オープンカー――風と一緒に走ろう(1989年)

よくわかる自動車歴史館 第96話

アメリカ軍の兵士を魅了したMGA

1989年に発売されたユーノス・ロードスターは、マツダにとって大きな賭けとなる製品だった。オープンカー市場は世界中で長い間休眠状態にあり、成功を予想する人は多くなかった。バブル景気まっただ中の日本で主流だったのは高級セダンであり、快適な密閉空間を持たないオープンカーはトレンドから外れた存在だった。どのメーカーも手を出さないジャンルに、マツダはわざわざコンパクトFRのプラットフォームを作って野心的なモデルを送り込んだのである。

1989年にデビューした初代ロードスター。当初1.6リッターだった排気量は後に1.8リッターに拡大。5段MTに加え4段ATモデルも追加された。

当時の小型スポーツカーのあり方としては、FF車用のコンポーネントをそのまま使うか、前後を逆にしてミドシップに仕立てるのが常識的な手法だった。しかし、マツダは素直なハンドリングを第一に考え、FRにこだわった。エンジンは自然吸気の1.6リッター直列4気筒で、5段マニュアルトランスミッションが組み合わされていた。5ナンバーサイズのコンパクトなボディーは、車重がおよそ1トンという軽さだった。軽量ボディーに小さなエンジンを載せ、軽快なハンドリングを楽しむ――このコンセプトにはお手本があった。ブリティッシュ・ライトウェイトスポーツと呼ばれる一連のモデルである。

初期の自動車には屋根がなく、フロントウィンドウすら付属しなかった。当時のクルマは馬車からボディー形式を受け継いでおり、大してスピードが出ないうちは、それでも問題は生じなかったのだ。エンジンの性能が上がると、風を防いで視界を確保しなければならなくなる。20世紀に入るとガラス製の風防が普及し、側面や後方にもガラス窓を装備したクローズドボディーが広まっていった。自動車に求められるのは、実用的な移動手段としての役割だった。

第2次世界大戦が終わって復興が進むと、自動車に乗る楽しみが見直されるようになる。そこで注目されたのが、MGのミジェットシリーズをはじめとするイギリスの小型オープンツーシーターだった。特に人気を博したのが、1955年に登場したMGAである。MGは戦前からの自動車会社で、戦後はBMCグループの一員としてスポーツカーを生産した。その第1弾となったのがMGAだった。戦前のモデルから引き継いだラダーフレームにモダンなデザインのボディーを架装したもので、クーペとオープンの2種類があった。イギリスに駐留していたアメリカ軍兵士は、この軽快なオープンカーに魅了された。MGAは左ハンドルに仕立てられ、およそ10万台の生産台数の半分が北米に輸出された。

1955年に登場したMGA。戦前、戦後と人気を博してきたMGミジェットシリーズ(1961年登場のMGミジェットとは異なる)の後継となったモデルで、広くライトウェイトスポーツの楽しさを知らしめた。

マツダが復活させたオープンツーシーター

1958年にはオースチン・ヒーレー・スプライトがデビューし、1961年にMGミジェットが発売される。1962年には、MGBとロータス・エランという、高性能なモデルが登場した。ライトウェイトスポーツというジャンルは欧米のクルマ好きを魅了し、中でもオープンモデルの人気が高まっていった。イギリスから生まれたトレンドは、世界的な潮流となる。

日本では、1962年にダットサン・フェアレディ1500が登場した。スポーツ1000から発展した本格的なオープンスポーツで、北米でも人気を博す。ホンダは1963年にS500を発売し、四輪自動車に本格参入する。ヨーロッパでも販売され、本家のイギリス製オープンカーを上回る性能だと高評価を得た。

ホンダにとって初の四輪乗用モデルとなったS500。精緻な水冷直4 DOHCエンジンを搭載しており、後に、より排気量の大きなS600、S800へと発展していった。

こうして1960年代に脚光を浴びたオープンカーだが、1970年代後半から次第に存在感をなくしていく。2度のオイルショックによってスポーツカーの需要がしぼみ、派手なオープンカーはなおさら時代と合わなくなっていった。排ガス対策に明け暮れる時期を経た後、待っていたのはパワーと内外装の豪華さを競う時代である。潮流から外れたオープンカーは、メーカーにとっても優先順位が低くならざるを得なかった。

