AZ-1でドライブする楽しさを覚えて28年。今でもなおワクワクできる最高の愛車

  • GAZOO愛車取材会の会場である徳島県の『徳島中央公園』で取材したマツダ・オートザムAZ-1(PG6SA型)

    マツダ・オートザムAZ-1(PG6SA型)


1990年代初頭、軽自動車にも二人乗りのピュアスポーツカーブームが訪れる。1991年5月にミッドシップオープン2シーターのホンダ・ビートがデビューし、同年11月にFRオープン2シーターのスズキ・カプチーノが発表されたのだ。
そんな2台と共に、多くのファンからデビューを心待ちにされた軽規格のスポーツカーがあった。1989年の東京モーターショーで、マツダが参考出品していた『AZ550スポーツ』の市販化モデルがそれだ。

ビートやカプチーノはオープンカーであったが、マツダの“AZ550スポーツ”はクローズドボディのミッドシップ2シーター。しかも、スーパーカー的アイテムといえるガルウイングや、リトラクタブルヘッドライトが採用されるなど、子供の頃のスーパーカーブームでクルマに興味を持った当時の20代男子が興味を示さないワケがない、魅力的な参考出品車両であった。

そして1992年9月。AZ550スポーツは『AZ-1(PG6SA型)』としてデビューを果たす。軽規格の変更に伴い、搭載されるエンジンは660cc(スズキから供給されたF6A型)となり、ヘッドライトも固定式に変更されていたが、ミッドシップ+ガルウイングドアはそのまま採用された。

そんなAZ-1を、初めての愛車に選んだのが『わかばやし』さん。現在の愛車となるAZ-1は2台目となるそうだが、2台合わせたAZ-1歴は28年というAZ-1フリークである。
「学生の時は125ccのスクーターに乗っていたんです」とおっしゃるように、クルマよりもオートバイが好きな学生時代を過ごしたそうだが「社会人になって、さすがにスクーターだけだと厳しいかなと思って、父親にクルマを買う相談をしたんです」

  • (写真提供:ご本人さま)

わかばやしさんのお父様が、恐らくはかなりマニアックなクルマ好きなのであろう。『AZ-1かミゼットⅡはどうだ? AZ-1はガルウイングで目立つし、ミゼットⅡはバイクを載せられるぞ』と、ご子息の初めての愛車候補としてはかなり偏ったクルマを提案してくれたそうだ。
「さすがにミゼットⅡは、軽トラですから普段乗りは厳しいと思いました。『西部警察』や『ゴリラ』の劇中車として登場したフェアレディZやスタリオン、それから『バック・トゥー・ザ・フューチャー』のデロリアンなど、子供の頃からガルウイングドアに憧れがあったので、AZ-1に興味が沸いて、近所のオートザムでAZ-1を探してもらったんです」
見つけ出してくれたのが、ホイール以外はノーマルだったいう1994年式のベースグレード。このAZ-1を、わかばやしさんにとって人生初の愛車に決めたという。

誤解を恐れずに言えば、AZ-1はクルマとしての利便性がかなり欠如したモデルと言える。人は二人しか乗れないし、乗車スペースもかなり小さい。そしてラゲッジスペースは無いに等しい。普通のクルマからAZ-1に乗り換えたら、ほとんどの人が“不便なクルマ”と感じてしまうはずである。
しかし、元々がオートバイ乗りだったわかばやしさんは「125ccのオートバイと比べたら、ゆうゆう二人が乗れるし、荷物もしっかり積めます。さらに言えばエアコンが付いていますから、快適そのものでしたね」と、AZ-1の第一印象を語ってくれた。

しかも、わかばやしさんはAZ-1でしか味わうことのできない乗り味にドハマりしたそうだ。「職場のクルマ好きの上司から誘われて、初めてサーキット走行を体験したのも、この1台目のAZ-1でした」
AZ-1の乗り味は、ミッドシップという駆動方式ならではの特性が、包み隠されることなく感じ取れるというもの。わかばやしさんは、そんなAZ-1の乗り味とそれを制して乗りこなすという楽しみ方に魅了されていったのだが、不幸にも購入して8ヵ月で全損させてしまったそうだ。

その頃には、わかばやしさんはクルマがある生活が身についてしまっていたようで、事故後に代わりとなる550ccの軽自動車を手に入れたそうだ。しかし、「AZ-1の楽しさを忘れられなくて、事故から3ヵ月後に2台目を購入したんです。それが今所有しているクルマですね」と、すぐにAZ-1に復帰したという。これが1998年6月の出来事である。

