スカイラインGT-R「2年に1度の車検整備は千葉県まで」北海道に移住してからも続く主治医との信頼関係【取材地:北海道】

GT-Rはクルマに乗る前からずっと興味があって、いずれ国産の最高峰のクルマに乗ってみたいという気持ちを憧れとして持っていました」
そう話すのはオーナーの西川慧さん(37才)。現在は親戚が札幌市で営む飲食店の経営に携わる仕事をしている西川さんにとって、10年前に手に入れたこのBNR34型スカイラインGT-Rには、かつての東京での職場で過ごした青春の思い出が詰まっているという。

西川さんがクルマに興味を持ち始めたのは中学生のころだった。当時F1に参戦していたホンダの活躍を見て、自身もホンダ党に育っていたという。レースへの憧れは高校生になってもそのままで、いずれレースメカニックになりたいという気持ちから高校卒業後は自動車整備学校へ進学した。しかし、いくら憧れがあっても本格的にレースに関わる仕事に就けるのは業界でも一握りの狭き門。さらに高い実力も求められる厳しい世界ということもあり、卒業後の進路を悩んだ結果選んだのは、クルマに関わる雑誌の編集者という道だった。

「入った会社はクルマを改造するチューニングというジャンルの専門誌をばかりを作っていたところでした。研修期間が過ぎて、最初に配属されたのはワゴン系雑誌で、それが休刊になってからは、自分でクルマをイジるDIY企画の多い姉妹誌の方へ配属になりました。その本は編集スタッフが登場することが多くて、その時は本名じゃなくてニックネームを使うんですが、自分の名前の漢字をもじって編集長から“スイスイ”というあだ名を付けてもらいました」

当時所有していたのは、就職後にはじめての愛車として購入したDC2型のホンダ・インテグラタイプR。ホンダ党だった時代からのVTECエンジンへの憧れと、中古で手に入れやすい価格だったこともあり選んだ車種だった。

「でも、最初の1台は1年経たずにブツけて壊しちゃったんです。これからもっとイジって乗りたいと思っていたところだったので、同じインテで耐久レースに使われていたドンガラのベース車を手に入れて、前のクルマで無事だった内装とかを移植して、それは3年くらい乗っていたかな」
エンジンにも思い入れがあり、愛着があって乗っていたインテグラだったが、その後とある事情でしばらく愛車に乗れない時期が来てしまう。
「GT-Rに乗り換えようと思い始めたのはその時ですね。ちょうどクルマの維持費もかからずにお金を貯めることもできたので。まだそんなにGT-Rの値段も上がっていない頃だったから、中古車オークションで距離は結構走っているけどドノーマルの車体を300万円で手に入れることができました」

「赤いボディのBNR34でした。しばらくはイジるつもりもなくて、車高調を入れたくらいのほとんどノーマルの状態のまま楽しんでいたんですが、インテと同じで1年経たずに事故で全損しちゃったんです。それもまだ全然乗れてなくて消化不良だったので、乗り換えるためのR34を探しました」

事故にあったGT-Rは全損とはいえ、エンジン本体などに問題はなく、パーツの載せ換え先を用意することで、車両保険と合わせればステップアップしたチューニングもできそうなことがわかり、今度は車両の手配からパーツの移植、チューニングまでをプロショップに依頼することを決めた。

その先に選んだのは千葉県柏市の『MCR』。代表の小林真一氏はレース車両のエンジン製作やエンジニアを務め、パーツメーカーの開発ドライバーとしても活躍する『作って乗れる』チューナーだ。
「小林さんには雑誌の企画で色々とお世話になっていたし、取材を通じて見てきた中でもここの作るクルマが好きだったんです。それで自分が一番信頼できるお店だと思ったので、MCRにあったBNR34のボディを使って現在の仕様にほとんど近い形で仕上げてもらいました」

「走っていて停められたりするのは嫌なので『合法仕様で』とお願いしました」というBNR34は、それまでの愛車のように短命ではなく、友人とのキャンプや路上での修理作業など、西川さんと共にさまざまな思い出を積み重ねていくことになる。

MCRで仕上げたエンジンはRB26DETTをベースに、ノーマルと比べて耐久性の高いN1ブロックやピストン、コンロッドを使用。カムシャフトやタービンもアフターパーツに交換済みで、街乗りも快適に走れる仕上がりとなっている。

エンジンルームを眺めて「いまとなっては製廃になったパーツも多くて、当時のチューニングカーに詳しい人が見たら懐かしいと思うパーツばかりですね」と感慨深く話す西川さん。冷却系は性能と信頼性の高さから高価ながらも人気だったARC製のラジエターやインタークーラーを装着。旧設計のニスモ製サージタンクも時代を代表するパーツだ。

