「なんだかとても広いクルマだなぁ」と思った4歳の頃から共に時を過ごしてきた父のイプサムを受け継いだ思いとは

  • GAZOO愛車取材会の会場である香川県の『道の駅 恋人の聖地 うたづ臨海公園』で取材したトヨタ・イプサム(ACM21W型)

    トヨタ・イプサム(ACM21W型)


1980年代までは乗用車の基本形は3ボックスセダンだったが、1990年代に入ってミニバンが台頭し始めたのに伴って、クルマに求められる価値観は大きな変化を迎えることとなる。
ミニバンの魅力は、なんといっても室内空間の広さ。背を高くすることで空間を広げるという手法が取られるが、当然重心は高くなる。結果として、操縦安定性が犠牲になっているモデルも90年代にはまだ多く、セダンやクーペに乗りなれた世代にとっては、それがネックで購入に至らなかったケースも少なくなかった。

そんな不満を見事に解消したモデルのひとつとして登場したのが、1996年に発売された初代と、2001年登場の2代目という2世代をラインナップした『イプサム』である。

初代が誕生した1990年代半ばは、まだまだ3ナンバーサイズにユーザーが馴染んでいなかったこともあり、コロナプレミオのプラットフォームを使う5ナンバーサイズで、排気量もガソリンエンジンは2Lとコンパクトなサイズを採用していた。
しかし、2代目が登場する2000年代には、3ナンバーサイズが一般化したこともあり、ボディサイズを拡大。搭載するエンジンも2.4Lのガソリンエンジンを搭載した。

そんな2代目イプサム(ACM21W型)を、お父様から譲り受けたというのが『Coupe』さんだ。イプサムはCoupeさんが『第二の弟のような存在』というほど、いろいろな思い出が詰まったクルマだそうで、今後も長く乗り続けるべく、今年お父様の名義からCoupeさん名義に変更したという。

「僕が4歳になったばかりの頃、父が新車で購入したクルマなんです」
納車された直後に、イプサムに乗せてもらった時の印象もしっかり覚えているそうで『なんだかとても広いクルマになったなぁ』というものだったという。イプサム以前のお父様の愛車はアコードインスパイアだったというから、やはり子供ながらに広い室内空間は印象的だったようだ。

そんなイプサムの元オーナーであるお父様は、いわゆる転勤族だったそうで、イプサムは山口県赴任時に購入したものだそう。その後、大阪や埼玉に転勤したそうで、Coupeさんも転校していくことになるのだが、移り住んだ場所でできた友達との思い出にも、イプサムは登場するという。

「大阪に住んでいた時、同じマンションに住んでいた友達のウチが初代のイプサムに乗っていたんです。友達の兄弟三人と、ウチの兄弟二人を乗せて、どちらかの家のイプサムで眼科に通院していたんですが、子供ながらに『3列目の窓が減ったね』とか、『木目のパネルがある』とか、2台の違いを見つけて、それについて語り合っていました」と、当時の思い出を語ってくれた。

他愛もないない話といってしまえばそれまでだが、クルマに興味を持った子供にしてみると、そういうやり取りが妙に楽しかったりするもので、Coupeさんにとっても、まさにイプサムに紐づく楽しい思い出のひとつとして心に刻まれているようだ。

子供の頃の思い出だけではなく、18歳になり、運転免許を取得して初めて公道を運転したのもこのイプサムである。その頃、Coupeさんがふと気づいたのが『イプサムよりも長い付き合いの友達っていないなぁ』ということ。お父様の転勤で、仲良くなった友達と離れ離れになってしまう人生を送ってきたということもあり、Coupeさんの中でイプサムは特別な存在になっていったのだ。

  • (写真提供:ご本人さま)

いつしか特別なクルマとなったイプサム。Coupeさんが自分で運転するようになってからは、旅の相棒としても活躍するようになった。

「2020年のゴールデンウイークには、大好きな北海道をイプサムと共に巡ろうと、フェリーの予約を入れていたんです」と語るCoupeさん。しかし、2020年と言えばコロナ禍に突入してしまった年であり、緊急事態宣言が出てその計画は諦めざるを得なくなってしまった。

