世界最大級のカスタムカーイベント『東京オートサロン』チューニング&カスタムカー 35年の歩み

35年にわたりチューニングやカスタムといった文化の発展に貢献してきた『東京オートサロン』。自動車の改造が違法で暴走族と混同された時代から、正々堂々と愛車で個性を主張できるようになった現在まで、その歴史は各年代の会場に展示された車両からも紐解くことができる。ここではそんな出展車両たちにスポットライトをあてて、35年の変遷を振り返ってみることにしよう。
また、第1回目から参加し続けている唯一の出展社『RE雨宮』の雨宮勇美代表にもお話を伺った。

個性満点のエキサイティングカーが集結

新車の性能に満足できないマニアたちが、ゼロヨンや最高速などで改造した愛車の性能を競い合い、スペシャルなボディスタイルを楽しむ「ドレスアップ」文化も広がるなど、クルマの個性化が進んだ1980年代初頭。当時、世の中のクルマ好きたちを虜にしていた雑誌OPTIONでは、これらを総称して「エキサイティングカー」と呼んでいた。
そして、こういった新しいクルマの楽しみ方をもっと世間にも認知してほしい! という志のもと開催されたのが、東京オートサロンの前身となる『東京エキサイティングカーショー』である。
第1回の出展車両は125台(45車種)。1位はフェアレディZで13台、2位はスカイライン9台。当時、誌面や走りスポットを賑わせていたマシンたちが平置きで並び、チューニングカーと直接触れ合うことができるはじめてのショーだった。ちなみに入場料は大人800円、学生500円、小学生300円。

第2回からは報道記者の審査によるコンテストもスタート。記念すべき総合グランプリ第1号に輝いたのは、5M-Gツインターボ仕様で国産車初の301.25km/hという金字塔を打ち立てた『HKS・M-300セリカ』だった
ターボチューンの黎明期で、試行錯誤を繰り返していた時代。超高速での走行に備えて手作りのエアロを装着した車両も多かった。また、開催時期がレースのオフシーズンと重なるため、シリーズを戦い抜いた現役レースカーなども多く展示された
エアロパーツやオールペンなどが流行する以前は、唯一のアピールポイントであるエンジンルームを見せるためにボンネットを開けている車両が多かった。また、ボディカラーもその時代の流行を映し出していた。そんな出展車両を評価した来場者アンケートの数も、イベントの人気を物語っている

『合法』を合い言葉に新たな時代が始まる

バブル景気が押し寄せた80年台後半から90年代初頭。R32を筆頭に大排気量ターボの新車が次々と登場し、それらをベースとしたチューニングやドレスアップもどんどんヒートアップしていった黄金時代である。さりげなくカッコよく300km/hを突破できるクルマが続々と登場し、完成度の高いコンプリートカーが人気を集めるようになった。
また、チューニング&カスタムカーが一般的に認知されるにしたがってアフターパーツメーカーにも動きが出てきた。例えばJASMA(日本自動車マフラー協会)が発足し、1990年からマフラー認定業務をスタート。それまではマフラー交換自体が違法とされていたものが、認定を受けたアイテムを選ぶことによってノーマルと同じように車検に合格することができる。公道を堂々と走ることができるようになるなど、チューニング&カスタムカーを取り巻く環境も大きく変化を遂げた。

海外からのエントリーも増えるなど、国内だけでなく海外からの注目度も高まっていった80年代後半。写真は1988年のコンプリートカー部門グランプリ『KM・021翔』と、ドイツからやってきた『トレーザー・シュポルト・ワーゲン』
カスタムカーコンテスト『チューニングカー部門』にエントリーしたマシンを、事前に高速試験路などに持ち込んで試乗するOPTION誌の『出展車両実力テスト』企画も人気を博した
680psオーバーを誇るヴェイルサイドのスープラ・コンバットモデルや、HKSの『ZERO-R』など、チューニング史に名を刻むマシンたちが続々と登場した時代。エンジン、外装、内装などすべてを高い次元で仕上げた『コンプリートカー』も数多く誕生した

自動車メーカーが参入、世界最大級のカーイベントに

もともとはチューニング&カスタムの祭典だった東京オートサロンだが、1990年代中盤からは国内外の自動車メーカーも出展するようになってきた。また、ミュージシャンのライブや屋外デモ走行など、イベント内容もより幅広いユーザーが楽しめるようにどんどん多角化がはかられてきた。
東京国際カスタムカーコンテストも、チューニングカー部門、コンセプトカー部門、ミニバン・ワゴン部門、セダン部門、Kカー・コンパクト部門、SUV部門、エコカー部門、インポートカー部門と、時代にあわせて細分化され、インターネットによる人気投票も行われるようになった。
2009年、2010年あたりはリーマンショックの影響を受けたものの、現在では幕張メッセ全館を使った世界最大級のカーイベントへと成長。3日間の開催で32万人以上の来場者を集めるまでに発展を遂げている。

1995年にBCNR33、1999年にはBNR34と、日産自動車がスカイラインGT-Rの新車発表を東京オートサロンで行ったことも大きなニュースとなった。しかも、新車発表と同時にチューニング済みの車両も数台展示されたのだ
国産スポーツカーに限らず、ミニバンやインポートカーのカスタム車両もどんどん増加。コンセプトモデルやカスタマイズ車両などをお披露目する場としても定着している

第1回目からすべてに参加し続ける唯一の存在
東京オートサロンの顔ともいえる“アマさん"に聞く

1983年に行われた第1回目の開催から35回目となる東京オートサロン2017まで、1度も休むことなく出展してきた唯一の出展社がRE雨宮。ご存知の通り、ロータリーの神様と謳われる“アマさん"こと雨宮勇美氏が率いる腕利きのチューニングショップだ。
いまや東京オートサロンの顔ともいえる存在であるアマさんに、35年前の思い出と東京オートサロンにかける想いを語って頂いた。

