父から譲り受けたスカイラインGTS-tタイプM。手放す寸前で気付いた、愛車がくれたかけがえのない時間

  • GAZOO愛車取材会の会場である千葉県の『さんばしひろば』で取材した日産・スカイラインGTS-tタイプM(HCR32型)

    日産・スカイラインGTS-tタイプM(HCR32型)


乗り始めた時はただの足代わりだったはずの愛車でも、長年乗っているうちに気が付くとかけがえのない存在に変化していることがある。
今回ご紹介する千葉県在住の『つな』さんも、学生時代から足代わりで乗っていたスカイラインが、絶対に手放すことができない大切な相棒へ大きく変化したおひとり。一体なにが彼の心境の変化をもたらしたのだろうか。

彼がクルマ好きになったのは、R30スカイラインに乗っていた父親の影響だという。
「小さな頃から、父が乗っていたR30型のスカイラインがあったので、自然とスカイラインを好きになっていました。当時は父と一緒にディーラーに行って、カタログを片っ端から集めていましたね。そして、このR32型スカイラインを購入しに行った時も、父と一緒でした。いずれは自分が乗り継ぐことも考えて、2ドアのマニュアルミッションで、リヤスポイラー付きなど、自分の好みをガッツリ反映してもらいました(笑)。また、父も『R32スカイラインを買いたい』と主張しても、母にダメと言われてしまう可能性が高かったみたいで、息子の僕が『これがいい!』と言えば許可がもらえると、親子2人で選んだ一台でした」

父親が新車購入したスカイラインは、1990年式のスカイラインGTS-tタイプM(HCR32型)、2ドアの5速MT車である。
ボディカラーも2人で決めたそうで「本当は僕たち2人ともブラックが良かったんです。けれど、向かいに住んでいるお姉さんの所に、毎日のように迎えにきている彼氏さんのクルマがR32のブラックだったので被りたくなくて。父親も54歳くらいだったから落ち着いた色が良いとなった結果、ネイビーになりました」と教えてくれた。こういったエピソードからもお父様との仲の良さが窺える。

その後の3年間は、お父様が通勤や普段の移動手段としてこのスカイラインに乗っていたが、つなさんが大学3年生の時に実家からのクルマ通学となったのを機に譲られたのだという。しかし当時、スカイラインは“2軍”的な役割だったそうだ。

「あの頃の僕は、クルマ以上にオートバイにハマっていたんです。ですから、自分にとっての移動手段やカスタマイズを楽しむ対象はオートバイで、当時のスカイラインの立ち位置は雨が降った時などの移動手段になっていましたね。そして大学を卒業してからは、毎日の通勤車として使うことになり、年間1万5000kmくらい走っていたので走行距離数はグングン延びていきましたね」

1990年代は、魅力的なスポーツカーが数多くリリースされていた。当時のつなさんのように、若い頃はスポーツカーを愛車としていた人も多かったことだろう。しかし、齢を重ねていくと、結婚や子育てなどライフステージが変わるにつれ、ミニバンやコンパクトカーなどの実用車に乗り換えるケースがほとんどなのである。

そんな中、位置付け的には単なる“移動手段”だったこのスカイラインを、彼はなぜ一度も乗り換えず所有し続けているのだろうか。それが気になって伺ったところ、過去に一度だけ本気で乗り換える寸前までいった出来事があったという。

「BMWのMシリーズを、富士スピードウェイで全開走行できるというイベントに当たったことがあったんです。そこで乗ってみたら、案の定、欲しくなってしまったんですよね。その後、BMWのE90型に乗り換えようという話が進み、見積もりを取って支払い面もクリアし、あとは書類に印鑑を押すだけのところまで話が進んだんです。でもこのクルマ、当時は底値だったので手放したら潰されてしまう可能性が高かった。そこで父親にも乗らないか聞いたんですが、流石にもうマニュアル車は乗らないと言われてしまいました。悩んだ末『潰されてしまう可能性があるなら、やっぱり手放せない』と思い直し、乗り続けることにしたんです」

つなさんにとっては、小さな頃から大好きだったスカイライン。“移動手段&通勤がメインのクルマ”という役割ではあったけれど、よくよく思い起こせば自分の好みが完璧に反映された仕様。そして毎日乗っていた相棒…。
『思い入れのある愛車を潰されたくない』そんな想いを自覚したことが、スカイラインを単なる移動手段役から、大切にしていきたいクルマへと昇華させる転機となった。

  • (写真提供:ご本人さま)

