「クラッチが踏めなくなるまで乗り続けたい」自らの手で修復したスカイラインGT-R

  • GAZOO愛車取材会の会場である徳島県の『徳島中央公園』で取材した日産・スカイラインGT-R(BNR32型)

    日産・スカイラインGT-R(BNR32型)


1980年代の日本において、各自動車メーカーがデビューさせる高性能車は、まさに“日進月歩”という四文字熟語がピッタリと当てはまる進化を遂げ、次々と世にリリースされてきた。
当時の自動車雑誌では、テストコースにて『0-400m加速タイム』や『最高速度』を計測する企画が人気となっており、高性能を謳うモデルは、すべからくテストコースに引っ張り出され、その動力性能が計測されていった。そして、その計測値は新型車が登場すれば更新されるのが当たり前という時代でもあった。

そんな新型車の高性能さを競う流れを断ち切ったのが、8代目のスカイラインとして、そして3代目のGT-Rとして登場したBNR32型のスカイラインGT-Rである。
当時、日本のツーリングカーレースのトップカテゴリーとなるグループAレースで勝利することを目的に開発されたBNR32は、当時の日本車だけでなく、世界中の量産車と比較しても圧倒的な高性能を誇った。そのパフォーマンスは、グループAレースをはじめとするモータースポーツフィールドではもちろんだが、一般市場においても高性能車のトップとして君臨するようになったのである。

そんなBNR32型GT-Rを12年前に手に入れ、カーライフを満喫しているのが『コバちゃん』さん。取材時には、奥様と仲良く参加してくださった。
“昔からGT-Rに憧れていた”という方が多いGT-Rだが、コバちゃんさんは「BNR32が出た頃からGT-Rはずっとライバル、というかGT-Rに勝ちたいという気持ちで、愛車をカスタマイズしていましたね」という、ある意味アンチ派だったそうなのだ。

「初めはAE86にHKS製のスーパーチャージャーを付けて、GT-Rに挑んでいました。その後はFJ20型エンジンを積んだスカイラインRSターボや、SR20型エンジンを積んだ180SX、それからロータリーエンジンのFC3S型のRX-7とか、その当時安く手に入るクルマにカスタマイズを施して、GT-Rに挑むってことをずっと楽しんできたんですよ」
表向きは、GT-Rに憧れていないスタンスを取っていたコバちゃんさんだが、常に高性能車のトップに君臨し続けるGT-Rを意識しながら、愛車ライフを楽しんできたご様子だ。

そんなコバちゃんさんが、何故GT-Rを愛車にすることとなったのだろうか?
「GT-Rの前に乗っていたのが同時期に出たフェアレディZ(Z32型)だったんです」
Z32は、何と3台も乗ったそうだが「当時、デビューしてから20年以上、生産を終えてから10年以上が経過していたので、手に入らない純正部品が増えてきていたんですよ。このままじゃZ32を乗り続ける難しくなるなぁと思っていた時に、メカニックをやっている知人から、『同じ世代のクルマでも、33型、34型とモデルチェンジしたGT-Rの方が部品供給も長く続くから、GT-Rに乗り換えるのもアリなんじゃない?』って話をしてもらったので、GT-Rを探してみたんです」

現在では高値安定となっているGT-Rだが「当時は、まさに底値の時期で、今じゃ考えられないような値段でGT-Rが売りに出されていたんですよ」と、コバちゃんさんがおっしゃるように、当時は100万円を切るような中古車も無くはなかったのだ。
そんな時期に、コバちゃんさんが、まさに最安値といえるGT-Rをネットオークションで発見する。
「当時でもかなり安かったです。RB26DETTエンジン単体の出品とそう変わらないような値段だったんですよ。だからエンジンを買うぐらいの気持ちで入札したら、ほとんど競ることもなく落札できちゃったんです」

落札したスカイラインGT-R(BNR32)は、1991年式の中期型となる。引き取りに行ってみると、タイヤ&ホイールも取り外された状態で、その他の部品もいくつか欠品あり。さらに言えば、外装はかろうじてノーマルの状態を保ってはいたが、リヤフェンダー後部に破損があるなど、落札価格なりといえるものであった。

コバちゃんさんが一般的な普通のクルマ好きだったら、そんなGT-Rを見て“失敗した”と、購入を後悔していたはず。しかしコバちゃんさんは、これまでの愛車のカスタマイズの多くを自らの手で行ってきた、DIYの上級者だったのである。「状態はあまりよくないけど、これぐらいなら何とかなるかな?」と、自らの手で再生させることを決意する。