ちなみに、2台目のAZ-1を探していた時は、2台の購入候補を見つけたそうだ。
「1台は走行距離が多く、フロントバンパーの下部が破れて欠損しているなど、コンディションは良くないけど車両価格が安い個体。もう1台は、恐らく部品を後付けしたモノだと思いますがマツダスピードバージョン仕様のAZ-1で、車両価格がかなり高かったんです」

ちなみにマツダスピードバージョンというのは、マツダスピード製のエアロパーツを装着した状態で市販された特別仕様。そのエアロパーツは部品としても販売されていたが、一般的な前後スポイラーとサイドステップという構成だけではなく、見た目を大きく変える専用デザインのボンネットとフロントバンパースポイラー、リヤウイングスポイラーの組み合わせとなる。
マツダスピードバージョンのフォルムが気に入っていたというわかばやしさんだが、お父様から『今のお前の経済事情を考えたら、安い方を選ぶべき』というアドバイスに従って、マツダスピードバージョンを諦め、1992年式、走行6万kmの方を2台目のAZ-1として選んだという。

2台目のAZ-1を手に入れたわかばやしさんは、走りを楽しむだけではなく、自分好みの外装にしたり、エンジンのパワーアップを図るというカスタマイズも施していく。
「まず、マツダスピードのリヤウイングを付けて、それからフロントバンパースポイラーも装着しました。ボンネットはマツダスピードではなく、デザインの異なる“M2”モデルを組み合わせています」
M2というのは1990年代前半に存在したマツダのサブブランド。現在で言う、MAZDA SPIRIT RACINGがそれに近い存在となる。そんなM2の名を冠したAZ-1ベースの特別仕様が“M2-1015”で、それに採用されていたボンネットの形状が気に入っていたので、M2モデルを組み合わせたという。

「ボンネットはディーラーで発注したのですが、当初『そんな部品は無い』と言われてしまったんです。そんなワケないと、M2-1015のパーツリストを持っている知人から部品番号を教えてもらい、部品番号で注文したら出てきたんです」と、部品入手の苦労エピソードも話してくださった。リヤガーニッシュに付くM2-1015のエンブレムも、同様の方法で手に入れたそうだ。

話は少し逸れるが、エンジンルーム開口部をグルリと囲むようにトルクスのボルトの頭が並んでいるが、これもAZ-1の特徴的な部分となる。というのもAZ-1がスケルトンモノコック構造を採用しているのが分かる部分だからだ。
一般的なモノコックボディは、リヤクォーターやバックパネルの外板部がモノコックの一部となり一体化しているが、外板とフレームが別部品となるスケルトンモノコックのAZ-1は、FRP製の外板パネルが別体となっている。それらをフレームに固定しているのが、このトルクスボルトなのである。

エンジンに話を戻すと、手に入れた時の状態はお世辞にも良い状態ではなかったという。なんでも、エンジンにパンチ力なく、元気に走ってくれなかったそうだ。その原因を探るべく、しっかり点検などをしたものの明確な不具合は発見できなかった。
「恐らく、前のオーナーがあまり(アクセルを)踏まない方で、そのようなアタリがついてしまっていたんだろうと推測しています」

本調子が出ていないエンジンフィールだったこともあって、外装のカスタマイズを終えた後、エンジンのカスタマイズにも着手することとなった。「友人に紹介してもらったショップで、タービンやECUの他、エンジン内部にも手を入れてもらったんです」
その効果はテキメンで、ノーマルを遥かに上回るパワーを発生するエンジンとなったという。しかし、リヤエンジンのAZ-1ならではなのか、今度はオーバーヒートが原因でエンジンがブローしてしまったそうだ。

「他にも、岡山国際サーキットで頑張りすぎて壊してしまったこともあります」と、このAZ-1ではこれまでにエンジンブローを2度経験しているそうだ。だからといって、パワフルなエンジンを諦めたわけではなく、現在搭載されている3機目となるエンジンも、やはり力強いパワーを味わえるカスタマイズが施されているという。

AZ-1の走行距離は、現在29万kmオーバー。手に入れた時が6万kmだったので、この27年で23万kmを走破していることになる。
現在は、普段乗り用に増車したスズキ・Keiスポーツの他に、マニアックなクルマ好きであったお父様の形見として引き継いだ、光岡・ガリューの3台を所有するという。

「AZ-1は、所有する3台の中では一番狭いクルマですが、クルマとの一体感は一番あるので、今でも乗る度にワクワクできます!」

四半世紀を超えても、わかばやしさんをまったく飽きさせないAZ-1との生活は、これからもまだまだ続くはずだ。

(文: 坪内英樹 / 撮影: 西野キヨシ)

※許可を得て取材を行っています
取材場所:徳島中央公園 (徳島県徳島市徳島町城内1-番外)

[GAZOO編集部]