[ガズー編集部]

MORIZO on the Road