【ミュージアム探訪】トリノ自動車博物館(後編)

1941年フォード製ジープ。アメリカのクルマだが、ジープは欧州の自動車史に欠かせない存在なのだ。
「奇跡の経済成長」に伴い、イタリア人はレジャーに繰り出すようになる。こちらはフィアット600ムルティプラとスクーターのランブレッタ。
欧州にもヒッピー・カルチャーが到来。シトロエン2CVは、彼らの自己表現に最も適した車のひとつだった。
イタリアにゆかりのあるカーデザイナーを紹介するコーナー。開発に携わった作品だけでなく、各人の嗜好なども紹介されているのが興味深い。

トリノ自動車博物館(Mauto)は2011年、半世紀ぶりのリニューアルオープンが行われた。
多くの読者にとって興味深いのは、第2次大戦後の自動車とヨーロッパの人々の関わりを振り返るコーナーだろう。
まずは1941年のフォード製ジープ。「なぜイタリアで?」と思われる方も多いと思うが、連合軍による解放の歴史をもつイタリアにとって、実はこのアメリカ製多目的車は大切なマイルストーンなのである。
「ベルリンの壁」のセットの脇には検問所も再現され、当時の様子を伝える記録映像が上映されている。
そのあと一気に華やかになるのは、戦後「奇跡」といわれた経済成長を背景に、豊かになったイタリア人たちが余暇に繰り出し始めた時代を紹介するコーナーである。1965年のフィアット600ムルティプラがその主役として展示され、周囲にはラジオ、ピクニックセットなど、往年のヴァカンツァ(ヴァカンス)に使われたアイテムがちりばめられている。

参考までに、イタリアでは1955年のフィアット600、1957年のフィアット500が登場し、アウトストラーダ網が拡充するまで、農村部では隣街にさえ行ったことがないという人が珍しくなく、内陸には海を見たことがない人もたくさんいた。休みというと遠くの友人たちと集まり、夏は週末のたびに海へ遊びに行く今日のイタリアからは考えられない。そうした背景を知りながら展示を見ると、その感激はさらに大きくなるだろう。

そしてもうひとつ、魅力的なコーナーがある。1階に展開されている「自動車とデザイン」だ。
第2次大戦後の地元トリノを中心とする、さまざまなカロッツェリアによる展示作品の中には、1950年代に作られたものも多い。日本でいえば昭和20年~30年代である。その水準の高さからは、当時の日本メーカーがボディー製作やデザイン技術を学ぶべく、イタリアのカロッツェリアを競うように招聘(しょうへい)した理由がおのずとわかってくる。

一角には、イタリアゆかりのカーデザイナーを紹介したコーナーがある。特に面白いのは、彼らひとりひとりの初仕事、インスピレーションの源、出世作、憧れだったクルマ、そして尊敬する工業製品が紹介されていることだ。ちなみに、図らずも複数のデザイナーがリスペクトするクルマとして、シトロエンDSを挙げているのも興味深い。
紹介されているデザイナーには、アルファ・ロメオで156、147などを手がけ、現在ではフォルクスワーゲン・グループのデザインを統括するワルター・デ・シルヴァや、同じくフィアット出身で、クーペ・フィアットを手がけたあとBMWグループに移籍してデザイン・ダイレクターを務め、現在再びトリノを拠点に活動しているクリス・バングルといった、近年の巨星も含まれている。
新興国の自動車市場が活況を呈する今日、イタリア車というと、とかくフェラーリ、ランボルギーニといったエミリア・ロマーニャ地方のスーパーカーがイメージリーダーとして取り上げられる。
しかし、普通のイタリア人が愛したクルマたちを育てた、トリノという街の自動車文化の奥深さを知りたいなら、訪問先はこの“Mauto”をおいてほかにないだろう。

(文と写真=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)

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[ガズ―編集部]