スーパーカーと東京、移り変わる街を駆け抜けるランボルギーニ・ウラカン LP610-4

東京は、時代によって大きく姿を変えてきた街といえるだろう。戦争によって焦土と化した街並みは、高度経済成長期を経て、世界有数の都市へと変貌を遂げた。そして今も、その姿を変えつつある。東京タワーを見れば「ALWAYS 三丁目の夕日」に描かれた、昭和の古き良き時代を思い起こす人がいるだろう。このように、時代を象徴する建造物が多くあるのも、東京ならではの景色かもしれない。それらの建造物に対して、日本人であれば、特別な感情を抱く人も多いのではないだろうか。

2017年現在の東京は、2020年のオリンピック開催に向けて、各地で大規模な工事が行われている。まさに、建設ラッシュという言葉がふさわしい状態だ。その中でも新国立競技場の存在は、東京の新たな時代を象徴するものかもしれない。

東京で、2度目のオリンピックが開催されることが決まったのは、2013年のことだ。1964年の初開催から、実に56年ぶりにオリンピックが行われることとなった。国立競技場は、東京オリンピック初開催時に建設されたもので、それ以来、日本のアスリートたちにとって、憧れの舞台であり続けてきた。2020年のオリンピック開催が決定し、紆余曲折を経て、新たな国立競技場が作られることとなったのは、まだ記憶に新しいところだろう。

東京オリンピックが初開催された1964年は、日本で自動車が本格的に普及し始めた時期にあたる。カラーテレビ、クーラー、カーの頭文字を取った「3C」と呼ばれる新・三種の神器にも含まれていた。時を同じくして、イタリアでは、ランボルギーニというトラクターメーカーが乗用車を作るようになったのだが、当時の日本人でこの事実を認識していた人は、果たしてどれほどいたのだろうか。

東京オリンピックから10年後、1970年代になると、日本の子どもたちを熱狂させたスーパーカーブームがやってくる。各地でスーパーカーショーが開催され、スーパーカーが並ぶ輸入車販売店には、大勢の子どもたちが、カメラを構えて押し寄せるといった状態になっていた。

しかし、今の東京に目を移せば、ランボルギーニのみならずフェラーリをはじめとするスーパーカーを、街中で見かけること自体が珍しい光景ではなくなったように思う。都心を歩いていれば、かなりの確率でスーパーカーと遭遇することができるはずだ。もし、このような状況にスーパーカーブーム時の子どもたちが遭遇したら、おそらくは狂喜乱舞するに違いないだろう。

しかし、21世紀となった現代では、そのようなクルマに目を向け、関心を示す人は少ないように思う。しかし、いつの時代もスーパーカー好きであれば反射的に目で追ってしまうだろうし、急激に増えた外国人観光客が声をあげて驚き、スマートフォンで撮影している姿も見られる。もはや、東京では当たり前になりつつある風景が、外国人観光客には夢のようなできごとに映っているのだろうか。

東京を走るスーパーカーの中でも一際目立つ存在なのは、やはりランボルギーニだろう。2014年にデビューしたランボルギーニ・ウラカンも、都心ではよく見られる存在になった。それもそのはず、日本のランボルギーニの販売台数は、毎年大きく伸びていて、世界ではアメリカの次に大きな市場でもあるのだ。

若くして、ランボルギーニ・ウラカンを自らの力で手に入れたオーナー。意外にもクルマへの関心は、26歳のときに初めての愛車である、レクサス・IS350を手にするまで、あまりなかったのだそうだ。

「初めての愛車を買うときにアドバイスしてくれた友人が、納車時にアウディ・R8に乗って駆けつけてくれたんです。そのときに初めて、この種のクルマがカッコイイなと思うようになったんです」。

それから自身でもアウディ・R8を所有することとなったのだが、憧れのクルマを手にしたときの感動はとても大きかったそうだ。自ら起業し、50人もの社員を抱える規模にまで成長させてきたオーナーにとって、その夢を叶えた瞬間は色々なものがこみ上げてきただろう。そのR8からステップアップし、ランボルギーニ・ウラカンを新たな愛車として迎えた理由を聞いてみた。

