【技術革新の足跡】EV――電池を革新せよ(2006年)
よくわかる 自動車歴史館 第82話
軽自動車をベースに作られたi-MiEV
2006年1月24日、三菱から風変わりな軽自動車がデビューした。i(アイ)というシンプルな名前を持つこのモデルは、コンセプトカーそのままのようなワンモーションスタイルをまとっていた。外見以上にユニークだったのがメカニズムである。後席のすぐ下にエンジンを横置きするリアミドシップの構成を採用していたのだ。これによって例外的に長いホイールベースをとることができ、スペース効率が向上した。独特な意匠も、通常のFF方式では実現できなかったものだ。
iにはもう一つの秘密があった。この年の10月11日、三菱はiをベースとした電気自動車(EV)の研究車両i MiEV(アイミーブ)を製作し、電力会社と共同研究を実施することを発表する。iはリアミドシップのレイアウトにより、ほとんど車体構造を変えることなくEVにコンバートすることができたのだ。エンジンのあった場所にモーターとインバーターを置き、車両中央の床下に電池を収めるという方法だ。
2009年に登場した市販型のi-MiEVは、ガソリン車と見た目では区別がつかなかった。大きく異なっていたのは価格である。iのベースグレードが100万円強だったのに対し、i-MiEVは459万9000円というプライスタグが付けられていたのだ。最初は官公庁や企業向けに絞った販売で、翌年4月に個人ユーザー向けの販売が開始された際には、398万円まで値下げされていた。国から114万円のEV補助金が給付されるので実質負担額は284万円だが、それでも気軽に買える価格ではない。
翌年になると、日産がリーフを発売する。三菱に加えて大メーカーの日産がEVに注力することが明らかになり、ガソリン車からEVへの転換がすみやかに進むという観測が広がった。アメリカでは2008年にテスラモーターズが最初のモデルであるロードスターを発売し、富裕層に人気となっていた。中国では安価な簡易EVを組み立てる工場が乱立し、その中から大規模な企業に発展するケースも生まれていた。マスメディアでは、自動車の世界で大変動が起きていることが強調され、EVに投資して開発を急ぐようにあおり立てる論調も多かった。
鉛蓄電池の発明で電気自動車が生まれた
次世代車として電気自動車がクローズアップされたのは、電池の性能が飛躍的に向上したからだ。電気自動車の歴史は古く、20世紀初頭にはガソリンと電池が動力の本命の座を争っていた。勝負を分けたのは、エネルギー密度の差である。ガソリンはタンクに貯蔵することが容易で、長時間の走行が可能だった。電池は重くて場所をとるわりには航続距離が短い。1920年代に入るころには、ガソリン自動車の覇権が確立していた。
そもそも電池とは、化学反応を使って電流を取り出す装置のことで、一次電池と二次電池の区別がある。一次電池は一度だけの使用を前提としたもので、家電製品などに用いる乾電池が代表的な存在だ。充電池とも呼ばれる二次電池は、使った後に再び電気を蓄えることができ、繰り返し使える。現在ではエコの視点から乾電池型の二次電池の普及が進んでいる。
世界初の電池とされているのは、1800年にアレッサンドロ・ボルタが作ったボルタ電池である。彼はガルヴァーニが発見した「動物電気」を物理現象ととらえ再現を試みるうちに、希硫酸の中に亜鉛と銅の電極を入れて電流を発生させることに成功した。世界初の二次電池は、1859年にガストン・プランテが作った鉛蓄電池である。二酸化鉛と鉛の電極にセパレーターを挟んで筒状に巻き、希硫酸に浸したものだ。現在自動車の電源に使われているバッテリーも、原理的には同じものである。プランテの発明は、100年以上蓄電池の主流であり続けているわけだ。
初期の電気自動車で動力に使われたのは、この鉛蓄電池だった。手に入りやすい材料で作ることができるので、製造するにあたってのハードルは低かった。ただ、現在の自動車用バッテリーを見てもわかるとおり、鉛蓄電池は非常に重い。動力として用いるには大量に積み込まねばならず、自動車自体の重量が増加してしまう。給油すればいくらでも走行できるガソリン自動車に駆逐されてしまったのも無理はなかった。
