【モータースポーツ大百科】ル・マン24時間耐久レース(中編)

ル・マン24時間耐久レースの初開催は、前編で述べたとおり1923年。この年は18メーカーの計33台が出走し、3リッターエンジン搭載のシュナール・エ・ワルケルに乗るラガシェとレオナールが優勝した。24時間の平均速度は92.064km/hで、総走行距離は2209.536kmだった。実は、フランスのシュナール・エ・ワルケルはイギリスからやってきたベントレーにスピードの点で勝ててはいなかったのだが、この年のベントレーは信頼性が低かったために“地元”のシュナール・エ・ワルケルに軍配が挙がったのだ。もっとも、18メーカーのうち16メーカーがフランスのメーカーで、残りはイギリス(ベントレー)とベルギーが各1社ずつだったというので、フランス車の優勝は最初から約束されたも同然だったといえる。

第1回ル・マン24時間耐久レースで優勝した、フランスのシュナール・エ・ワルケル。

翌年からはこのベントレーが1930年までの7年間で4勝を挙げてひと時代を築いたものの、経営難に陥って戦線縮小。これに代わって大規模なワークスチームをル・マンに送り込んだのがアルファ・ロメオとブガッティで、アルファは1931年から4連勝、ブガッティは1937年と1939年に1勝ずつを挙げている。

1940〜1948年までは第2次世界大戦の影響でレース自体が開催されなかったが、再開初年度の1949年にはまだ誕生間もないフェラーリが記念すべき初優勝を遂げた。ちなみにフェラーリは1965年までに計9勝を挙げたものの、現在はF1に活動の軸足を移しているため、彼らがこの記録を更新することは恐らくないだろう。1950年代の覇者はジャガーで、1951年から1957年までに計5勝を獲得。この間、敗れたのは1952年(メルセデス・ベンツ)と1954年(フェラーリ)の2回だけだ。

1951年に優勝したジャガーXK120C、通称Cタイプ。同車は1953年にもル・マン優勝を果たしている。

1960年代にはフェラーリが黄金期を迎えるが、これに対抗したのがフォードだ。フェラーリを買収する交渉が決裂したことに怒ったヘンリー・フォードが、フェラーリを倒すためにGT40を開発。1966年から4年連続でル・マン24時間を制したことはあまりにも有名な逸話である。

1962年に優勝した、フィル・ヒル/オリビエ・ジャンドビアン組のフェラーリ330 TRI/LM。1960年代に入ると、フェラーリはフォードに敗れるまでにル・マンを6連覇している。

この直後、1970年に初の総合優勝を果たしたのがポルシェである。ポルシェのル・マン初参戦は1951年だが、このときエントリーしたのは排気量1.1リッターのエンジンを積む356で、これ以降も小排気量車での参戦が続いたため、総合優勝は望めなかった。しかし、1969年に排気量4.5リッターの12気筒エンジンを積む917を開発して初めて総合優勝を狙える態勢を整えると、この917でまずは1970年と1971年に2連勝。続いて936で2勝(1976年と1977年)、935で1勝(1979年)、936/81で1勝(1981年)と着実に勝ち星を挙げていく。さらにグループC時代が幕を開けた1982年には満を持して956を投入。ここで開発された水平対向6気筒エンジンを積む956とその発展型である962Cで計6勝を挙げたほか、同じエンジンはダウアー・ポルシェやTWRポルシェにも搭載されて計3勝を果たす大成功を収めた。ちなみに、これまでに通算16勝を挙げたポルシェはル・マンで最も多くの栄冠を勝ち取った自動車メーカーとして知られているが、その大半はこの6気筒エンジンで手に入れたものだった。

1920年代のコースの様子。今日でもル・マンは、常設のサーキットコースと一般道をつないだコースで行われている。

1970年のル・マンを制した、ポルシェ917Kの23号車。

(文=大谷達也)

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[ガズ―編集部]