顔と顔のコミュニケーション …TBS安東弘樹アナウンサー連載コラム

ここ20年程でしょうか。道を譲って貰ったりしたクルマが後方のクルマに対して“ハザード”を点滅させて「御礼」の意思表示をする習慣が定着したのは。勿論、これは良い事だとは思います。ただ、どうやら日本だけの習慣らしいです。

どうして、謝意を表す手段がこの“ハザード”になったのか、自分なりに考えてみたのですが、一番の理由は、最近ほとんどのクルマが後席の窓とリアガラスに“フィルム”を貼るようになったからではないでしょうか。中から手を挙げて御礼をしても後方のクルマには見えない為、ハザードを出すようになったのではないか、と私は推測しています。

では、何故、フィルムを貼る様になったか。あれは、紫外線防止という理由もあるでしょうが、後席に貼る事からも日本では“プライバシー”の確保という方がほとんどだと思います。プライバシー、すなわちクルマが“部屋”化してきた事と比例してフィルムを貼る習慣が定着してきたのでしょう。

確かに、道を走るクルマの半数以上が“ミニバン”という日本独特の状況を考えると、自然な事かもしれません。私が免許を取得した30年前は、ミニバンというカテゴリーも曖昧で、ほとんど走っていませんでしたし、所謂、ワンボックスカーが、今のミニバン的な使われ方をしていたと記憶していますが、まだ少数派でした。また、フィルムを貼っているクルマは芸能人等、「訳アリ」の方だけだった様な気がします。

ところが、ミニバンの様な“移動する部屋”は「マン島TTレース」のコラムに書きましたが、スピードを極度には求めない日本人の好みに合っていたのでしょう。あっという間に普及し始め、いつの間にか主流になっていきました。そして、ミニバンに求めるものは“部屋”、なのですからプライバシーを守りたくなるのも当然です。

私も現所有車の前には、ミニバンに乗っていました。これまでの所有車の中で唯一のミニバンになりましたが、確かにスライドドアは乗り降りに便利ですし、空間も広いので部屋としては最高です。

さて、今日申し上げたいのはミニバンの是非ではなく、フィルムの是非です。

今やミニバンだけではなく、ほぼ全てのクルマがフィルムを貼っています。私自身も、家族の希望により薄めの色にしましたが、色付きのグラスにしています。フィルム自体が悪いわけではありませんが、車検上問題無い色でも、車内の動作が見えるか見えないかが私は問題だと思っています。

以前(フィルムを貼る習慣が定着する前)は、進路を譲ってくれた後方のクルマに対して、手を挙げて、直接、御礼をしていました。そして、お互いに顔が見える状況で、例えば信号の無い交差点で、左右から来るクルマに進行を譲る時等、相手の顔を見て、直接手やしぐさでお互いにコミュニケーションを取る事が頻繁に有った気がします。

特に私が気を付けているのは、狭い道等で、歩行者が道を譲って下さった時には必ず、相手の顔(目)を見て、場合によっては窓を開けて、直接御礼を言う様にしています。歩行者にとって、金属の塊であるクルマは、ある意味“脅威”になりますので、私の好きなクルマを出来るだけ“脅威”にはしたくないという想いと、相手には“譲って良かった”と少しでも思って欲しいからです。しかも、クルマの中から御礼を表現する時は満面の笑みで、お詫びを表現する時は深々と頭を下げる事を心掛けています。

人間は、お互いに顔と顔のコミュニケーションが出来ていれば、同じ状況でも感情が変わって来る生き物です。

最近、学校は運動会をする際に騒音(子ども達の声や音楽をそう感じる方も居るので)近所の家への挨拶回りが大変だという記事を、目にする事が増えました。これも特に子どもが居ない近所の家と子供たちや学校が普段から“顔と顔”のコミュニケーションが希薄になってきているからだと私は考えます。

普段から登校、下校する子ども達と挨拶やコミュニケーションをしている“顔が見える”子供たちの歓声だったら“騒音”には聞こえないどころか、元気に走り回っている○○君や○○さんの事を想像して、思わず笑みがこぼれるのではないでしょうか。

“シャイ”な日本人にとっては特に“知り合い”と“他人”の境界が広いとされています。そういう意味では、日本でのネット上の言い争いを見ると良く分かります。恐らく、普段は口にしていないであろう、汚い言葉で罵倒し合う場面を、よく目にしますが、これは“顔が見えない者同士コミュニケーション”の顕著な悪例ではないでしょうか。

海外の友人が日本人のネット上の言い争いを見て、驚いていました。「普段、大人しい日本人が、こんなに攻撃的に争うのが想像できない」勿論、彼の国アメリカでもネット上の言い争いは有るが、それはお互いに顔を突き合わせての言い合いの延長で、普段と同じテンションでの“コミュニケーション”ですが、日本人の場合、普段の様子とあまりに違うので驚いた、という事です。

それと関連して、皆さんもよくご存じだと思いますが、欧米の人達は、お互い本当に気楽に挨拶をし合います。私は、例えば社内でも、エレベーターの中で偶然居合わせた人に対して相手が知人かそうでないかに関わらず、同じ会社内で働いている者同士ですので、必ず「お疲れ様です」とか「こんにちは」と、挨拶をする様にしています。

すると、多くの日本人は驚いて「あ、どうも」とか軽く会釈を返す位の方が多いですが、社内には海外のテレビ局の支社がいくつか入っているので、海外の方もいらっしゃって、そんな人達に挨拶すると、知人ではなくても必ず、笑顔で挨拶が返って来ます。

習慣の違いと言えばそれまでですが、顔と顔のコミュニケーションは出来るだけ頻繁にした方が社会は円滑に回るのではないでしょうか。

特にクルマの場合は外の世界と遮断された空間ですから、出来るだけ分かりやすく外に向かって意志をアピールしないと伝わりません。例えば、車線変更する時に道を譲ってくれた後方のクルマに謝意を表すとき、ハザードのボタンを押すのも素晴らしいと思いますが、それに加えて、手をさりげなく上げて、後ろのクルマに自分の身体で「ありがとう」の意思表示をすれば、更に気持ちが伝わるのではないでしょうか?勿論、大前提として、車線変更する時はウィンカーを必ず点滅させて、しかも手を上げた事が相手に伝わる(相手が視認出来る)窓の色でなければなりませんが。

私はクルマに乗る者同士、全ての方と仲良くしていきたいと常々思っています。皆さん、改めて、顔と顔、そして目を合わせてのコミュニケーションについて考えませんか?

[ガズ―編集部]