ワンオーナー歴46年!純正部品を買い集めオリジナルにこだわる理由【取材地:北海道】

1960年・70年代に一大ブームを起こした旧車のスポーツカーは、今や計り知れない価値をもつ。それがワンオーナー車となれば尚更だ。しかしそれを良好な保存状態でさらにオリジナリティを維持するとなると、当然環境作りや金額面でかなりの覚悟がないと厳しい。
今回ご紹介する札幌市在住の柿崎香さん(73才)は、27才の時に新車で購入したフェアレディZ(以下S30)を「死ぬまで付き合います」と覚悟を決め、動態保存でオリジナル状態の維持に全力を注ぐ。そんな柿崎さんにお話しを伺った。

「ぼくにとっては子供のころからクルマ自体が憧れの的でした。というのも、親が公務員で子供も6人だったので、当時クルマは夢のまた夢だったんです。運転免許は18才で取りましたが、大学4年になるまでは乗っていませんでした。そしてその年にS30が初めて誕生したしたんですが、その存在を知ったとき『今まで見たことがないかっこいいクルマだ!』と衝撃を受け、それからぼくにとって憧れの1台になりました。しかし当時はまだお金のない学生。まずは姉に借金をして日産の510ブルーバードを中古で買ったんです」

その後、就職した柿崎さんは、スバルレオーネなどの新車を2台、中古車もC10スカイライン、マツダルーチェやローレルなどを乗り継いだが『S30のようなカッコいい車に乗りたい』という憧れはずっと残っていたという。

「27才になった当時、レオーネ(妻用)とローレルというFFとFRの普通のクルマの2台を持っていたのですが、やっぱり憧れのクルマに乗りたい! とS30の中古車を探していたら、ディーラーで新型をオススメされて、つい新車を買ってしまったんです。お金もないのに(笑)」

こうして1975年10月、柿崎さんは憧れだったS30を購入する。フェアレディZの初代であるS30は、1969年に誕生して爆発的にヒット。1978年にS130へフルモデルチェンジされるまでの10年近く発売され、当時のスポーツカーブームに火をつけた立役者だ。
柿崎さんの所有するS30は昭和50年の排ガス規制後に発売されたEGI仕様で、グレードはL-Eだ。

「初めてこのクルマに乗ったときは、とにかく斬新な感覚でした。今までに乗ったクルマにないくらい車高も低いし、フロントノーズも長くて操縦している感じがとても楽しかったので、当時は通勤以外にも週末はドライブにいったりメンテナンスしたりしていました。ただ、このEGI仕様は排ガス規制に適応させたため点火でタイミングも遅らせているし加速も遅いので、Z仲間の間では実はあまり人気がないんです。まあ、ぼくは普通に走っていれば十分気の済む人間だったので、改造も考えなかったしあまり気にしてないですけどね」

柿崎さんはその後も約10年このクルマに乗り続けたが、所有車両がレオーネとジープと合わせて計3台になったことから、家計の節約のため1985年に一時抹消登録を行い、そこから10年間、屋根付きの車庫で保管することに。
ちなみに一時抹消をすると当時のナンバープレートを返納し復活時は新たなナンバーになってしまうが、柿崎さんはそれについても特に気にしなかったそうだ。

そして48才となった1996年、1年車検から2年車検に法律が変更されたのを機に再び車検を復活させるのだが、10年間眠らせただけあって一筋縄の復活とはいかなかった。

「さすが整備をお願いしたディーラーでも苦労していましたね。特に燃料タンクのサビが入り込んで吸気バルブが動かなくなっていたのが大変でした。でもその当時、たまたま日産部品のフロント係につとめていた同級生が全国に手配して新品の燃料タンクを探してくれたんです。そのおかげで、いまでもこのS30に諦めないで今乗り続けていることができています」

「周りのS30は改造車が多かったのですが、この復活時の経験を機に、今後のことも考えてぼくのS30は“オリジナルの維持”でいこうと決意したんです。劣化部品を交換する時も純正、もしくはできるだけ純正に近いものを使い、余計なものはつけないように心がけるようにしました」

オリジナルの状態を維持していくために欠かせないのが部品調達。柿崎さんはネットオークションでクルマの部品をしっかりチェックし、欲しいものがあれば使うかどうかに関わらず買うようにしていたそうだ。
そのため現在では部品置き場が大変ことになっていたらしく、今回の取材を機に状況把握のためのパーツリストも作成したという。

