デトロイトの思い出(前編)

自動車大国アメリカを代表するモーターショーのひとつであり、毎年1月上旬に催されることから、自動車業界にとって“一年の始まり”を感じさせる恒例行事となっている北米国際自動車ショー、通称デトロイトショー。僕は1989年に初めてこのショーを訪れた。この年、取材を思い立った理由は3つある。最大の理由は、実はデトロイトオートショーがNAIAS、すなわち「ノースアメリカン・インターナショナル・オート・ショー」と名前を変えたのがこの年だったからである。それは同時に、デトロイトショーが国際格式のショーに昇格したことを意味していた。当時としては数少ない、アメリカで開催される国際格式のモーターショーになったということだ。

コボホールの入り口に建てられたジョー・ルイスの銅像。デトロイトショーは現在の名称(北米国際自動車ショー)になる前の1965年から、この巨大展示場で開催されている。

2つ目の理由は、このショーに合わせて、日本のメーカーからレクサスとインフィニティという2つのプレミアムブランドが立ち上がり、そのフラッグシップモデル、レクサスLSとインフィニティQ45がデビューすることが分かっていたから。そして3つ目の理由は、極めて個人的なことだが、1985年にデトロイトに移り住んだ友人に会うためである。僕が最初にアメリカに上陸したのはそれからさかのぼること4年前の1985年のことだった。といっても行ったのはロサンゼルスであって、デトロイトではない。初めてデトロイトを訪れた僕は、ショー会場の目の前にあるホテル、ポンチャートレイン(当時はそういう名前だった)に投宿し、まずは友人に連絡して再会を祝した。幸い彼は自動車関連の仕事をしていたため、多くの情報をそこで仕入れることができた。

1989年当時のデトロイトの街並み。写真の右手に写っているのが、著者が宿泊したポンチャートレインホテルである。

デトロイト以前にも、モーターショーの取材はヨーロッパのフランクフルト、パリ、ジュネーブなどでこなしていたから慣れたもの。おまけにヨーロッパのそれと違って、デトロイトではプレスデーが3日もあるから随分ゆとりが感じられた。とはいうものの、今考えると一体どうやって取材していたか、正直想像がつかない。今と比べて、当時の取材環境は圧倒的に劣悪だった。

今、カメラはデジタルになり、保存も小さな記憶媒体さえあれば問題なく、フィルムなんぞ要らない。そして会場での配布資料はというと、多くの場合USBメモリー、ひどい場合はURLの書かれた名刺状のカードを1枚渡されて、ここにアクセスしろ……で終わりだ。しかし当時は、大型のカメラを担ぎ、やはり大型の三脚と大量のフィルムを入れたカメラバッグ、そして何より、あり得ないほど重くて巨大な“プレスキット”なるバインダーをしまうための大きなバッグを抱え、各メーカーが開催するプレスカンファレンスを回ったのだ。プレスキットの総量は時に20kgを超え、そのまま持ち帰ることはまず不可能だった。必要最小限のものを手持ちにして、後はUPSなどの宅配便で日本に送るのだ。

1989年のデトロイトショーに展示されたキャデラックのコンセプトカー、ソリティア。当時はこうしたクルマの資料もデジタル化されておらず、取材記者は各メーカーが配布する重たい資料を抱え、広大な展示会場を駆けまわっていた。

写真だってプロではないから、果たしてちゃんと撮れているかは不明。保険の意もあって1台につきかなりの枚数を撮る必要があり、そのためフィルムの数も膨大になった。そんなわけだから、3日目にはすでにモチベーションが著しく低下。おまけに、当時は日本から取材に来るジャーナリストなど僕を含め片手で済んでしまうほどしかいなかったから、食事も寂しいものだった。

この年、興味深かったのは、先ほど述べたレクサス、インフィニティもさることながら、何とあのダッジ・バイパーのコンセプトカーが登場したこと。それに、クライスラーが出品したもう1台のコンセプトカー、ポルトフィーノにも目を奪われた。ポルトフィーノは、当時のクライスラーが買収したランボルギーニに作らせた、4枚の跳ね上げ式ドアを持つセダンだった。ランボルギーニの歴史をひもといても、ほとんどこのクルマは出てこない。

クライスラーが出展したコンセプトカーのポルトフィーノ。ランボルギーニがクライスラーの傘下にあった時代に製作された、歴史を感じさせる一台である。

そして会場に行って分かったことがもうひとつある。何と、当時は会期中に新型車のジャーナリスト向け試乗会が行われていたのだ。アメリカ車は多くが正規に日本導入されていなかったから、それこそむさぼるように乗り、そのリポートも書いた。デトロイトショーでの試乗会はその後も90年代半ばまで続いたと記憶する。

いずれにしろ、デトロイトはなにもかもが新しかった。そしてドイツ生活の経験がある僕でも、寒さには参った。寒さの話はまた次回にしようと思う。

1989年のデトロイトショーで試乗したビュイック・リビエラ。写真の通り、1月のデトロイトは川面が凍るほどに寒い。

(文と写真=中村孝仁)

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[ガズー編集部]