その後、2011年に千葉県から宮城県仙台市へと単身赴任することになり、そこで素敵な出会いがもたらされた。
「単身赴任先で、山形県のスカイラインオーナーさん達と仲良くなったんです。休日はよく山形に足を運んでミーティングなどを楽しんでいました。ただ、2015年に千葉に戻ることになり、山形エリアの友人とは距離的にもなかなか会えなくなってしまい、寂しくなりましたね。そこでSNSで声をかけ始めたら、クルマ繋がりの輪が広がったんです。この歳になってから沢山の友達ができるだなんて、あの時にスカイラインを手放さなくて本当に良かったと思っています!」

そんな彼のスカイラインは、劣化したパーツに関しては気に入っていた社外パーツを一部使用してはいるものの、基本は純正スタイルを貫く。
まず外装面では、当て逃げされた際に、純正オプションだったエアロタイプに交換。劣化して穴が空いてしまったマフラーはフジツボ製へと交換された。

そして内装面では、60周年記念車のシートに変更されている点が一番のトピック。これは元のシートに穴が空いてしまい困っていたところ、山形県のスカイライン仲間に譲ってもらったというお気に入りパーツだ。その他は、クルマを購入してすぐに装着したというオーディオ類、そしてグレードによってはイルミネーション付きの仕様になっているリヤクォーターガーニッシュも『光らせたかった』と自らLEDを仕込んでカスタマイズされている。

そんな中でも一番のお気に入りが、スカイラインGT-R(BNR32型)用のホイールを自分で塗り直して装着しているところだ。
「昔、買う気もなかったのにネットオークションで入札したら落札してしまって(苦笑)。このホイールは再塗装品で安く出品されていたもので、元々自分で純正カラーに近い色に塗り直そうと思っていたので、丁度良かったんです。GT-Rのホイールは、タイプMの純正より、ちょっとだけスポークが太いんですけど、一見すると交換していないように見えませんか?」と、嬉しそうに話してくれた。

そして、購入から35年が経過した走行距離は既に37万kmを超えているが、エンジンはオーバーホールもせずに絶好調を維持しているというから驚きだ。これにはきちんと理由があった。
「エンジンオイルはきっちり3000kmでの交換を守っていること、そして車検整備をお願いしている方の腕がめちゃくちゃ良いというのがあります。その方は、以前僕がお世話になっていた日産プリンスにいらっしゃったのですが、知り合いの修理工場に移られてからは、そちらに持っていくようにしています。『南房総地区のGT-Rは、全部その人が整備しているのでは?』と言われるほどの方なので、安心してお願いしているんですよね」

ただ、35年も経過するとエンジンは好調でもプラスチック類などは劣化していく。それらは『純正らしさを残していきたい』と、妥協せずに新品パーツを購入して交換しているという。そしてエアコンだけは、ほぼ10万kmごとに壊れてしまうそうだが、そこはご愛嬌なのだとか。
外装については1500円ほどのコーティング剤を使って自分で磨いているだけというが、それでも見事なコンディションを維持されているところがすごい。

  • (写真提供:ご本人さま)

現在はスズキ・ジムニーとの2台持ちで、このクルマはイベントやミーティング時に動かす程度に留めている。とは言っても、『非GT-Rの集まり』などのミーティングを主催するなど、スカイライン仲間と充実したカーライフを満喫しているご様子だ。

  • (写真提供:ご本人さま)

そして、実は息子さんも、小さな頃からニスモフェスティバルをはじめとして、スカイライン系のミーティングに一緒に行くなど、英才教育(?)を続けてきたお陰で、無類のスカイライン好きに成長。現在はつなさんのお薦めで購入した同じR32型のスカイラインを手に入れ、自分なりにカスタムしたり、ミーティングを主催するなどしてカーライフを満喫されているという。結果、親子3代にわたってスカイラインを愛するご一家となったのだ。

最初はただの移動手段に過ぎなかったスカイライン。それが今となっては、大事にするあまり保管ガレージを確保するために引っ越してしまうほどの存在へと昇華。スカイラインに対して気持ちがここまで大きく変化したのは…。
「旧車を維持し続けていくのは大変ですが、仲間との縁を繋いでくれたこのクルマを、これからも大事に乗っていきたいです」
そう満面の笑みで話してくれるつなさんがとても印象的だった。

(文: 西本尚恵 / 撮影: 中村レオ)

※許可を得て取材を行っています
取材場所: 千葉みなと さんばしひろば(千葉県千葉市中央区中央港)

[GAZOO編集部]