タイヤ――命を乗せる働き者(1895年)

よくわかる自動車歴史館 第91話

ゴムの輪を装着していた初期の自動車

日本で初めて作られた自動車は、1904年の山羽式蒸気自動車である。製作者の山羽虎夫は足踏み旋盤で削り出した部品を使い、見よう見まねで2気筒の蒸気エンジンを作り上げた。木造のオープンボディーを持つ10人乗りのバスに仕立て、試運転では10km/h以上のスピードで走ったという。エンジンは快調だったが、思わぬところに落とし穴があった。タイヤである。鉄製のリムにゴムの輪をボルト留めしただけのもので、しばらく走ると接続部がふくれ上がってしまった。針金で応急措置をしたものの、デコボコに変形して走行不能に陥ったのである。

1904年に製作された山羽式蒸気自動車。日本初の純国産車だった。

空気入りのタイヤを作れる工場など、その頃の日本には存在しなかった。それどころか、世界的にもまだソリッドタイヤがほとんどだったのである。自動車の性能は急激に向上していて、エンジンのパワーをしっかり受け止めるタイヤの開発が大きな課題だった。

カール・ベンツが作った最初のパテント・モトール・ヴァーゲンは、ただの鉄輪で走った。2号車ではこれが改良され、ゴム製のソリッドタイヤとなる。ベンツに続いて登場した他のメーカーの自動車も、いずれも鉄輪かソリッドタイヤを採用していた。

当時はすでにゴムでタイヤを作る技術は知られるようになっていた。ヨーロッパにゴムが伝えられたのは、15世紀の終わりである。コロンブスがアメリカ大陸に到達した時、現地民が天然ゴムのボールで遊んでいるのを見て持ち帰ったといわれる。研究が進んで消しゴムとして利用されるようになり、防水布も作られた。1839年には、アメリカのチャールズ・グッドイヤーが画期的なゴム製品の製法を発見している。硫黄を加えて加熱することで、生ゴムよりもはるかに安定した性質が得られることがわかったのだ。

アメリカの発明家であるチャールズ・グッドイヤー。アメリカのタイヤメーカーであるグッドイヤーの社名は、彼の名にあやかって命名されたものだ。

レースでの活躍を通して空気入りの優秀性を実証

空気入りタイヤのアイデアは、自動車の発明にせんだって1845年に生まれている。イギリスのロバート・ウィリアム・トムソンが空気入りタイヤの特許を取得した。ゴム引き布でチューブを作り、外側に革をかぶせて鋲(びょう)で固定する仕組みである。空気を入れてふくらませ、木製のリムにボルトで固定した。馬車や自転車に装着すると、乗り心地の良さと静かさに驚きが広がったという。ただ、製品として空気入りタイヤが普及するのはさらに後のことだった。

1888年、アイルランドの獣医師であるジョン・ボイド・ダンロップが、息子のために三輪自転車用の空気入りタイヤを製作する。直径40cmほどの木製円盤にゴムチューブをはめ、さらにゴム引きしたキャンバスでくるんだもので、古着や哺乳ビンなどを使って仕立てていたらしい。ダンロップは同年末に、このアイデアで特許を取得。1889年には彼の空気入りタイヤを付けた自転車がレースに出場し、ソリッドタイヤの自転車を圧倒する走りで優勝して見せた。この年、彼は後にダンロップとなるタイヤ会社を設立している。

空気入りタイヤの実用化に貢献したジョン・ボイド・ダンロップ。

自動車に空気入りタイヤが装着されたのは、1895年が初めてとされている。パリ−ボルドー−パリのレースに、ミシュラン兄弟が空気入りタイヤを装着したプジョーで出場したのだ。しかし、約1200kmの行程では幾度となくパンクが発生し、修理のために22本ものチューブを使ってしまう。結局、100時間の制限時間内にゴールすることはできなかったが、途中では優勝車の2倍のスピードで走る場面もあったという。敗れたとはいえ空気入りタイヤの優秀性が実証され、翌年行われたレースでは多くのクルマに装着されるようになった。

