わたしの自動車史(前編) ― 小沢コージ ―

小沢コージ(プロフィール)
神奈川県横浜市出身。自動車メーカー勤務を経て1990年に二玄社に入社し、自動車情報誌『NAVI』の編集に携わる。その後、1993年にフリーランスとして独立。現在は「バラエティ自動車ジャーナリスト」という肩書で、雑誌やインターネット、ラジオなど幅広いメディアで活躍している。愛車はロールス・ロイス・コーニッシュクーペ、ホンダ・エディックス、トヨタiQ。
初代カローラ
ランボルギーニ・カウンタック
初代トヨタ・ソアラ

ヘンな話、私は自分自身マニアだとはみじんも思っていない。同時に、実家には基本クルマはなかったし、マニアな親戚もいなかった。しかし、現在私はバラエティ自動車ジャーナリストなる名称で仕事をしていたりする。
ある意味、そここそが『カーグラフィック』の創刊編集長 小林彰太郎さんたちの時代とは違う最大のポイントであり、今は「サラリーマンの息子が普通に自動車ジャーナリストをやれる時代」なのだと思う。良くも悪くも、クルマは特別なモノではなくなったのだ。

私は横浜に生まれ、自宅にクルマは小学校3年生頃にたった1年しかなかった。それも確かカローラの中古で、ほぼ記憶にないし、しかも運転していたのは母だけだった。父は電気関係のエンジニアではあったが、メカには特別詳しくも興味もなく、家の電気器具を直したりもせず、自動車免許すら持っていなかった。
ただし妙にガンコで、免許がないのは実は自動車教習所でケンカしてきたから。「あんなやつに習ってられない!」という理由で教習所通いを途中でやめ、70歳を過ぎた現在も免許を持っていない。今でも「クルマと駐車場にお金使うくらいなら、毎日タクシー使った方がマシだし安い!」との昭和な持論を貫き通している。

一方、母はさすがに不便だと思ったのか、ギリギリ40代で免許を取って約1年乗り、危ないと気付いて売っぱらった。再び乗り始めたのは私と兄が免許を取ってクルマを買ったから。基本、クルマとは縁遠いウチだったのだ。

ここで、やっと本題の私こと小沢コージの話だが、ミニカーやプラモデルは好きだったし、戦車とかも好きだったが、執着心はさっぱりなく、周りの友達の方がよっぽどすごかった。小学校高学年の頃、タミヤのラジコンをペイントしたりタイヤを変えていたりしていた友達はいたが、それを「スゲェな!」と見てた方で、私自身は「BOXY」のボールペンで飛ばすスーパーカー消しゴムの底をクリアカラーで塗るようなこだわりも見せなかった。

ではなぜクルマに興味を持ったのか?それは、紛れもなくスーパーカーブームのせいである。クルマは普通に好きだが執着心がなかった少年に「スゲェ!」と思わせたのは問答無用にカウンタックであり、512BBだ。だが、実はそれ以上に私が興味を持ったのは、「クルマに興味をそそられる人間たち」だったのかもしれない。少年がスゲェといって夢中になる姿に興味がわき、それにつられていったのだ。そこには私が「クルマバカ」を追いかけていく原点があった。
しかもムーブメントは順調に続き、中学でいったん熱は冷めたが、高校でバイクブームが起こり、さらにハイソカーブームで2代目プレリュード初代ソアラが羨望(せんぼう)の的となり、これまた私に「クルマってなんなんだろう?」と思わせるきっかけとなった。

今になって確信するが、クルマの本質は麻薬的な部分なのだと思う。その姿はほぼ中毒患者に近い。もちろん、変な意味ではなく、ゴルフバカでもサッカーバカでもロックバカでも同じだが、クルマは決して道具などではない。人の中枢神経を直撃し、興奮させる劇薬なのだ。私はきっとそれを追い続け、解明していきたいだけなのだ。

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[ガズ―編集部]