「乗っていると1分1秒が楽しい」曲がった瞬間、恋に落ちたホンダ・ビート
1991年5月から1996年まで販売された、軽ミッドシップ2シーターオープンカーのホンダ・ビート(PP1)。生産終了から約20年経ってもなお、その個性的で強烈なキャラクターに魅了されている人は数多く存在し、数年前の調査によると総生産台数の約6割となる約2万台が今でも現存しているという。
6割…それだけの人がビートに乗り続けている、もしくは新たにオーナーになったという事実を知ると、この車種に興味をそそられる人もいるのではないだろうか。
その6割のうちの1人であるナスさんも、その気持ちが痛いぐらいわかるとインタビューに答えてくれた。ちなみにナスさんは、現在の愛車の前にもう1台ビートを所有したことがあるという“出戻りオーナー”だ。
「古いクルマなんだけどね、乗っている人が一定数いるということもあってか、まだホンダから純正部品が販売されているんです。だから維持はそんなには大変じゃないんです」
笑顔で話してくれた言葉の裏には『だから、乗ってしまうと僕のように手放せなくなってしまってしまう人が多いんですよ!』という言葉も隠されていたと思う。
では、具体的にどういう所が良くてそう感じるのかを聞くと『遅いからこそ、速さ以外の良さに気付ける』ところだという。
「もちろん、オープンカーであったり、エンジンサウンドが自分の後ろから聞こえるといった点も気に入っていますが、1番の魅力は常にエンジン全体を使い切る走りを楽しめること。そして使い切ったとて、そこまで速くはないところなんです」
ナスさんはビートを購入するまでに、国産車のみならず、輸入車のスポーツカー、ミニバン、セダンなど、ジャンル問わずに何台ものクルマに乗る機会があったそうだ。というのも、中古車屋さんで働いていたため、気になるクルマが店に在庫車として入ってくると「車両の状態が気になるから、ちょっと調子を見てくる」と山形から高速に乗り、仙台まで2〜3時間のチェック走行は“あるある"だったとニヤリとした。
中古車屋さんの仕事に就くまでは雑誌に記載してあるスペックだけを見てクルマを判断してしまうことが多かったし、どうしてもハイパワーなクルマに目がいきがちで、最初の頃はGT-Rなどの速いクルマが入ってくると鍵を握って意気揚々とチェック走行にでかけたという。その走りは流石で、路面の状態をハンドルにしっかりと伝えてくれるし、鋭い加速やアクセルレスポンスの良さに驚いたという。ただ、自分の好みではなかったと話してくれた。
「ビートに出会ってから気付いたんです。僕の場合は、1分1秒速いクルマが良いんじゃなくて、1分1秒楽しいクルマが良いんだということに。速さから楽しさがくる人もいれば、操作感や感触からそれがくる人もいるわけで、僕は後者だったんですよね」
そんなビートとの出会いも、お店に在庫車として入ってきた時のことだった。お財布に優しい値段のオープンカーとはどんなものか?と、興味をそそられて運転席に座ったという。駐車場から大通りに出て、信号までの道を加速すると、あまりの遅さに驚いたと笑った。「全然加速しないじゃないか!」というのが、ファーストインプレッションだったそうだ。
あまりに期待はずれだったため、適当に店の周りを走って戻ろうと信号のカーブを曲がったその時…ファーストインプレッションは180度違うものになったと興奮気味に話してくれた。
「鼻はくいっと入るのに、その後はアンダーステアなんです。まずそこで、何で!?ってなりましたね。 アクセルを抜いた時の挙動も独特だし、今思えば“違和感"だらけでした。そう、走りが良いとかいうよりも、いろいろな違和感が気になって『何だこのクルマは…面白いじゃないか!』という感じでした。あのGT-Rと同等か、それ以上の感動がこの小さな軽自動車にあったんです」
そうなると居ても立っても居られずに、地下水脈にぶつかるまで掘り下げるがごとく、ビートの面白さを知りたくなっていったそうだ。そして知れば知るほど、その個性的な走りにどんどん夢中になっていったのだという。
「買いましたよ。乗れば乗るほど、あぁ、もっと乗りたい、欲しいと思わせるんですもの」