そんな中で迎えた1989年は、日本の自動車史にとって特別な年となった。トヨタが大型高級サルーンの初代セルシオ(レクサスLS400)を発売し、ドイツの高級車メーカーに真っ向から戦いを挑んだ。日産はハイテクで武装したスカイラインGT-R(R32)で世界に衝撃を与えた。そしてユーノス・ロードスターは、この2台に劣らないインパクトを持っていた。飛び抜けた性能もなければゴージャスな作りでもなかったが、新鮮なコンセプトが驚きを与えたのである。

マツダのロードスターと同じ年に登場したトヨタ・セルシオ(左)と日産スカイラインGT-R(右)。いずれも世界中に衝撃をあたえるモデルとなった。

ユーノス・ロードスターは、マツダの予測をはるかに超える売れ行きを示した。発売は9月だったが、年内に1万台近くを売り上げた。国外ではマツダMX-5(ミアータ)の名で輸出され、翌年の世界販売台数は10万台に迫ったのである。ちなみに、2000年には累計生産台数が53万1890台に達し、「世界で最も多く生産された2人乗り小型オープンスポーツカー」としてギネスブックに認定されている。2011年には累計90万台を達成した。

ロードスターの累計生産台数は、1999年に50万台を、2011年に90万台を突破。今日もその記録を更新し続けている。

この成功を見て、世界中の自動車メーカーが後を追った。ほとんど死滅したかのように思われていたコンパクトなオープンカーというジャンルが、豊かな可能性を持っていることに気づいたのである。クルマを意のままに操り風と一緒になって走る爽快感は、自動車本来の根源的な魅力なのだ。BMW Z3、ローバーMGF、フィアット・バルケッタなどのライトウェイトスポーツが続々とデビューした。上級クラスでも、メルセデス・ベンツSLKやポルシェ・ボクスターなどが登場する。軽自動車の世界でも、ホンダ・ビートやスズキ・カプチーノが生まれた。

ロードスターの成功は数々のフォロワーを生んだ。写真は1996年に登場したポルシェ・ボクスター。水平対向6気筒エンジンをミドシップ搭載している。

開放感と堅牢性を両立したクーペ・カブリオレ

ユーノス・ロードスターという名称は、名前がそのままクルマの形を物語っていた。ロードスターというのはオープンカーを表す言葉で、主にイギリスで用いられる。イギリスではほかにドロップヘッドクーペと言う場合もあり、アメリカではコンバーチブルと呼ばれることが多い。カブリオレは馬車由来の名称で、ロードスターに比べてしっかりとした幌(ほろ)を持っているイメージだ。イタリアでは、スパイダーやバルケッタの名が使われる。

オープンカーはライトウェイトスポーツに限られるわけではなく、大型高級車ではゴージャスさと華やかさを強調する表現でもある。1950年代のキャデラック・コンバーチブルなどが代表的な存在だ。メルセデス・ベンツSLも、高級オープンカーの典型といっていいだろう。簡易型の幌であることが多いロードスターに対し、コンバーチブルやカブリオレの場合は分厚い素材を使った耐候性に優れる幌を使うのが普通だ。さらに頑丈な屋根を持つのが、クーペ・カブリオレである。

1970年代を迎えるまで、アメリカではオープンカーが大変な人気を博しており、スポーツカーやスペシャリティーカーはもちろん、フルサイズの高級車にもオープンモデルが設定されていた。写真は1959年式キャデラック・エルドラド コンバーチブル。

バリオルーフやリトラクタブルハードトップなどとも呼ばれる機構で、布ではなく金属やFRPでできた格納式ハードトップを備える。オープンカーの開放感とクーペの堅牢(けんろう)性や静粛性を両立させているわけだ。1996年に登場したメルセデス・ベンツSLKはユーノス・ロードスターのフォロワーではあるが、この機構によって新たな魅力を備えていた。これが好評を受け、2001年には上級モデルのSLにもバリオルーフが採用されている。

