【モータースポーツ大百科】世界ラリー選手権(後編)
整備された舗装コースだけを走るレーシングカーとは異なり、あらゆるリアルな道を走るラリーカーは、速さだけではなく、耐久性、信頼性、整備性などをバランスよく備える必要がある。それに対する合理的な答えは、要するに普段見かける普通の自動車ということ。また多少の例外はあるとはいえ、公道を走るからにはライトやワイパーなど最低限必要な装備は欠かせない。それゆえ昔からラリーは市販モデルに競技用の改造を施した車が主流だった。パワーだけでは勝てないという好例は、1964~65年、および67年にモンテカルロ・ラリーで総合優勝した(66年も1位フィニッシュしながら不可解な裁定で失格となった)BMCミニ・クーパーだろう。ラリーでは小よく大を制すが可能であり、それが魅力でもあった。
しかしながら、時代とともにラリー競技も自動車そのものも高速化していくにつれ、市販車を競技用に改造したラリーカーではどうしても無理が生じてくる。それならば、ラリーで勝つことを目的に市販車を開発すればいいのではないか、という逆転の発想から生まれた最初の例がランチア・ストラトスである。フェラーリ・ディーノ用V6エンジンをミドシップしたこの“パーパスビルドカー”は、WRC初年度のタイトルこそアルピーヌ・ルノーA110に奪われたが、その後はランチアのもくろみ通り1974~76年まで3連覇。さらに1977~78年は親会社フィアットが連覇、トリノのチームがWRCを席巻した。
1980年代に入るとWRCは大きなターニングポイントを迎える。それまで極端なオフロード用と見なされていたフルタイム4WDシステムを、高速全天候型としてWRCに持ち込んだアウディ・クワトロ、そして車両規則の見直しで生まれたグループBカーの登場である。ラリーの新しい時代の扉を開いたアウディ・クワトロがきっかけとなり、車両開発は一気に加速する。グループBカーは量産型をベースにするというよりは、特別なマシンをある程度量産(連続した一年間に200台の生産義務あり)すれば、それをさらに改造したラリーカーで参戦可能という、いわばパーパスビルドカーのアイデアを徹底的に追求したルールである。それによってWRCではランチア・ラリーやプジョー205ターボ16、ルノー5ターボ、フォードRS200、そしてランチア・デルタS4など百花繚乱(りょうらん)のモンスターマシンが覇を競うことになった。
グループBカーによるWRCは大物量作戦の時代でもあった。トップレベルの競技であるからにはその内容がエスカレートしていくのは自明の理。予算が潤沢なチームは、あらゆる部分に手を尽くして勝利を得ようとする。つまり大量のスペアパーツ(ターボやタイヤの使用制限はなかった)を用意し、サービスポイントを増やし(現在は修理や部品交換ができる場所は限られている)、偵察用の車両やヘリコプター、航空機を投入するなど、まるで侵攻作戦のような様相を呈していた。ただし、激烈化する戦いは犠牲を生む。致命的な事故が相次いだことを受けて、1986年いっぱいでグループBマシンはWRCから締め出され、翌年からはずっと市販モデルに近いグループAカーによる選手権がスタートした。
このレギュレーション変更をきっかけに台頭するのが日本車である。グループA時代になってもランチアは強く、初年度1987年から1992年まで6年連続でマニュファクチュアラーズタイトルを制したほどだが、それまでサファリ・ラリーなど単発のイベントでの活躍にとどまっていた日本勢が次々にWRCへの挑戦を開始。急速にランチアを追い上げ始めた。まず、1988年シーズン半ばからセリカGT-FOURを投入したトヨタが、本格的にチャンピオンシップへの挑戦を開始。それに続いて三菱とスバルもWRCへ参入した。当初は常勝ランチアに歯が立たなかったが、その勢いに陰りが見え始めた1990年にトヨタのカルロス・サインツがドライバーズタイトルを獲得、93年にトヨタはついに日本メーカーとしては初めて念願のマニュファクチュアラーズタイトルを勝ち取った(94年も連覇)。さらに1995~97年はスバル、98年は三菱、99年は再びトヨタがチャンピオンとなった。
1990年代のWRCは日本の4WDラリーカーの独擅場と言えたが、21世紀を目前に導入された新しいルールによってまたもその勢力図は大きく変化する。それまでのグループAカーは5000台(後に2500台に引き下げ)の生産義務を持つ市販モデルがベース車であり、根本的なメカニズムの変更は禁止。したがって4WDターボの市販モデルがなければ事実上WRCで優勝争いはできなかった。それに対して“ワールドラリーカー”と呼ばれる新規定ではより大幅な改造が認められ、市販車にはないターボエンジンや4WDシステムも搭載可能となった。巨大メーカー以外のマニュファクチュアラーの参戦を促そうという狙いだが、結果的にフォードやプジョーが新型車を投入、ちょうど日本勢が相次いで撤退したこともあり、21世紀は再びヨーロッパ・メーカーが覇権をかけて争う時代となった。2000~2002年はプジョーがタイトルを獲得、2003~2005年はシトロエン、2006~2007年はフォード、そして2008~2012年は再びシトロエンが連覇という具合である。特にシトロエンのセバスチャン・ローブは2004年から2012年まで9年連続でドライバーズタイトルを独占するという古今無双の記録を打ち立てた。
2013年は、新たに参入したフォルクスワーゲンがいきなりチャンピオンとなったが、有力なライバルはフォードぐらいで、世界選手権としてはやや寂しい状況となっている。FIAとしては参加チームを増やし、新規イベントを加えて開催国も増やしたい意向だが、参加するマニュファクチュアラー側は当然ながら過大な参加コストを避けたうえで自分たちのビジネスに適切に活用したいと考えており、長い間両者の綱引きが続いている。これまでテレビ放映の都合を優先して各ラリーの標準化を進めて来たFIAも、最近ではコース距離など一部ルールを見直しつつある。しかし、F1同様視聴率アップ、観客数増加を狙った安易なルール改正もいまだ少なくない。世界中で開催するのなら、それぞれの個性を尊重すべきである。参加車両も開催場所も競技の中身も、多様性こそWRCの最大の魅力であるからだ。
(文=高平高輝)
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[ガズ―編集部]
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