大人の事情?…TBS安東弘樹アナウンサー連載コラム

今回は、以前から疑問に思っている2つの事柄について書かせて頂きます。

まずは、日本に於けるディーゼルエンジンの扱いについてです。

最近になって、ようやく日本でも一部の日本メーカーや輸入車を中心にディーゼルエンジンのモデルが買えるようになってきました。年間の走行距離が日本人平均の4倍、ドイツ人と比べても2倍強、更に高速道路や自動車専用道路を利用する事が多い、私は、10年以上に渡り、ディーゼルエンジンのクルマを待ち焦がれて来ました。ディーゼルエンジンは、とにかく走行距離が長ければ長い程、また高速巡航が多ければ多い程、その長所を活かせる内燃機関です。

そして、初めて公にしますが、10年以上待って、やっと自分が求めるディーゼルエンジンのクルマの購入を決め、先日、契約をしました。ただ、納車は半年以上先ですので、暫くは、「運命の出会い」はお預けです。冗談では無く、今は、「そのクルマが来るまでは死ねない」「納車時に下取りにするクルマを、それまで、絶対に壊せない」等とビクビクしながら生活をしています(笑)

それにしても、ここに来て、まだ日本ではディーゼルエンジンへの「偏見」が横行しているのに驚きます。遅い、排気ガスが黒くて汚い、当然、環境に悪い、等、そのネガティブな印象を挙げたらキリがありません。元東京都知事の“ペットボトルパフォーマンス”も、長期にわたり影響を及ぼしている様です…。

結論から言わせて頂くと、今のディーゼルエンジンは力強いし、燃費が良いので同じクラスのエンジンであれば排出するCO2は、ガソリンエンジンより少ないし、ましてや排気ガスは全く黒くありません。

そして、私の最大の疑問が「ディーゼルエンジンのモデルは、同じクラスのガソリンエンジンモデルより高価である」という偏見というか勘違いが、はびっこっている事です。

これは多くの自動車メディアや専門家が、これまでずっと流布してきた内容であり、ユーザーは、その様に思わされて来てしまった、というのが私の見立てです。そして、安い軽油とガソリンの価格差で元が取れるまで何年掛かる、等という解析まで、まことしやかに語られているのが現状です。

これは私見で言えば、全くのナンセンスです。

とても分かりやすい例で説明させて頂きます。BMWのコンパクトモデル、1シリーズに、先日、ディーゼルエンジンモデルが加わりました。118d、というモデルです。新モデルですので、様々な雑誌やWebサイト等で記事が載りました。

内容は「同じクラスの118i(こちらはガソリン車)より21万円高価である。燃料の価格差で、元を取るのには何年も掛かるが、ディーゼルの力強さは捨てがたい」という様なものが殆どです。

私は愕然としました。何故、ガソリンの一番下のモデルと比較をしてディーゼルエンジンモデルを「割高」と断じるのか…。

ここでBMW1シリーズのエンジン別、スペック、価格比較をしてみます。

○118i (ガソリン、直列3気筒、約1500CC、136馬力 トルク220Nm)→344万円

○118d (ディーゼル、直列4気筒 約2000CC、150馬力 トルク320Nm)→365万円

○120i (ガソリン、直列4気筒 約1600CC、177馬力 トルク250Nm)→405万円

※全てsports、というグレード

こうしてみると、排気量もディーゼルモデルが一番上で、スペックを見ると、118dと118iとでは比べ物にならず、もし比較するならディーゼルを主語にして、馬力で僅かに負けてトルクでは圧勝している120i、との方が、明らかに妥当であると考えます。そうすると買う段階で、既にディーゼルモデルが40万円程、安い、という事になります。

118dと120iでは装備差が有りますが、それを差し引いても、明らかに「同じクラス」は、この両者であり、それで比較するとディーゼルエンジンモデルのほうが完全に「割安」と言えます。

メーカーの名前の付け方が、ややこしいのもありますが、(排気量や馬力等に関係なく、メーカーが考えるヒエラルキーで分けている?)それを専門家が鵜呑みにするのは論外です。

しかも燃費は、ディーゼルが3割以上の差を付けて、ガソリン両モデルに圧勝です。そして燃料単価もハイオクガソリンと軽油の差は、かなりあるので、イニシャルコストもランニングコストもディーゼルが圧倒的に有利だと伝えなければおかしいのではないでしょうか?

確かに、構造上、“理論的には”ガソリンエンジンより強固に作らなければならないディーゼルエンジンの方がコストが掛かる、というのはこれまでの常識でしたが、今や、技術革新によって、様々な分野で、これまでの常識が変わって来ているのが実情です。

クルマを熟知している筈の自動車メディアの方やジャーナリストの皆さんが、何故、いつまでも「ディーゼルは割高」と唱え続けるのか私には理解出来ません。

何か「大人の事情」でもあるのでしょうか?

 

そして、もう一つは「自動運転」についてです。5月、アメリカで「自動運転中」の車に乗っていた人がトレーラーに衝突して、この“ドライバー”の方が亡くなりました。

報道によると、その“ドライバー”はDVDを鑑賞していたそうですが、如何に中途半端な「自動運転」が危険なものか痛感する事故です。

その事故を受けて、日本の国交省は慌てて「現在、いくつかのクルマに装備されている自動運転と呼ばれる装置は完全な自動運転ではなく。運転支援である」と関係各所に注意喚起を行いました。

ちなみに私は、他の媒体でもコラムを書かせて頂いていて、そのコラムは様々なクルマを実際に運転して、その印象等を書く、というものです。そのコラムで、何種類かの最新の「自動運転」の類が装備されている車に乗りましたが、正直、今のレベルでは使い物にならないし、かえって疲れるものばかりでした。

「首都高速の渋滞時には“特に”有効です!」と言われて、ある輸入高級車の自動運転を使って実際に首都高に乗り入れましたが、結論から言うと、疲労と恐怖のあまり20分程で、その機能をoffにしました。

事前の説明はこうでした。

「加減速も、前車に追従しながら、全てクルマが行うし、車線からもはみ出さないし、少しなら、ステアリングの操作もクルマがしますが、"一応"ステアリングに手を添えて、集中はしていて下さい。」

実際は、途中から角度が変わるコーナーでは、突然、ステアリングアシストはしなくなるは、首都高名物、斜め右や左から合流してくるクルマを無視して速度を緩めない為に、結果、そのクルマを自車の前に合流させず、意地悪をした感じになってしまうは、で、とても自分の命を預ける気にはなれませんでした。

「すぐに慣れます」とメーカーの方は主張しますが、何より、“集中しながら”、何もしない、というのは、人間にとっては拷問です。

これまで新しい技術や制度等には常に慎重だった、国が、自動運転には、妙に前向きで、最近は「日本は自動運転でリードしているし、これからもリードしていく」と声高に推進してきたにもかかわらず、海の向こうの事故を受けて、急に「自動運転ではなく支援である」と態度を変える、一貫性の無さ等を見ると、色々な「大人の事情」が透けて見えるのは私だけでしょうか。

私は、「大人の事情」というものが、どうも好きになれません。私が仕事をしている業界にも沢山の「大人の事情」がありますが、「大人の事情」の内容は、往々にして「子供じみている」ものです。むしろ実際の子どもが考えている事の方が、真っすぐで、真っ当で、大人が学ぶべき事がイッパイです。

私が愛する「クルマ」というものが「大人の事情」に巻き込まれる事なく、作られ、売られて行く事を願ってやみません。

安東 弘樹

[ガズ―編集部]