偉人たちとの思い出 ~ロベール・オプロン~

今日、自動車のデザイン作業は、クリエイティブに見えて、決してそれだけではない。仕向け国すべての保安基準に適合させるのは極めて大変な仕事だ。ライバル車を意識してコストも考慮しなければならない。
姉妹車と同じワイヤハーネス(配線の束)を使う場合、灯火類の位置はおのずと決まってしまう。デザイン開発は、いわば方程式を解くようなものである。それを世界各地にあるデザイン拠点とチームワークで進行してゆく必要がある。デザインダイレクターには、センス以上に管理職としての高い資質が求められる。

いっぽう、カーデザイナー個人が、もっと自由に創造の翼を広げることができた時代があった。クルマが今のようにグローバル商品化する以前の1970年代までである。
ドイツ車はよりドイツ車らしく質実剛健で、イタリア車はよりイタリア車らしく華麗だった。
そうしたなか、フランスのシトロエンは、よりアバンギャルドなデザインで、独自の存在感を放っていた。

その立役者のひとりとなったのが、今回紹介するロベール・オプロンである。

ロベール・オプロン。写真は2003年にイタリアで開催されたファンミーティング「ロベール・オプロンのシトロエン」にゲストとして招聘(しょうへい)されたときのもの。後方に氏の代表作のひとつ、シトロエンSMが並ぶ。

1932年生まれの彼はシムカでデザイナーとしての職歴をスタートさせた。やがて1962年、シトロエンに移籍して働き始める。
そして、後年オプロンは、前衛的なモデルでシトロエンの先進的イメージを昇華させた。
1979年にはルノーに活躍の場を移し、2ドアハッチバック・クーペ「フエゴ」、トップモデルでフランス大統領専用車としても採用された「25」を手がけた。

ロベール・オプロン氏はイベントで会うたび、彼にとって最も華やかな時代だったシトロエン時代のことを筆者に話してくれた。

ファンミーティング「ロベール・オプロンのシトロエン」にて、ロベール・オプロンと筆者。かつての作品を眺めて「まるで古墳を見ているような気分だよ」とおどけてみせた。

まずは“オプロン前史”を説明する必要がある。
シトロエンのデザイン的アイデンティティーを最初に確立したのは、第2次大戦前から同社に在籍したデザイナー、フラミニオ・ベルトーニ(1903-1964)であった。彼がデザインして1955年に発表された「シトロエンDS」は、世界に大きな衝撃をもたらした。

26歳のとき、募集広告を見てシトロエンに赴いた若きオプロンは、ベルトーニの面接を受けた。
ベルトーニはオプロンが携えていったスケッチを見るなり、それを床に投げ捨てた。
にもかかわらず「私のもとで働きたいか?」と笑いを浮かべながら尋ねたという。
怒ったオプロンは「あなたなんか嫌いだ」と言い残し、立ち去った。
ところが後日、シトロエンから採用通知が舞い込んだという。これは、ある欧州メディアに寄せた回顧である。気性の激しい芸術家肌のベルトーニが——事実、ベルトーニは彫刻家でもあった——実はオプロンの才能を見抜いていたことがうかがえる逸話である。

イベントのランチタイムに、ジュヌヴィエーヴ夫人としばしリラックス。当時、プライベートカーの1台として所有していたスズキ・ワゴンRを高く評価していた。

だがもっと面白かったのは、オプロンが筆者自身に語ってくれたシトロエンDSのフェイスリフトにまつわるエピソードだ。
ある日のこと「ベルトーニは実車の前に立ったかと思うと、巨大なハンマーで突然フロントマスクを破壊し始めたのです。そして造形材料を使って、瞬く間に新しい顔を作り上げていきました」。

1964年2月のことだった。オプロンは、ベルトーニとともに経営陣とのミーティングに出席した。会議は紛糾。「ついにベルトーニは『馬鹿者!』と言い捨てて、立ち去りました」。
しかしそれが、オプロンが見た上司の最後の姿となった。同じ日の晩、ベルトーニは61歳でこの世を去ったのだ。

かくしてオプロンは入社からわずか2年で、シトロエンデザインを統率する重責を担うことになった。
最初の仕事は「ベルトーニ時代のバロック(過度な、誇張された)な部分を修正することでした」。具体的には、1969年の「アミ8」である。過剰に前衛的だったベルトーニの作風を、よりマーケットが理解しやすいものにモディファイしたのだ。

パリのヒストリックカーショー「レトロモビル」のシトロエンブースにて。2006年。

いっぽうで、オプロンは「ベルトーニから継承したかったのは、彼のフィロソフィーです」とも語る。そして「私が試みたのは、彼の作品の、いわばコラージュでした」と証言しており、先代の創り上げた「シトロエンらしさ」を守りつつ、新たな作風を創造するのは決して容易な仕事ではなかったと想像できる。

しかしオプロンは、それに成功した。彼が手がけた「SM」(1970年)、「GS」(1970年、のちに「GSA」)そして「CX」(1974年)は、今日に続くシトロエンのデザインアイデンティティーを見事に確立した。近年のコンセプトカーや新生DSシリーズに、それらのディテールが少なからず反映されているのは、その証左である。

本場フランスでは「真のシトロエンは、オプロンの時代まで」と定義する熱烈なファンが今も少なくない。
ロベール・オプロンは2017年で85歳。シトロエンが最もシトロエンらしかった時代を知る、レジェンドである。

1970年代から1980年代にかけて活躍したロベール・オプロンの代表作。写真上段が高性能クーペ「SM」、下段左がミドルクラスモデルの「GS」、下段右がフラッグシップモデルの「CX」。

(文と写真=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)

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[ガズー編集部]