日本に2台しか生息しないミステリアスなグループBマシン、シトロエンBX 4TC
シトロエンBX 4TCと聞いて、すぐにどのようなクルマか思い浮かぶだろうか?1982年~1986年にかけて、WRC(世界ラリー選手権)には「グループB」というカテゴリーが存在していた。アウディ・スポーツクワトロS1や、ランチア・ラリー037、ランチア・デルタS4、プジョー・205ターボ16、フォード・RS200、トヨタ・セリカツインカムターボなどが参戦し、今なお熱狂的なファンが存在する。シトロエンBX 4TCも、そんなグループBに参戦したマシンの中の1台なのだ。
グループBに参戦するためのホモロゲーション取得に必要な生産台数は200台。当時は現在のワークスマシンのように、市販車とは似て非なるクルマではない。あくまでも市販車をベースに改良が施され、しかも短期間のうちに加速度的に進化を遂げた。その結果、前述のようなコンペティションマシンが各メーカーから投入されることとなった。しかし、その進化はあまりにも性急すぎたのかもしれない。結果として1986年に多発したラリーでの重大事故が決定打となり、グループBカテゴリーは廃止されてしまったのだ。
シトロエンBX 4TCのオーナー氏も、そんなグループBの世界に魅了された1人であることはいうまでもない。中学生のときにカーグラフィックTVなどで紹介されていたグループBマシンが疾走する映像を目の当たりにし、中でもアウディ・スポーツクワトロS1の、ドライバーがマシンをねじ伏せるように走る姿と当時のターボカー特有の音に惹かれた。これが強烈な原体験となったそうだ。
やがて大人になり、ヤナセでいすゞ PAネロハッチバック(1.5L/5MT)を購入したところからオーナー氏の愛車遍歴がスタートする。その後、メルセデス・ベンツ300SE(W126)やマセラティ・ビトゥルボESと、欧州車を中心に乗り継いだ。このビトゥルボESはタービンがブローしてしまい、主治医の勧めもあって思い切ってノンターボ化。これが功を奏してその後はトラブルフリーとなり、結果として6年ほど所有したという。いかにも当時のイタリア車らしいエピソードだ。
ビトゥルボESを手放したあとに結婚して家庭を持つようになり、しばらくクルマを所有していない時期があった。そんなある日、インターネットで調べものをしているときに、日本のシトロエン愛好家が運営するWebサイトでシトロエン BX4TCが売りに出されているのを見つけた。この愛好家とコンタクトを取って会ってみたところ、誠実な人柄に惹かれた。もちろん多少の不安もあったが、自身の目で実車を見てみたいという気持ちの方が勝っていたという。結果としてわずか4枚の写真だけで購入を決めることとなった。
それまでフランスのコレクターが所有していたというシトロエンBX 4TC(1986年式)は、2007年にオーナー氏の愛車となった。この個体とは納車時が初対面。コレクターが保有していただけあり、コンディションも比較的良好だった。現存する個体は世界でも30数台。日本にはオーナー氏の個体を含めて2台しか生息していない極めてレアな存在だ(オーナー氏の見解では、グループBのホモロゲーションを取得するために必要な200台は生産されていないのではないか?とのことだ)。
シトロエンBX 4TCは、プジョー505ベースの2.1L 直列4気筒ターボエンジンを搭載し、最高出力200馬力を発生する。ノーマルのシトロエンBXでは横置きだったエンジンを縦置きに変更し、パートタイム4WDと組み合わせている。トランスミッションはシトロエンSM用のものを流用している。グラマラスなボディはコンペティションマシンの雰囲気を漂わせているが、いささか急造した感も拭えない。当時、圧倒的な強さを誇っていたプジョーに対して、シトロエンとしても一矢報いたかったのであろうか。オーナー氏も、当時の開発陣がどのような意図でこのクルマを造り上げたのか興味を抱いている。
納車時は約7,000キロだったオドメータが、現在は15,000キロ台を刻んでいる。つまり、現オーナーの方が過去のオーナーたちよりも多くの距離を走ったことになる。手に入れて間もなく10年を迎えるが、納車されて最初の1年半くらいはトラブルに悩まされた。エンジンを始動して出掛けても、オーバーヒート、燃料ポンプの故障など、2回に1回は何らかのトラブルに見舞われたそうだ。
クラッチが滑ってきたときは部品番号が分からず、結果として3年近くそのままの状態で乗ることになってしまった。あるとき、eBayにフランスからシトロエンBX 4TCのサービスマニュアルとパーツカタログ、オーナーズマニュアルが出品されているのを発見。フランス国内にしか売らないという出品者に頼み込み、何とか日本まで送ってもらったそうだ。しかし、これで解決とはならなかった。現在とは部品番号の表記が異なっていたのだ。そこでオーナー自ら調べ、ついに該当する部品を見つけ出し、無事、クラッチ交換にこぎつけたというから恐れ入る。そんな熱意と努力の甲斐あってか、ここ5年くらいはノントラブルだ。実は取材時もエンジンを掛けるのは3ヶ月ぶりだったが、一発で目覚めてくれた。
コンペティションマシンというと、シビアな操作や限られた用途でのみ本領を発揮するようなイメージを持つかもしれない。意外なことに、シトロエンBX 4TCはグランツーリスモ的な乗り方にも対応できる。驚くことに、家族の足として買い物にも行けるほどの柔軟性を兼ね備えているのだ。燃費も、街乗りで5キロ、高速で8キロ台と、当時のコンペティションマシンであることを考慮すれば妥当といえるだろう。
欠損していたフロントのバンパーグリルの一部を自ら工作して復元させたり、色抜けしていたホイールカバーをシルバーに再塗装するなど、当時のコンディションに近づけることに注力している。フランスで保管されていたときは競技用のエボリューションキットが装着されていたそうだが、日本の法規の関係からノーマル(現在の姿)に戻して輸入された。装着されていたキットもクルマとともに日本へ持ち込まれ、いつの日かエボリューション仕様にモディファイするときのためにオーナー氏が大切に保管している。また、ETC車載器の存在も見えないように隠して設置するなど、当時の雰囲気を崩さないように配慮する点も抜かりはない。
少年時代のオーナー氏を熱狂させたグループBマシンたち。その一躍を担ったシトロエンBX 4TCのオーナーとなったことで、日本国内のグループBマシンを所有する仲間とも知り合えた。またこの個体とともに、少年時代から観ているカーグラフィックTVへの出演を果たすこともできた。オーナー氏自ら「ミステリアスな存在」と語るほど謎が多いクルマゆえに苦労もあったが、それ以上に得られたもの、実現できたことの方が多いはずだ。そして何より、シトロエンBX 4TCという、憧れのグループBマシンを所有することができた喜びは何物にも代えがたいのだろう。
かつて、WRCにグループBというカテゴリーがあったこと。そこに各自動車メーカーからさまざまなコンペティションマシンが投入され、数々のドラマが生まれたこと。それも、気づけば30年前のできごとだ。いつまでも人々の記憶に残っていてほしいという願いを込めて、グループBマシンのオーナーたちとその魅力を伝えていきたいと語ってくれたオーナー氏は、少年時代の眼差しと同じ輝きを放っていた。
(編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき / 撮影協力: レトロモビル・ミュージアム・ガレージ)
[ガズー編集部]
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