【モータースポーツ大百科】F1(後編)

7度のドライバーズ・タイトルに輝いたミハエル・シューマッハー。ドイツ人初のF1王者でもある。
F1草創期の著名なドライバーであるファン-マヌエル・ファンジオ(写真中央)。アルファ・ロメオ、マセラティ、メルセデス、フェラーリとチームを渡り歩き、5度の年間王者に輝いた。
16回にわたりコンストラクターズ・チャンピオンシップを獲得しているフェラーリ。赤い車体色は「ナショナルカラー」が主流だった時代から受け継がれているもので、今やフェラーリのイメージカラーともなっている。
イギリスのウィリアムズは、マクラーレンともども他社からエンジン供給を受けてF1に参戦するコンストラクターの典型。1990年代にはルノー製のエンジンを得て黄金期を迎えた。
ホンダ製エンジンでの活躍が印象的なマクラーレンだが、1970年代には他のイギリスのコンストラクターと同様、コスワースDFVエンジンを採用していた。
1960年代後半から1980年代前半にかけて、多数のマシンに搭載されたフォード・コスワースDFVエンジン。F1では同エンジンを搭載したマシンが通算155勝をあげた。
スポンサーカラーとは、マシンのカラーリングにメインスポンサーが指定するデザインを採用すること、もしくはそのカラーリングをさす。ロータスは1968年のスペインGPより、マシンのデザインにスポンサーカラーを採用した。

「史上最高のF1ドライバーは誰か?」
イギリスの雑誌でときたま見かける特集だが、あえて客観的に順位をつけるとしたら、ワールドチャンピオンの獲得回数で判断するしかない。ちなみに、史上最も多くのF1タイトルを獲得したドライバーはご存じミハエル・シューマッハーで7回(1994~1995、2000~2004)。それ以前は、ファン-マヌエル・ファンジオの5回(1951、1954~1957)が最高で、この記録は永遠に破られないだろうと言われ続けてきた。それをシューマッハーが塗り替えることができたのは、彼自身の能力もさることながら、フェラーリの財政力と技術力、ジャン・トッドをはじめとする有能な首脳陣、そしてブリヂストン・タイヤの役割が大きかったように思う。同時期に戦ったわけでもないドライバーの優劣を比較するのは難しいのだ。

一方、1958年に創設されたコンストラクターズ・チャンピオンシップではフェラーリの16回がダントツのトップ。2位はウィリアムズの9回、3位はマクラーレンの8回で、これにロータスの6回を加えると合計39回となる。2013年までに授与されたコンストラクターズ・タイトルの数は46なので、このうちの約85%が上記4チームによって獲得された計算になる。F1でチャンピオンに輝いたことのあるチームはほんの一握りなのだ。
また「コンストラクター(製作者)」という言葉が示す通り、F1に参戦するチームは車体を自ら製作できる者でなければいけない。この規定は1980年代初頭に設けられたもので、すなわち現在F1に参戦しているチームはすべてマシンを自製していることになる。もっとも、自製する必要があるのはシャシーだけで、エンジンは含まれない。もしもエンジンまで含めれば、自動車メーカーでなければF1に参戦できなくなっていただろう。
実は、ここにあまり表立って指摘されないF1チーム間の“対立”がある。歴史的に見て、自動車メーカーとしての参戦はヨーロッパ大陸内のチームが多く、シャシー製造だけに集中するチームはイギリスに多かった。事実、前述したウィリアムズ、マクラーレン、ロータスはいずれもイギリス系チーム。これには1960年代から1970年代にかけて「コスワースDFVエンジンとヒューランドのギアボックスを買ってきて、あとは自分でアルミモノコック・シャシーを作ればF1に参戦できる」という時代が存在したことが、大きく影響しているのだろう。

F1を語るうえで、もうひとつ忘れるわけにはいかないのがお金の話だ。かつてF1チームは自国を象徴する色(ナショナルカラー)で車両をペイントするのがならわしだった。これを変えたのがロータスで、1968年にタバコのブランドであるゴールドリーフのロゴでボディー全体を彩ったのだ。これ以降、各チームはこぞってスポンサーカラーでボディーをペイントし、巨額の資金を手に入れるようになったのである。
また、1972年にF1チームのブラバムを買収したバーニー・エクレストンは、FOCA(フォーミュラ1コンストラクターズ・アソシエーション)のメンバーとなり、当時、誰もやりたがらなかった各国テレビ局やグランプリ主催者との交渉を担当。F1チームやFIAに大量の資金が流れ込む構図を作り出し、自らも巨万の富を築いた。彼がいなければ、F1がこれほど大規模なビジネスに成長していたかどうか、定かではない。

とはいえ、誕生から半世紀を過ぎたF1グランプリがいまも順調に成長を続けているかといえば、そうは言い切れない。一時期、エクレストンやFIAが積極的に推し進めた新興国への進出はおおむね失敗に終わったようで、相変わらず盛況なのはモナコ、イタリア、イギリス、そして日本などの“モータースポーツ熟成国”ばかり。2014年から環境を重視した車両規則が導入されたのも、自動車メーカーを味方につけることでF1グランプリの基盤をしっかりさせようという思いがあったことは想像に難くない。

果たして、F1グランプリはどこを目指していくべきなのだろうか?私には「環境問題と技術開発の両立を図りつつ、ファンや観客へのサービスにも丁寧に取り組んでいくこと」というごくありきたりな意見しか、残念ながら思い浮かべることができない。

(文=大谷達也)

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[ガズ―編集部]

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