フロントウィンドウ――視界を広く、安全に(1944年)

よくわかる自動車歴史館 第90話

スピードが増して必要になった風防

世界初のガソリン自動車は、1885年のパテント・モトール・ヴァーゲンとされている。カール・ベンツが作り上げた三輪車である。点火システムを備えた4ストロークのガソリンエンジンを使って自由に移動する乗り物ということでは、確かに現代のクルマと同じカテゴリーに属する。ただ、見た目はまったく違う。小さな腰掛けがあるだけで、乗員を収容する構造は持っていないのだ。

1885年にカール・ベンツが完成させたパテント・モトール・ヴァーゲン。黎明(れいめい)期の自動車は、馬車に範を求めた構造をしていた。

屋根のないオープンカーであるのはもちろん、ドライバーの前方にもさえぎるものはない。外気にさらされたままで運転することになる。自動車は“馬なし馬車”と呼ばれたように、それまでスタンダードだった移動手段の馬車から多くを引き継いでいる。馬車では後ろに人を乗せる客車を持つタイプもあったが、その前に位置する御者の席は吹きさらしの状態である。馬車は最高速度がせいぜい20km/hほどで、風圧はさほど大きくなかったのだ。パテント・モトール・ヴァーゲンはそれ以下の速度で、同じ構造を選んだのは理にかなっている。

自社製の四輪車でドライブに出掛けるベンツの家族。自動車の速度が低速であった時代は、キャビンやフロントウィンドウがなくても困らなかったようだ。

パテント・モトール・ヴァーゲンの後に作られたヴェロやヴィザヴィも、フロントウィンドウを持たなかった。フランスでパナール・エ・ルヴァソールやプジョーが自動車を作るようになっても、馬車にならった形は変わらない。1899年に106km/hという速度世界記録を作ったジャメ・コンタント号でも、魚雷のようなボディーの上に乗員が突き出す形で乗っていたが、さすがにこのスピードでは、ドライバーは激しい風圧にさらされていただろう。

自動車のスピードが増していくと、ドライバーは風防メガネで目を防御するようになり、1900年代になって“安全部品”として前方にガラス製の風防を装着するモデルが現れた。日本ではフロントウィンドウ、フロントガラスなどと呼ぶが、英語ではwindshieldやwindscreenである。文字通りの“風を防ぐもの”なのだ。

1903年のゴードン・ベネット・レースで優勝したカミーユ・ジェナッツィとメルセデス・シンプレックス60hp。車両にウィンドウはなく、ドライバーは風防メガネで目を守っていた。

合わせガラスで安全性が向上

ガラスの歴史は、紀元前数千年までさかのぼることができる。最初はビーズなどの装飾品や工芸品の材料として使われ、製造技術が発達すると食器や保存容器にも利用されるようになった。不純物を除いて透明度を高めた板ガラスが大量生産できるようになると、建築用のガラス窓が広まっていき、自動車が登場する19世紀末には、風雨を防いで視界を確保するという目的に好適な素材として、ガラスは定着していた。

1908年に登場したT型フォード。

自動車におけるガラス窓の普及は20世紀に入ってからのことで、史上初の大量生産車であるT型フォードにもフロントウィンドウは装着されている。1枚の平面ガラスを垂直に取り付けたもので、後に上下の分割機構が採用された。その頃はどのモデルでもフロントウィンドウは垂直なのが一般的だったが、後に後方に傾けたデザインや、中央にサッシを持つ左右2分割構造のものも登場した。平面ガラスを使用しながら空気抵抗を低減する工夫である。曲面ガラスの製造は難しく、自動車では1948年のキャデラックで使われたのが初めてといわれている。

曲面ウィンドウは、1948年型のキャデラックに用いられたのが初の採用例とされている。写真は1949年型シリーズ62クーペ・ドゥビル。

クローズドボディーのクルマでは、側面や後方にもガラス窓が使われるようになった。外気をさえぎって快適な空間を確保し、同時に良好な視界も手に入れたのである。メリットは大きかったが、問題点も浮上した。事故が発生した時に、割れたガラスが乗員や歩行者を傷つけてしまうのだ。安全性への関心が高まっていった。