電池の研究は続けられ、1960年代になるとニッケルカドミウム電池が登場してホビーや電化製品で使われるようになる。1990年にはニッケル水素電池が日本で実用化され、二次電池の普及が加速した。デジタルカメラやノートパソコンなどに広く用いられ、環境意識の高まりを受けて乾電池型の製品も売れ行きを伸ばした。ニッケルカドミウム電池よりはるかに電気容量が大きいので使い勝手がよく、有害なカドミウムを原料としないことが安心感を高めた。
ニッケル水素電池は、自動車用途でも活躍することになる。充電容量が大きく、安全性が高いことから動力源として使うのに都合がよかった。トヨタ・プリウスのハイブリッドシステムには、ニッケル水素電池が使用されている。しかし、EVにはさらに高い性能の電池が必要だとされていた。要求を満たすと考えられたのが、リチウムイオン電池である。
エネルギー密度が高いリチウムイオン電池
リチウムイオン電池は、ニッケル水素電池が実用化された翌年の1991年に、やはり日本で実用化されている。高性能なニッケル水素電池と比べても、エネルギー密度が高く自己放電が少ないという長所がある。継ぎ足し充電の際に電圧降下を起こしてしまう「メモリー効果」がないことも、二次電池としては重要な利点だ。
鉛蓄電池のエネルギー密度は35Wh/kg程度が限界で、ニッケル水素電池は60Wh/kgほどの容量だ。リチウムイオン電池は120Wh/kgとはるかに高いポテンシャルを持っていて、できるだけ電池をコンパクトにすることが求められるEVには最も適している。
それでもハイブリッド車(HV)でニッケル水素電池が採用されているのは、EVほど要求性能がシビアではないからだ。コスト面でも、リチウムイオン電池はまだまだ高価である。そして、リチウムイオン電池の最大の問題点は安全性にあった。2006年に携帯電話やノートパソコンの電池が過熱し、変形したり発火したりする事故が相次いだ。製造過程で微小金属片が混入し、ショートして異常発熱を起こしたと考えられる。エネルギー密度が高いということは、危険性も相応に高まることを意味している。
EVには大量の電池が搭載されるため、もしこのような事故が発生すれば重大な結果を招くことにもなりかねない。自動車メーカーにとっては、リチウムイオン電池の安全性確保が最優先課題となった。2011年には中国のBYD社製とアメリカのフィスカー社製のEVが炎上事故を起こしている。テスラと並ぶ新世代自動車メーカーとして期待が集まっていたフィスカー社は、この事故の影響もあって経営破綻に至った。
三菱はGSユアサ、三菱商事と合同で設立したリチウムエナジージャパンでEV用のバッテリーを開発した。i-MiEVに搭載したリチウムイオン電池は、1セルあたり3.7V/50Ahのバッテリーを計88セル直列に接続することで、総電圧330V、総電力量16kWhを確保している。異なるアプローチを試みたのは、ベンチャー企業のテスラモーターズである。ノートパソコンに使われる汎用(はんよう)リチウムイオン電池を大量に積みこむことで、十分な駆動力を確保する方法を採用した。テスラのモデルSは最長500km近い航続距離を実現しているが、高価な電池をふんだんに使うのだから必然的に車両価格も高くなった。
電池の性能が爆発的に改善されることはなく、価格の低下も進まなかった。i-MiEVやリーフは一日約60kmといわれる日常的な移動には差し支えないが、長距離の旅行には不安が大きい。充電インフラは充実してきたものの、ガソリンスタンドの利便性と比べるとまだまだなのだ。そこで浮上したのが、プラグインハイブリッド車(PHV)である。HVより電池を多く積んでおり、家庭で充電することで通常はEVとして使用する。エンジンも搭載しているので、電池が切れても走り続けることができ、発電することも可能だ。トヨタからプリウスPHV、三菱からアウトランダーPHEVが発売された。どちらもバッテリーにはリチウムイオン電池を採用している。