持ち帰ったGT-Rの再生作業は、まずそれまでの愛車だったZ32に付いていた部品を移植することから始まった。「Z32も当時は底値というか、ほとんど値段が付かないような時期だったので、それならばとGT-Rのドナーにしたんです」
もちろん、別車種なので、使える部品は多くはないが、カスタマイズ用の部品であれば、流用可能なものが多いそうだ。「車高調整式サスペンションとかもそのままじゃ使えませんが、ちょっと加工してやれば流用できるんです」といったような、DIYの上級者ならではのノウハウとワザで移植してしまったという。汎用性のある追加メーターなどは当然流用し、現在装着されているものの多くは、Z32の時から使っているモノだそうだ。

肝心のボディやエンジンはどうだったのだろうか? 「前のオーナーさんが、このGT-Rを自分好みに仕上げていたようなんですが、イメージ通りにならなかったようで、仕上げる途中で手放したみたいなんです。だから、エンジンなどのメカニカルな部分は特に問題はなかったですね。ボディも恐らくクリア剥げが発生していたかなんかで、ルーフやボンネットなどの上面を補修塗装したということでした。引き取りに行った時は埃が被っていて酷い状態に見えましたが、洗うだけでそこそこ綺麗になりました。」と、購入した金額からすると、思いの外しっかりとした状態だったそうだ。

  • (写真提供:ご本人さま)

手に入れたばかりの、まだ登録する前の写真を見せてくださったのだが、とてもきれいな状態とお見受けした。
「この後、知人がボディコーティング店を始めるということで、このGT-Rを徹底的に磨いてくれたんですよ。今でも綺麗に見えるのは、その作業のお陰ですね(笑)」
そのように美しく仕上がった外観は、いわゆるNISMO仕様に仕上げられているのだが、リヤのホイールアーチ後方に付くのは、GT-R用ではなく、GTS-tタイプM用の純正エアロパーツだそう。違和感なく装着されているので、GT-Rマニアでなければ、他車種からの流用とは気づかないはずだ。

「これは購入前から破損していた部分のボロ隠しなんですよ(笑)。GT-R用だとマッドガード形状のものしかなくて、タイプM用を加工して取り付けたんです」
ちなみに破損している部分を修理する場合、モノコックの一部であることから、かなり大掛かりな作業となってしまう。見た目に問題があるだけで、機能的には問題がないとの判断で、防錆処理だけしっかり施して、現在でもそのままにしているとのことであった。

DIYでのクルマいじりは、どこで行なっているのかと伺うと、基本的には自宅のカーポート付きの駐車場だそうで、リフトが必要な作業の時だけ、知り合いの工場のリフトを使わせてもらっているという。
去年、タービンに不具合が出て、ご自分で交換作業をしたそうだが、その時は自宅の駐車場で作業されたという。
「タービン交換は簡単ではなかったですね(笑)。腰痛持ちなもので、体も痛かったのですが、膝をついての作業もありまして、その時に左膝から雑菌が入ってしまって、後日入院する羽目になってしまいました…」。なんと、その後半年ぐらいは、歩くのに杖が必要だったそう。

そんな失敗談も披露してくれたコバちゃんさん。にわかのDIY好きであれば、それを機にDIYでのクルマいじりをやめてしまうような出来事だが、DIYをやめようという気配はまったくなさそう。負傷してしまった膝の方は、日常生活レベルでは問題ないところまで回復したそうで、クラッチ操作も問題なくできるので一安心といったところだろうか。

数十万円という、底値中の底値で手に入れたGT-R。かつては追いかけ回すライバルという存在であったワケだが、手に入れて自らがメンテナンスやカスタマイズを施すほどに、愛着も増しているのは間違いない。
「2年前に、“もう10年乗ったし、R35 GT-Rに乗り換えようか”と思った時期もあったんです。けれど、購入権の抽選に外れて実現はしなかったのですが…。その際に、このGT-Rを下取りに出そうと思っていたのですが、ディーラーさんの査定で、なんと『400万円』という値付けをしてもらったことにビックリさせられましたね」

コバちゃんさんがスカイラインGT-Rと過ごした12年で、GT-Rを取り巻く環境は大きく変わった。今や、完全なる『往年の名車』となっているのである。
最後に、今後いつまでGT-Rを乗り続けるかを伺うと、「クラッチが踏めるうちは、GT-Rに乗り続けたいですね」というお返事が。となれば、コバちゃんさんとGT-Rの生活はまだまだ続いていきそうだ。

(文: 坪内英樹 / 撮影: 西野キヨシ)

※許可を得て取材を行っています
取材場所:徳島中央公園 (徳島県徳島市徳島町城内1-番外)

[GAZOO編集部]