現在の自動車では、フロントウィンドウに合わせガラスが用いられている。日本では、1987年から保安基準によって前面に合わせガラスを使うことが義務化された。合わせガラスは、1903年にエドゥアール・ベネディクトゥスが発明した技術を利用した製品だ。粘性の高い液体を入れたフラスコを床に落とした時、ガラスが飛散しなかったことから発想したといわれる。彼は自動車での利用を想定していたが、実際に普及したのは軍用品としてだった。第1次世界大戦で、ガスマスクのゴーグル部分に用いられたのだ。

今日広く普及している合わせガラスは、当初はガスマスクのゴーグルなど、軍用に用いられていた。

合わせガラスは、2枚以上のガラスを樹脂膜で接着して一体化したものである。1枚ガラスが破損すると、鋭利なエッジを持った破片が飛び散って人を傷つけるおそれがある。合わせガラスならば破片が樹脂膜でつながったままになるので、割れても危険が少ない。クモの巣状のヒビが入るだけで、ガラスを突き破って人体が外に飛び出るのを防止する。飛び石がぶつかった程度の軽度の損傷なら、視界にはまったく問題が生じない。

ヨーロッパでは、強化ガラスの研究が進んでいた。ガラスを加熱して急速冷却し、断面方向の中央部と表面部に温度差を発生させることで破壊強度を高めた製品だ。通常のガラスの数倍の強度を持ち、割れても細かい破片になるので危険性が低い。ただ、破損した瞬間に細かな亀裂が全面に及んで視界を奪う可能性があり、現在ではフロントウィンドウには採用されない。

アメリカでは、第2次世界大戦前からフロントウィンドウに合わせガラスが使われるようになっていったが、安全テクノロジーとしてこの技術を積極的に取り上げたのがボルボである。1946年に登場したPV444は、高い安全性が評価されてアメリカで販売を伸ばした。小型車ながら、セーフティーケージ構造と合わせガラスを採用した先進的なモデルだった。ボルボは1950年代からフロントウィンドウにデフロスターやウォッシャーを装備し、安全のために視界を確保することに力を注いでいた。

ボルボ初の小型大衆車として、1944年9月に発表されたPV444。1946年に発売された。

紫外線カットという副次的な効果

合わせガラスには、安全性以外にもメリットがある。強靱(きょうじん)な膜を持つため貫通させることが難しく、車上狙いや強盗などの犯罪を防止する効果がある。また、特殊な中間膜を使用して遮音性を高めることもできる。振動を熱に置き換え、音波を減衰させる仕組みだ。室内への騒音侵入を防ぐのに、大きな効果がある。

中間膜には、紫外線を遮断する機能もある。初期の製品は長期間日光に当たると劣化して白濁してしまったが、紫外線吸収剤を添加することで耐久性が向上した。それによって、室内に紫外線を入れないという効果も生まれたのだ。1枚ガラスでは紫外線の約4分の3を通してしまうが、合わせガラスは人体に有害なUV-Bの99%以上をカットする。

一方で、自動車のサイドウィンドウやリアウィンドウには、一般的に通常の強化ガラスが使われている。中間膜を持たないため、そのままでは紫外線カット機能を持たず、特殊処理を施してもカット率は90%程度が普通だった。しかし、最近ではカット率99%をうたう製品もあり、女性に人気の軽自動車で採用されることが多い。熱を防ぐ赤外線カット機能とともに、重要な装備となりつつあるのだ。

軽乗用車など、女性ユーザーの多いモデルの中には、フロントウィンドウだけでなくサイドウィンドウにもUVカット機能を備えたものがある。

クローズドボディーがスタンダードになり、ガラスにはゴムのシーリングが付いて車室の気密性が高まった。快適度は増したが、室内に空気がこもるとガラスが曇って前が見えにくくなるという現象が生じた。外気導入のために考えられたのが、フロントウィンドウの後ろに可動式の小窓を設けることだった。当初は四角形だったが、フロントウィンドウの傾斜角度が大きくなると三角窓になった。開け方によって空気の流量を細かく調整できる便利な機構で、多くのクルマに採用された。

車内への空気の流入などを考慮して設けられるようになった三角窓。空調の普及とともに廃止されていった。

その三角窓も、カーエアコンの普及とボディーデザインの変化によってほとんど装備されなくなった。代わって窓の曇り対策には、デフロスターを用いるようになる。フロントウィンドウの結露を、温風を吹き付けて吹き飛ばすのだ。一方リアウィンドウには、ガラスに電熱線をプリントし、電気を流して過熱する仕組みが使われている。今日ではガラス面に取り付けられるのは電熱線だけではない。ラジオやテレビのアンテナ、VICSやGPSの受信部など、さまざまな機能がウィンドウ上に装着されるようになった。