1895年のパリ−ボルドー−パリに出場した、エデュアールとアンドレのミシュラン兄弟。車両は、中古のプジョーのシャシーにダイムラーの船舶用エンジンを搭載したものだった。

空気入りタイヤが主流となったのは1900年代の中盤のようだ。1908年に発売されたT型フォードでは、空気入りタイヤが標準装備となっている。とはいえ、その性能はまだ十分なものとはいえず、特に耐久性に問題があった。ゴム引きしたキャンバスはタイヤがたわむと糸がこすれあってすり切れてしまい、2000km~3000kmで交換しなければならなかったのだ。この問題を解決したのは、縦糸と横糸の間に薄いゴム層をはさんだすだれ織りの構造である。さらに合成繊維の開発も進み、タイヤの耐久性は向上していった。

ゴム自体の改良も行われた。ゴムにカーボンブラックを混ぜることで飛躍的に強度が高まることがわかり、1910年代には広く使われるようになった。カーボンブラックは天然ガスから取り出され、印刷用のインクとして実用化されていた。これを混ぜるとゴムの耐久性は10倍以上になり、タイヤの製造には欠かせないものとなった。ほとんどのタイヤが黒いのはそのためである。

1913年のフォード・ハイランドパーク工場の生産ラインの様子。まだカーボンブラックを混ぜたタイヤは普及しておらず、ラインの横には白い空気入りタイヤが並べられている。

主流となったスチールラジアル

初期のタイヤには、レース用のスリックタイヤと同じように溝がなかった。ドライ路面ではそのほうが高いグリップを得られるのだが、雨天時には排水できないため滑りやすくなってしまう。1890年代になると、自転車タイヤの中には排水のためのトレッドパターンを付けたものが現れるようになった。自動車タイヤでは、1908年にファイアストン社がユニークな製品を販売している。「NON SKID」という文字をトレッドパターンにしたタイヤで、文字通り“滑らない”ことを売りにしていた。

タイヤの歴史に大きな転換をもたらしたのが、1948年に発売された「ミシュランX」である。初めての実用的なスチールラジアルタイヤで、従来のバイアスタイヤに代わって、これが乗用車用タイヤの主流になっていった。

1948年に登場したミシュランX。世界で初めて大々的に発売されたスチールラジアルタイヤとなった。

タイヤは、やわらかいゴムだけでは強度や形状を保つことができないため、内部にカーカスと呼ばれる構造を持っている。コードを使ったすだれ織りをゴムシートではさんだ、プライと呼ばれる生地を重ねて強度を確保しているのだ。内側のコードを斜め方向に交差させるようプライを重ねて作られているのがバイアスタイヤである。シンプルな製造工程で安価に作ることができ、タイヤ全体で衝撃を吸収する構造なので乗り心地もよかった。

バイアスが斜めを意味するのに対し、ラジアルとは放射状のことだ。コードを進行方向に対して直角に配置すると、横から見た場合には放射状になる。ラジアルタイヤの発想は古くからあり、1913年には特許が取得されている。しかし、戦争の混乱もあって実用化されることなく、長い間放置されていた。ミシュランは1937年にスチールコードを用いたバイアスタイヤを試作するが、この組み合わせは相性が悪く成功したとはいえない。

地下鉄用スチールラジアルタイヤで成果を出した後、乗用車用に作られたのが「X」である。カーカスの上にスチールコードのベルト構造を採用し、耐久性や耐摩耗性を高めた製品となっていた。トレッドが強化されたことにより変形が小さく、グリップ力が高まって操縦性能も向上した。乗り心地の面ではバイアスに劣っていたが、自動車の高速化が進む中でラジアルタイヤの必要性は高まっていった。フランスではまたたく間にラジアルタイヤの普及が進み、日本でも1970年代に急激にラジアル化が進んだ。現在ではほとんどの乗用車にラジアルタイヤが装着されている。