「妻もクルマが好きなんですが、年が年だけに『あなたが先に死んだらどうにもできないから早く処分して』と言われますね(苦笑)。昔はクルマも処分してと言っていましたが、さすがに今はその価値をわかってくれて何も言われなくなりました。ただ、税金が3台まとめてくるときはちょこっと小言をいただきますけど(笑)」

さらりと語る柿崎さんだが、その部品ストックはというと、お宝パーツも含めて「もう1台作れてしまうのでは!?」というほどの内容。
オリジナルにこだわる柿崎さんの本気度と、これまで積み重ねてきた苦労の大きさが窺える。

「周りがびっくりするくらいサビは少ないです。温度変化が激しいところはあまりよくないと聞いているので、家を建てる時に下がコンクリートの車庫にしたのがよかったのかもしれません。今のところ鉄板に穴があいているところはないですね。また、オールペンは純正色でこれまで2回行っていて、モール類も交換してる部分はあります。ただ、アメリカで社外のモール関連を一式買ったけどいまだ出番がないくらいですね」と、肝心のボディの状態は極めて良好だ。

「デザイン的には無駄な凸凹がない滑らかな曲線ラインが好きです。最近のクルマは印象的なボディラインが入っているものが多いけれど、ぼくはあまり好きではなくて。ヘッドライト周りも気に入ってますね。オプションでアクリルのライトカバーをつけていますし、ヘッドライト自体もいま発売されているものはフルフラットになってしまうので、それが嫌でラウンド形状のハロゲンライトを使用しています」

リアビューはZ好きにはあまり人気のないノーマルの2テールが気に入ってますよ。ホイールは純正のスチールホイールに少し前の型の純正ホイールカバーを装着していますが、ちゃんとこの型の純正も持っています」

内装に関しても基本はオリジナル。驚いたのは純正の8トラックがいまだに元気よく活躍していることだ。8トラックというのはカートリッジ式の磁気テープ再生装置で、当時のカーオーディオのスタンダート。車内には8トラ用のカセットがたくさん準備されていたのが印象的だ。
またフルオリジナルのエンジンルームも「L型6気筒ですからスカスカなんですけどそこがいいよね」とお気に入り。

このような感じに柿崎さんにとって理想的なフルノーマルの状態が維持されているS30だが、そのメンテナンスについてもご自身の考えに基づいて行動されているとのこと。

「車検は復活させるときこそディーラーでしたけど、そこから3回くらいは他の所有車同様に『自分でできるなら自分で』と、ユーザー車検にしていました。今はもうできるだけなにも触らずにカー用品店にお願いして、3回に1回くらいは点検も兼ねてディーラーに出しています。改造車の場合は車検の時にも苦労することがあるようですが、このクルマの場合は改造をしていないので車検の時にも手がかからないし、エンジンもばっちり一発始動です。あと、北海道の場合は年2回のタイヤ交換が必須ですが、年中行事で妻のクルマ含めて全部自分でやるようにしています。その際にタイヤ周りやブレーキを目視できるし、自分で乗るのにも安心できますから。体が動くうちはこれからも自分でやろうと思ってます」

購入時から今まで、燃費計算含めS30に関する記録をすべてまとめ、消耗品や劣化パーツをマメに交換等行っていることも、クルマの調子がいい一因になっていることだろう。
ちなみに柿崎さんは大学時代、工学部で電子工学について勉強していた理系のメカ好きで、このS30が電気系統で異変があったときなどは、配線図を見ながらご自身で処置もするのだとか。

このようにいつでも動く状態で保管されているこのS30だが、クルマ仲間と会ったりコロナ前までは毎年小樽で開催されているクラシックカー博覧会などのイベントに参加したりと、今は動かすのは大体年3回くらいという。

とはいえ、乗る頻度はそれほど多くなくても、柿崎さんにとっては他のどの所有車よりも思い入れは深い。
「27才で借金して買って、年収の半分はこのクルマに使っていたと思います。だから、死ぬまで乗り続けるつもりですよ」と、この愛機と最後まで人生を共にすることを心に決めているのだ。

(⽂: ⻄本尚恵 / 撮影: 平野 陽)

[ガズー編集部]

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