珍しいオーバル形状のニスモ製ヴェルディナマフラーも当時の流行を感じさせる製廃パーツ。エンケイの18インチホイールから見えるキャリパーはフェラーリF40のブレンボ製を装着。リヤにはロータスのブレンボキャリパーを使用していて、どちらもBNR34の当時の定番流用チューンとして憧れていた人も多いのではないだろうか。

第二世代のBNR32からスクエアタイプのデザインに変わったGT-Rのエンブレムは、第一世代GT-Rのハコスカに採用されていた水平デザインへ。これは購入当時に一部のGT-Rオーナーで流行っているのを見てカッコいいと思い、憧れた部分でもあるそうだ。

運転席と助手席に揃えられたレカロSR-2のリクライニングシートは「インテグラタイプRに採用されていた純正レカロシートに似ているから」と選んだという西川さんならではのチョイスだ。

このGT-Rを手に入れてから程なく、西川さんは雑誌の編集の仕事を離れて広告などのマーケティング業務を行う会社に転職。5年間ほど働いた後、現在の北海道へ移住するきっかけとなる話がやってくる。
「北海道にいる親戚から、経営する飲食店を手伝わないか?という相談をされたんです。ちょうど自分も30才を過ぎたころで転機だと思い、今まで全く無縁だった飲食の世界にも興味があったので、思い切ってこちらに引っ越すことにしました」

自動車雑誌の編集部に在籍していたころから交際していて、昨年入籍したばかりという現在の奥様からも理解を得られたことで、2人はGT-Rとともに札幌市へ移住。それから約6年間、いままで関わってこなかった飲食店で直接お客さんと触れ合うことにもやりがいを感じつつ、コロナ禍の苦境を乗り越え安定した生活を送ることが続けられている。

ちなみに奥様は全くといっていいほどクルマには興味がなく、ドライブに乗ることはあってもプライベートの二人にはほとんど影響してこなかったという関係性。夫が一人で楽しんでいる趣味として理解してくれていることで、北海道に来てからもGT-Rを変わらずに維持し続けることができているという。

そして、もうひとつ北海道に来てからも変わらずに続いているのが、このGT-RをチューニングしたMCRとの関係だ。

「2年に一度の車検の整備は必ずMCRに依頼しています。車検の時期が来たら自走でフェリーに乗せて千葉のお店まで行くんです。そこで小林さんとクルマについて話し合って、次の車検までの2年間でトラブルが起きそうな部分を探してもらって、必要なメンテナンスをまとめてやってもらうカタチです。前々回、3年前の車検のときは配線の寿命が近かったのでかなり大掛かりな修理をお願いしましたね」

エンジンハーネスを引き直すのにあたり、購入当時に使用していたフルコンピュータを最新のモデルへ変更し、さらには足まわりもテインの車高調へリフレッシュ。EDFCという車内から減衰力を調整できるオプションも追加した。
ちなみにこの車高調も、自らレースに出場するドライバーとしての顔を持つ小林代表が開発に関わっていることから信頼を寄せて選んだパーツだ。

西川さんがどれだけMCRというお店を信頼しているかは、このGT-Rに唯一貼られたリヤクォーターウインドウ左右のステッカーからも伺える。
これは前オーナー時代から貼られているもので、MCRでは小林代表から認められた一部のオーナーにしか貼ることを許されないというブルーロゴ。当時編集部員だった西川さんも恐れ多く剥がすべきかを尋ねたが、小林代表から「剥がさなくていいよ」と言われた当時のセリフがいまだに心に残っているそうだ。

今回の撮影にあたっては、自分が担当していたころの雑誌を持ってきていただいた。その中には、ボディ補強特集号の企画の一部として西川さんがこのGT-RをMCRに持ち込み、実際にスポット増し溶接を行っていた記事も残っていた。西川さんにとってこのGT-Rは、濃密な20代を過ごした東京での青春時代の思い出が詰まったかけがえのない愛車なのだ。

今では海外での人気高騰もあって数千万円で取引されるBNR34だが、すでに生産終了から約20年が経過し、調子のいい状態で維持するのは決して簡単なことではない。
西川さんがこのGT-Rに安心して乗り続けることができるのは「信頼のおけるプロショップの存在が必要不可欠」だという。北海道から千葉県のMCRへの2年に1度の遠征は、西川さんがこの愛車とともにある限り続く"儀式"と言えるだろう。

(文: 長谷川実路 / 撮影: 平野 陽)

[ガズー編集部]

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