イタリア向け(右)とスカンジナビア向け(左)に用意されたトラック用のミシュランXの広告。ラジアルタイヤであることがイラストで紹介されている。

ラジアルタイヤのメリットのひとつに、転がり抵抗の小ささがある。転がり抵抗とは進行方向と逆向きに働く力のことで、エネルギーが無駄に失われてしまう。タイヤの転がり抵抗を生む最大の要因は、変形によって運動エネルギーが熱エネルギーに転換されてしまうことだ。ラジアルタイヤはバイアスタイヤに比べて剛性が高く、変形しにくい。転がり抵抗が小さければエネルギーが損なわれずに伝えられるので、燃費向上に貢献する。トレッドのゴム質を工夫してさらに転がり抵抗を抑えた製品が、エコタイヤと呼ばれる。

乗り心地の向上のために生まれた空気入りタイヤは、今では環境保護性能も重視されるようになってきた。操縦安定性や制動性能も、ますます高度なレベルが要求されていくだろう。乗員の命を乗せるタイヤは、今も昔も自動車の根源を支える存在なのだ。

今日では環境負荷低減もタイヤの大きな課題となっている。写真は、2013年のエコプロダクツ大賞で優秀賞を受賞したダンロップ・エナセーブ100。材料には石油や石炭などといった化石資源が一切使われていない。

関連トピックス

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天然ゴム

ゴムノキが原生していた中南米では、その樹液を固めて容器やボールなどが作られていた。ただ、生ゴムは弾性と防水性はあるものの、油に弱く気温が高くなると柔らかくなるなど、素材としては扱いにくいものだった。

ヨーロッパに移入されてもしばらく事情は変わらなかったが、チャールズ・グッドイヤーによって加硫法が発見されたことで用途が拡大。ゴム工業が発展すると、原産地であるブラジルでは輸出が急増した。

利益独占のためにゴムノキの輸出は禁止されていたが、イギリス人がひそかに種を持ちだして東南アジアに移植。20世紀に入るとプランテーションで大規模栽培が行われるようになった。現在では天然ゴムの半分以上が、タイとインドネシアで作られている。

また第1次大戦後には石油から合成ゴムが精製されるようになり、今では天然ゴムを上回る量が生産されている。

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ミシュラン社

1863年に創立されたバルビエ&ドーブレを母体とするタイヤメーカー。創業者のアンドレとエドゥアールのミシュラン兄弟は、1891年に自転車タイヤの修理をした経験からタイヤ事業に乗り出し、着脱が簡単な製品を開発して特許を取得した。

1898年には世界最古のマスコットのひとつといわれるビバンダムが誕生した。胴体や手足がタイヤでできていて、ポスターに使われた「Nunc est bibendum」から名付けられた。色が白いのは、まだカーボンブラックを配合する製法が知られていなかったからである。

ミシュランガイドが初めて発行されたのは1900年のことである。旅行者向けの実用的な情報を載せ、自動車での移動をうながす狙いだった。星でレストランを格付けするようになったのは、1926年からだ。

長らくヨーロッパのみがその対象だったが、2005年にニューヨーク版が発売され、2007年からは東京版が発行されている。2010年からは関西版も加わった。

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トレッドパターン

雨天時にタイヤと路面の間に水が入り込むと、ハンドルやブレーキが利かなくなるハイドロプレーニング現象が起きる。これを防ぐため、タイヤのトレッドには水をかき出す溝が刻まれるようになった。

タイヤ表面に刻まれた模様がトレッドパターンで、縦方向のリブ型、横方向のラグ型、独立したブロック型などがある。リブ型は操縦性がよくて転がり抵抗が少なく、ラグ型は駆動力に優れる。ブロック型は悪路に強い。

溝が深いほど排水性能が上がるが、摩耗寿命やドライ路面でのグリップ力に難点がある。近年では操縦安定性や放熱性、騒音やデザイン性にも考慮し、さまざまな型を組み合わせてパターンが決められるようになった。

タイヤが摩耗すると溝が浅くなり、排水性能が低下する。そのため、溝の深さが1.6mmを切った状態で走ることは法律で禁じられている。トレッドにスリップサインが現れたら、タイヤ交換をしなくてはならない。

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[ガズー編集部]