2014年末にトヨタから燃料電池車(FCV)のMIRAI(ミライ)が発売され、次世代車をめぐる開発競争は混沌(こんとん)としてきた。FCVには水素の輸送・貯蔵が難しいという弱点があるが、EVも航続距離の問題を抱えている。リチウムイオン電池やニッケル水素電池の性能向上を図る研究が続けられているのはもちろん、固体電解質を用いた全個体電池や、空気中の酸素を正極側活物質として利用するリチウム空気電池、カルシウムイオン電池など、新たな種類の電池を開発する動きもある。電池の代わりにキャパシタの可能性を探る研究もある。ワイヤレス給電を実用化することで、電池の性能に頼らず航続距離を伸ばす方法も模索されている。EVが次世代車としてトップを走るためには、さらに革新的なテクノロジーを生む努力が欠かせない。
2006年の出来事
topics 1
皇室御料車がセンチュリーに交代
馬車に代わって導入された皇室の御料車には、長らく欧米の大型高級車が採用されていた。1965年に初の国産御料車の開発を依頼されたのは、プリンス自動車である。6.4リッターのV8エンジンを搭載するリムジンを製造し、1967年に納入した。
1966年に日産がプリンスを吸収合併していたため、名称は日産プリンスロイヤルとなった。合計7台が製造されている。昭和・平成の2世代を通じて使われてきたが、次第に経年劣化が進み、補修不可能な部分も現れてきた。
2004年、日産は宮内庁にプリンスロイヤルの使用中止を申し入れる。故障の懸念を解消することは難しいと判断したのだ。新たな御料車を製造することになったのは、トヨタである。センチュリーをベースに、特別なリムジンを作り上げた。
エンジンは5リッターV12で、内装には御影石や天然木などがふんだんに使われている。価格は標準車で5250万円、防弾仕様の特装車で9450万円である。2006年に合計4台が納入された。
topics 2
第1回WBCで日本が優勝
サッカーでは4年ごとにワールドカップが開催され、各国の代表が世界一を争う。野球では、ワールドカップに相当する大会は行われてこなかった。アメリカ国内の大会であるメジャーリーグの優勝決定戦がワールドシリーズと呼ばれていた。
メジャーリーグ選抜チームがシーズン後に日本を訪れてプロ野球チームと親善試合を行うイベントは行われていたが、公式に世界一を争うわけではなかった。2005年、メジャーリーグは世界大会を創設することを発表する。
名称はワールド・ベースボール・クラシックで、主催するのはメジャーリーグである。一方的な開催通告と利益配分の不透明性に反発し、日本は参加を保留する。しかし、メジャー側は参加するよう圧力をかけ、最終的に日本も参加することになった。
アメリカの優勝が確実視されていたが、第2ラウンドで敗退してしまう。決勝は日本とキューバで争われ、王監督の率いる日本代表が初代WBC王者となった。
topics 3
荒川静香がイナバウアーで金メダル
2006年に行われたトリノオリンピックでは、日本代表が大不振に見舞われた。スピードスケートやスキージャンプなどの得意種目でもメダルが取れず、期待が大きかったスノーボードも惨敗だった。
唯一の希望は、女子フィギュアスケートだった。日本は荒川静香、村主章枝、安藤美姫の3人が参加した。荒川はショートプログラムで3位につけ、サーシャ・コーエン、イリーナ・スルツカヤと優勝を争うことになった。
フリーでも荒川はほぼ完璧な演技を見せ、自己最高得点をマークして金メダルを獲得する。これがトリノ大会での日本人唯一のメダルだった。
両足のトゥを外側に開いて上半身を大きく反らしながら滑るイナバウアーが彼女の得意技で、流行語となった。正しくはレイバックイナバウアーで、1950年代のドイツ選手イナ・バウアーに由来する名称である。
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[ガズ―編集部]
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