決して速いとは言えないが、その分エンジンを目一杯使い切りながら走る楽しさ。運転席のすぐ後ろで聞こえるエンジン音と、加速すると後ろから押されるような感覚。パワステが付いていないため、白線を踏んだかどうかも分かるくらい路面の状態がダイレクトにハンドルに伝わってくる面白さ。なにより、人生初のオープンカーは、かなり所有欲を満たされたという。
子供の頃からWRCが好きだったということもあり、ラリー車を模して内装を全部はがして簡素化&軽量化したり、よりシンプルに見せるために車内をすべて白く塗ったりもした。また、カーボン板をセンターコンソールに切って取り付け、そこに電装のスイッチ類を集結させるなどもしていたという。もちろん、そのスイッチは競技車両でお馴染みのトグルスイッチだ。
飛んだりスピンしたりといった本格的なラリー走行まではいかないが、ラリースタッドレスタイヤを履いて“雪ドリ”を楽しむのも冬の醍醐味だったという。
乾いた路面の上でドリフトをしようとなると、それなりの車両スペックや運転技術が必要だが、路面のミューが低い氷や雪の上では低速域でそれを楽しめるのが良いのだそうだ。
「どれくらい低スピードでやっているかというと、あっ!スピンした!となるでしょ?そしたら、クルマが回っている間にミラーを畳んで、一呼吸おいてからフワフワの雪の壁に優しくぶつかるという感じなんです(笑)。ゆっくり非日常走行を味わえるというのは、なかなか良いものですよ」
そう楽しそうに話す口ぶりからは、ビートで走ることがいかに楽しかったが溢れるように伝わってくる。
ところが、そんなビートとのカーライフを5年ほど送り、次の車検が迫ったタイミングで中古屋さんにお客さんが尋ねてきたそうだ。聞けばビートを売って欲しいと言う。
「違うオープンカーに乗ってみたいというのもありましたし、15万円で購入して14万km走ったビートが、買ったときよりも高い値段で売れるとなったら…まぁそういうことです」
ハハハと笑うナスさんが次に愛車として迎え入れたのは初代ロードスターだったという。
ビートは楽しかったが排気量の限界を感じるところがあったし、2シーターでオープンカーというクルマをあえて作ったメーカーの心意気にもグッときたのだそうだ。
さて、どんなものか?とハンドルを握ると「エンジンのレスポンスや操作のタイミングが、どうしてもビートとはワンテンポずれてしまうのが気になってしまって…」と、想像していたのとは少し違っていたと話してくれた。
ロードスターもすごく素敵なクルマなのに、ついついビートと比べてしまう…どうしたものか…そんな悩みをかかえていた時に、仲の良かった友人がビートを手放すという話を耳にしてしまい、聞き流すことができなかったという。
「俺が買う!!!!」
こうして、ナスさんは2度目のビートオーナーになった。
ワンオフ加工したアフターパーツメーカー製フロントバンパーを装着し、運転席がバケットシートに交換されてロールケージも組まれた2台目のビートは、最終モデルに設定された特別仕様車のバージョンZだ。
久しぶりにシートに座ってハンドルを握ると、懐かしいようなホッとするような、そんな気持ちになったという。
ワインディングのような細めの道はリズムよくクイクイと曲がっていくのに対し、ヘアピンの立ち上がりはやっぱり排気量の無さを感じてしまうところなど、すべてナスさんの手の内、手のひらからこぼれ落ちない走りをしてくれるという。
思わず笑みが溢れてオープンにすると、空気の塊がビートの上を通り過ぎて季節を教えてくれるのだそうだ。そんなときは真っすぐに家には帰らず、絶景スポットへとコーヒーを淹れに行くという。そのために、持ち運び用のコーヒーセットを助手席の足元に忍ばせているのだ。
「これだからビートはやめられないんです」
ダダダダダとビートを刻むように、ナスさんとビートの鼓動はだんだん高まっていく。
取材協力:やまぎん県民ホール(山形県山形市双葉町1丁目2-38)
(⽂: 矢田部明子 撮影: 平野 陽)
[GAZOO編集部]
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