オーディオの受信機やETC車載器のアンテナなど、今日ではウィンドウにさまざまな機能が装着されている。フロントウィンドウの上部には、予防安全装備のセンサーが備えられるケースも多い。

前方視界確保のために窓の曇り対策以上に重要なのが、雨や雪を除去することである。悪天候の際はたびたび停車して窓を拭かなければならず、ドライバーは不便を強いられた。問題点は早くから認識され、1903年にはアメリカ女性のメアリー・アンダーソンがバネ式アームを利用したワイパーを考案して特許を取得している。ほかにもさまざまな方法が考えられたが、本格的に普及するのは電動式が作られた1920年代後半になってからだった。最近では、ステーションワゴンやハッチバックなどのモデルには、リアウィンドウにもワイパーが付くことが多い。

開放感を得るためには、ウィンドウ面積を広げるのが効果的だ。サンルーフを備え、開閉できるようにしたモデルも増えた。オープンカー的な爽快感をもたらす装備だが、重量増が弱点となる。ガラスは鋼板製ルーフよりも重いのだ。ルーフに限らずガラス面積の増加は重量増を招く。ガラスに代わる素材として、樹脂を使う研究が進んでいる。軽くなるだけでなく、自在な形状を実現できるため、空力性能が向上する期待もある。自動車のウィンドウは、視界確保から安全性、そして環境性能も担う重要なパーツとなっているのだ。

2009年にホンダが発売したシビック・タイプRユーロ。軽量化とリアまわりの複雑な造形を実現するため、スポイラーの下のエクストラウィンドウは樹脂製となっている。

関連トピックス

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スマート・クロスブレード

フロントウィンドウが普及し始めてから約100年が過ぎた2001年、ジュネーブショーにおいて、先祖返りしたかのようなウィンドウのないクルマが登場した。スマート・クロスブレードである。屋根どころかドアすら持たない、スパルタンなフルオープンカーだった。

ベースになったのは、2人乗りのスマート・カブリオである。単なるショーカーではなく、はっ水素材のシートや樹脂製一体型床パネルなどの防水装備を備えて、実際に販売された。

価格はベースモデルのおよそ1.5倍という265万円で、日本では25台限定の発売だった。不便で高価なモデルであるにもかかわらず完売し、追加販売が行われるほどの人気を博した。

フロントウィンドウの代わりに小さなウインドリフレクターが付属していたが、乗員の顔はまったくカバーされていないので、高速走行ではゴーグルが必要だった。

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ビートルのリアウィンドウ

フォルクスワーゲン・ビートル(タイプ1)は、1938年から2003年まで半世紀以上にわたって生産された大衆車である。

その間に、自動車の技術は劇的な進化を遂げたので、エンジンやトランスミッションなどは初期と後期では大幅に変更されている。一方、そのデザインは変わっていないように見えるが、リアウィンドウには時代によって異なるタイプが用いられていた。

初期モデルは「スプリットウィンドウ」と呼ばれ、リアウィンドウが左右に分割されている。これは1953年までに製造されたモデルで、希少性が高い。

次に登場したのが「オーバルウィンドウ」だ。リアウィンドウは中央で分割されなくなり、小さなオーバル(だ円)形となった。さらにボディー製造技術が進歩し、1957年からは視界のいい大型の窓となった。

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間欠ワイパー

ワイパーは荒天時に欠かせない装備だが、小雨の時には動きすぎると煩わしいし、から拭きに近い状態ではガラス表面を傷つける恐れがある。

そこで考案されたのが間欠ワイパーで、一定のインターバルをはさんで作動するようにした機構だ。1963年にアメリカのロバート・カーンズが発明した。

彼は自動車メーカーに売り込むが、どこにも採用されなかった。しかし、1969年から各自動車メーカーはカーンズに断りなく間欠ワイパーを装備し始める。彼はビッグスリーを訴え、長い戦いの後に特許侵害が認められた。

自動車メーカーは巨額の和解金を支払うことになった。裁判の経緯は雑誌で詳しく報道され、記事を元に映画『幸せのきずな』が製作された。

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[ガズー編集部]