エンブレムは語る ―キャデラック編―

クレストに宿る先駆者精神

キャデラックのエンブレムは、デトロイト市を作った人物、アントワーヌ・デ・ラ・モース・キャデラックの家紋を図案化したものだ。フランス人の冒険家であり軍人のアントワーヌ・キャデラックは、1683年から30年以上にわたってアメリカを開拓し、北は現在のメイン州やミシガン州から、南はアラバマ州、ルイジアナ州にいたる、広大な土地を探検した人物である。

一方、自動車メーカーとしてのキャデラックは、1902年にヘンリー・リーランドによって、キャデラック・モーターカンパニーとして興された。しかしながら、実はここには裏話がある。もともと、この会社はデトロイト・オートモビル・カンパニーとして1899年に設立されたものであり、その出資者の一人として、またチーフエンジニアとして名を連ねていたのが、何を隠そうヘンリー・フォードであったのだ。1901年にこの会社はヘンリーフォード・カンパニーと名を変えるのだが、意見の対立からフォードは会社を去り、自ら新たなフォード・モーターカンパニーを設立する。一方ヘンリーフォード・カンパニーは、リーランドによって新たにキャデラック・モーターカンパニーと名を変えてスタートするのだが、社名を決める際にリーランドは自らの名を冠することを固辞し、デトロイトを築き上げたキャデラックの名を冠することを提案したのだという。

今日のGMを築いた立役者で、長年にわたりGMのCEOとして手腕をふるったアルフレッド・スローンは、後に自らの著書『GMと共に』の中で、このデュラントとヘンリー・フォードを、「まれにみるビジョンと勇気、果敢な実行力と洞察力の持ち主であった」と評している。そして、両者の哲学が全く正反対であったことが、アメリカの自動車産業の発展に大きく貢献したことも、否定できない事実といえよう。1909年にキャデラックはGMに吸収合併されることになるが、リーランドは1917年までGMのキャデラック部門にとどまる。余談だが彼はGMを辞した後にリンカーン・モーターカンパニーを立ち上げるのだ。つまり、リーランドは現在アメリカに残る2つの高級車ブランドを築き上げた人物であったのだ。

1908年のキャデラックのエンブレムには「STANDARD OF THE WORLD」の文字が躍っており、そこには、当時キャデラックこそが時代の最先端を行く自動車を作っていたのだという自負が表れている。事実、その先進性は枚挙にいとまがない。例えば、アメリカで初めてクローズドボディーをまとったクルマを送り出したのはキャデラックであったし、1912年にはあまりにも有名なチャールズ・ケッタリングのスターターモーターや、ヘッドライトを導入。そしてV8エンジンの普及、さらにはV16エンジンの市販化を行ったのもキャデラックであった。意外なところでは、エンジンの低燃費化技術である可変気筒システムをいち早く導入したのも彼らである。

メカニズムだけではない。デザインの分野においても、1948年にテールフィンを最初に導入。このデザインは50年代になると世界的な流行を見せ、あのメルセデスでさえ、1959年にはテールフィンデザインを採用している。このように、常に世界のトレンドをリードし続けてきたのがキャデラックというブランドなのである。

(文=中村孝仁)

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[ガズ―編集部]