「ちょうどその頃に、オイル漏れに気づいてディーラーに行ったら『パワステのフルード漏れなので、修理しないと車検に通りません』と言われてしまったんです」
その時にディーラーで言われた修理予算は15万円と、安くはないものだったそう。2002年式となるCoupeさんのイプサムは、当時18年落ち。当然ディーラーからは、高額な費用を出して修理するよりも、新車への乗り換えを暗に勧められたそうだが、Coupeさんにその気はまったくなかったのは言うまでもない。

「ちょうどその頃、当時の安倍首相が10万円一律給付を発表したんですよ。その10万円と、北海道往復のために振り込んでいたフェリー代の返金で、パワステの修理代が賄えちゃうじゃん! ってなりまして、すぐディーラーに『乗り換えじゃなく、修理してください』と連絡したんですよ(笑)」

Coupeさんの、イプサムに対する思い入れを考えれば、恐らく給付金がなくても修理となっていたはずだが、絶妙なタイミングで修理費用が賄えてしまうことになり、イプサムにとって初の大掛かりな修理が行なわれることになったという。

ちなみに、イプサムはそれまで故障知らずだったそうだが、今回の取材に同行してくれていたお父様に、どんなメンテナンスをしながら乗ってこられたのかを伺ってみても、特別なことは何もしてこなかったという。
「整備は車検の時にディーラーさん任せだったけど、今まで故障したことはなかったですね」
車検費用を伺うと、毎回10万円超だったとのことなので、車検時にディーラーさんがしっかりと予防整備してくれていたのであろう。

話を戻して、コロナ禍で行けなくなってしまった北海道旅行であったが、昨年、リベンジで北海道を9日掛けてお母様を連れて巡ったそうだ。
「敦賀から新日本海フェリーで苫小牧まで行って、稚内、根室、釧路、帯広など北海道を満喫してきたんですよ」
納沙布岬などでは、広いイプサムの車内空間を活かして、車中泊もしたという。
「シートをフルフラットにしたり、こんな感じで倒したりして、快適に車中泊できるんです」と、取材時には、当時の様子を再現してみせてくれた。

そんな北海道旅行の時に手に入れたステッカーなどがイプサムには貼られているのだが、特にフロントグリルには、そんな北海道グッズを使った、独特のドレスアップが施されていた。
「北海道の道の駅には、道の駅ごとのピンバッチが入っているガチャガチャがあるんですよ。それを1箇所3回ずつ回して、コレクションしていったんです」と、昨年の北海道旅行で集めたピンバッジのコレクションを見せてくださった。

「ガチャガチャなんで、同じ物が出たりするじゃないですか? それを眠らせておくのも勿体ないなぁ、何か活かす手はないかな? と思いついたのが、グリルに貼り付けるというドレスアップだったんですよ」
ピンバッチの高さと、イプサムのグリルの下側の面の幅がちょうどぴったりだったこともあり、イプサムと共に巡った北海道の行き先が、見事にわかるドレスアップとなったようだ。

そんなイプサムだが、前述の通り、今年に入ってからCoupeさんの名義に書き換えた。これまでは新車の時に装着された山口のナンバープレートが装着されていたが、その名義変更で現在の住まいとなる大阪のナンバープレートとなった。「思い出がいっぱい詰まった山口ナンバーは、もちろん記念にもらってきました」
2017年から旧ナンバープレートを持ち帰ることができるようになったので、その制度を利用して旧ナンバープレートもしっかりコレクションしているという。

こうしてCoupeさん名義となったものの、このイプサムに乗るのは、名義変更前と同様に家族全員だそう。
「現在は僕と母が乗ることが多いですが、もうすぐ弟が運転免許を取得するので、弟も乗るようになります」

Coupeさんは別にもう1台、自分専用のクルマを持っている。イプサムは家族みんなが乗るクルマであり、お父様名義からCoupeさん名義に変わってもそれは変わらない。でも敢えて自分名義としたのは、思い出のいっぱい詰まったイプサムを、これからもずっと側に置きたいというCoupeさんの思いの表れなのであろう。これから先もイプサムやご家族との素敵な思い出を積み重ねていかれるはずだ。

(文: 坪内英樹 / 撮影: 平野 陽)

※許可を得て取材を行っています
取材場所:道の駅 恋人の聖地 うたづ臨海公園 (香川県綾歌郡宇多津町浜一番丁4)

[GAZOO編集部]