1996年に登場したメルセデス・ベンツSLK。バリオルーフと呼ばれる、電動分割格納式のハードトップを採用していた。

同じ2001年に、もっと安価なモデルもデビューした。プジョー206に追加されたCCで、まさにクーペ・カブリオレのイニシャルを車名としている。日本では275万円という価格も功を奏し、割り当てられた700台があっという間に売り切れるほどの人気となった。これをSLKの廉価版だと考えるのは間違いだ。むしろ、こちらのほうが元祖である。

そもそもクーペ・カブリオレを発明したのはフランス人であり、自動車デザイナーのジョルジュ・ポーランが自動格納式のルーフを考案して特許を取得したのに端を発する。プジョーはこの機構に興味を示し、1934年に601、401、301に採用してニューモデルとして発表した。これらのモデルは、エクリプスと名付けられている。日食を意味する言葉で、光をさえぎる仕組みを象徴的に表現したものだ。

1934年式プジョー301エクリプス。

画期的なアイデアだったが、この格納式ルーフは普及しなかった。こうしたオープンカーは、セダンやクーペと比べてボディー剛性を確保するのが難しく、補強のために重量が増加してしまう。格納式ルーフは複雑な機構を持ち、さらに重くならざるを得ない。折りたたまれたルーフはトランクに収めることになり、収納スペースが奪われる。十分な実用性を備えたモデルとしては、メルセデス・ベンツSLKが初めてだった。

プジョー401エクリプス。現在のモデルに見られるような折りたたみ機構はなく、一体型のルーフをそのままトランクルームに収納する構造だった。

2002年には、電動式ルーフを備えた軽自動車のダイハツ・コペンが登場した。プジョーとメルセデスはクーペ・カブリオレのモデルをその後も製造しており、ルノー、BMW、フェラーリなど多くの自動車メーカーがこのタイプのオープンカーをラインナップに加えている。マツダは2015年5月に4代目となるロードスターを発売し、好調に販売台数を伸ばしている。オープンエアモータリングは、今もクルマの楽しさのエッセンスであり続けているのだ。

2015年に登場した4代目ロードスター。

関連トピックス

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MGB

MGAの後継車として1962年に発売され、1980年までに52万台以上が生産された、ブリティッシュ・ライトウェイトスポーツを代表するモデルである。

フレーム式だったMGAとは異なり、モノコックボディーを採用している。エンジンは1.8リッター直列4気筒で、高性能版として直6やV8も用意されていた。

初期モデルの幌は組み立て式だったが、オプションとして用意された固定式が後に標準となった。ハードトップを備えるハッチバッククーペのGTも加えられている。

MGのオープンスポーツの伝統は途絶えていたが、1993年にローバーからMGBをベースにしてV8エンジンを積んだRV8が発売される。その2年後にはミドシップのMGFが登場した。

topics 2

ロータス・エラン

ロータスは1957年から軽量なFRPボディーを持つエリートを製造していたが、商業的には成功しなかった。その後継車として1962年に投入したのがエランである。

車体構造にはFRPモノコックをやめてバックボーンフレームを採用しており、これによりオープンモデルに仕立てることが可能となった。強力なツインカムエンジンを搭載した高性能車で、敏しょうなハンドリングが高い評価を受けた。

自動車レース草創期だった日本にも輸入され、浮谷東次郎らによってサーキットで活躍した。

流麗なスタイルはオープンスポーツの手本とされており、ユーノス・ロードスターも影響を受けているといわれる。

topics 3

スズキ・カプチーノ

1991年にスズキから登場した、軽規格のスポーツカー。同じ年に発売されたホンダ・ビートがミドシップだったのに対し、カプチーノはFR方式を採用していた。直列3気筒ツインカムターボエンジンを極力後方に配置するように工夫して、前後の重量配分を51:49に整えている。

軽自動車初となる四輪ダブルウィッシュボーンサスペンションを採用し、四輪ディスクブレーキも備えた。軽量化のため、ボンネットなどにアルミニウムを使っている。

ルーフは3分割できるようになっていて、ハードトップ、Tバールーフ、タルガトップ、フルオープンという4通りの姿を選ぶことができた。

古典的なFRオープンスポーツとして評価が高かったが、145万8000円という価格もあって売れ行きは芳しくなかった。1998年に生産を終了し、後継車は作られなかった。

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[ガズー編集部]