出展のお誘いなんて堅苦しいものはなかったよ。 何かクルマを持って晴海に来て、ってだけ (笑)

『東京オートサロンとの付きあいの始まりはDaiちゃん(発起人である稲田大二郎)からチューニングカーとかを集めたショーをやるからRE雨宮でも何かクルマを出してよ、なんて言われたのが最初じゃなかったかな。でもさ、ショーに飾るなんて言われても、そんなことやったことないからどうすりゃイイのか全然わからない。仕方ないからとりあえずその当時走らせていたロータリーを載せたシャンテと、最高速仕様のSA22C、ゼロヨン仕様のSA22Cの3台を用意して持っていったわけ。第1回のエキサイティングカーショーはチェーンでクルマのまわりを囲っているだけでハデなブースなんてないし、もちろんキャンギャルだっていない。それがさ、いまや3日間で32万人以上が世界中から観に来てくれるんだもん、なんだか感慨深いよねぇ。Daiちゃん達には悪いけどさ、正直なところ1回だけで終わるんじゃないかと思ってたくらいだからね(笑)』

そんな第1回の出展だったが、すでに腕利きのロータリーチューナーとして噂が広まっていたRE雨宮のマシンは来場者から絶大なる注目を集め、同時にショーでクルマを見たというお客さんからのチューニングの依頼が次々と飛び込むようになった。「これは自分達をアピールするのに絶好の場かもしれない」そう思ったアマさんは第2回以降も参加を続けることに決めたそうだ。

アマさんはアルバムに保管していた貴重な第1回開催時の模様がこれだ。RE雨宮では3台のマシンを持ち込み、大きな注目を集めた。

シャンテ、ロータスヨーロッパにロータリーエンジンを移植。多くのファンが熱狂した伝説のグレッディ7シリーズ

『最初は自分たちが乗っているクルマや、常連さんのクルマを展示していたんだけど、80年代の中盤以降はオートサロンに向けてクルマを作るようなった。それがGReddy(グレッディ)シリーズだね。第1作目のグレッディⅠはFC3Sベースに当時ウチが参加していたJSSっていうレースに使っていたワイドボディキットを装着。見た目だけじゃなくインテリアもボディカラーに合わせてブルーの革で張替えていて、あれは目立ったねー。外装だけじゃなく内装までトータルコーディネイトするのがRE雨宮流で、まだ当時は誰もそんなことやってなかったんじゃないかな? でも、ウチのデモカーは見た目だけじゃないというものこだわりのポイントだね。グレッディシリーズはショーが終わった後に公認を取得して、ストリートをガンガン走っていた。だってストリートを走れなきゃチューニングカーじゃないでしょ』
来場者に大人気となっていたグレッディシリーズは、グレッディⅣまでがFC3Sをベースとし、それ以降はFD3SやAZ-1、ロードスターなどがベースとなった。また、最近ではグレッディシリーズではないがRX8などもベースにコンプリートカーを製作。それらはすべてアマさん本人がアイディアを出し、作業にも係わってきたのだ。
そして、アマさんが何よりも大切にしている『ストリートを走れることが大前提』というこだわりは今でも貫かれている。

毎年、新しいクルマを作るのは本当に大変。何度も本気でヤメようと思ったよ

『1年ごとに新しいクルマを作るのは時間的にも、予算的にも、本当に大変。正直なところ何回も参加するのをヤメようかと考えたよ。でも、毎年多くのお客さんがウチのクルマを楽しみにしてきてくれていると思うとヤメられなかったね。それに自分自身もまだまだ作りたいクルマがある。きっとこれからも作り続けていくんだと思うよ』
このインタビューを行ったのは東京オートサロン2017の閉幕直後だったにも関わらず、すでに次回作のアイディアが浮かんでいるというアマさんは、インタビューに同行していたDaiに熱っぽくそのアイディアを語っていた。
これからも来場者がアッと驚くようなチューニングカーを作り続けてくれるに違いないだろう。

こちらは1989年に出展したグレッディシリーズの第1弾、FC3Sをベースとした「グレッディⅠ-7」。当時行われていたJSSシリーズマシンのストリートバージョンともいうべきもので、ボディカラーとインテリアをトータルコーディネイトするというのは、国産チューニングではRE雨宮が先駆けだった。
3ローターの20Bを搭載し、ルックスのほうも幅2メートル&ガルウイングという超大作の「グレッディⅢ(写真右)」も思い出の1台。『グランプリは獲れなかったけど、来場アンケートでは約3万票を集めてダントツの1位! 全体の33%以上だよ、すごく嬉しかったね〜』とアマさん
FD3Sを電動ガルウイング化したのが「グレッディⅤ」。リモコンで開閉させることができるドアは1度横にせり出した後、真上にハネ上がる。その開いたときの美しさは特筆に値する
AZ-1をベースにした超大作「グレッディⅥ-AZ1」。3ローターターボをミッドに搭載し、Cカー用のシーケンシャルミッションをドッキング。全シリーズ中でもっとも予算がかかっていたそうだ。アマさんはこのマシンで十勝24時間耐久やルマン24時間へ参戦できないかと考えていたという

取材協力:RE雨宮 ☎0476-90-0007 http://www.re-amemiya.co.jp/
photo: Tokyo Autosalon official/option/motosuke fujii(インタビュー撮影)

[ガズー編集部]

MORIZO on the Road