「もともとガヤルドが欲しいなと思っていたんですが、後継モデルにあたるウラカンがデビューして、こちらの方が気になっていました。実際に買うときは、フェラーリ・458と迷っていたのですが、エキゾーストサウンドの良さでウラカン LP610-4にしました。サウンドでウラカンを選んだと言っても過言ではないですね」。

同クラスのスーパーカーのほとんどが、ダウンサイジングターボとなってしまい、今となっては珍しい5.2Lの大排気量で、610馬力を発揮するNAエンジンだ。特にオーナーは、このV型10気筒エンジンが放つサウンドがとても気に入っているという。

また、昨今のスーパーカーは内外装のカラーバリエーションがたいへん多く、新車で購入する場合は、膨大な組み合わせの中から、自分だけのマシンをカスタマイズすることができる。オーナーはユーズドカーのウラカンを購入したのだが、数あるウラカンの中でこの個体を選んだポイントはどこだったのだろうか。

「自分好みのエクステリアやインテリア、コンディションのクルマを探していたんですが、こだわりすぎると新車を買うことになってしまいます。このウラカンは、内装の色とブレーキキャリパーの色がレッドで統一されていたので、それが購入の決め手になりました」。

ランボルギーニを手に入れたことは、既に両親にも伝えたというオーナー。どんな反応が返ってきたのか気になるところだ。

「両親にもウラカンを買ったことを報告したのですが、父から『カウンタック買ったんだって?おめでとう』というメールの返信があって、『そうじゃないよ(笑) 』という感じでしたね。まだ見せられていないので、これからお披露目するつもりです」。

ウラカンを手にする前から、夜の首都高をドライブして辰巳パーキングエリアや、大黒パーキングエリアへ好んで行くことが多いオーナーだが、その道中で最新のスーパーカーの利便性やパフォーマンスの高さに驚いたという。

「フロントリフティングがついているのが、ものすごく便利です。加えて、ガヤルドでは起きなかったクリープ現象がウラカンにはあるので、渋滞時は楽ですね。最もすごいと感じたのは、4WDの電子制御の部分です。走行モードをチェンジすることで、前後の駆動配分が変化するのですが、そこで電子制御の絶妙なセッティングを体感することができました」。

ウラカンを手にしてからまだ短い期間しか経っていないというが、都内を走らせていると写真を撮られたり、視線を感じたりすることは多いそうだ。それを実感した上で、オーナーはこんな言葉を残してくれた。

「やっぱり目立つクルマなのでスマートに乗りたいです。ごく当たり前のことですが、マナーを守って割り込んだりせず、状況に応じて進路を譲ったりすることが、スマートさに繋がると思います」。

移り変わる東京の景色の中を、颯爽と駆け抜けて行くスーパーカー。そこに向けられる眼差しはいつの時代も、憧れというものがあるだろう。その憧れが人々の夢を抱くきっかけとなったり、活力をみなぎらせる要素になっているように思う。近い将来、電気自動車のスーパーカーが当たり前の時代が訪れるのだろうか?このウラカンのように、大排気量のエンジンを搭載したクルマは少数派になりつつあるのかもしれない。しかし、いつの時代も、スーパーカーが東京の街を彩り、憧れの存在であり続けて欲しいものだ。

決して誤解して欲しくないのだが、若きウラカンのオーナーは、自らを信じて起業し、人の何倍も努力と苦労を重ねたからこそ、このクルマを手に入れることができたのだ。羨望の眼差しを受ける資格を得ることは、たやすいことではないことも追記しておきたい。

【撮影地:新国立競技場 建設予定地(東京都新宿区/渋谷区)】

(編集: vehiclenaviMAGAZINE編集部 / 撮影: 古宮こうき)

[ガズー編集部]

MORIZO on the Road