気付けば2シーター軽スポーツ囲まれていた!? 家族で楽しむ『AZ-1』を中心とした至福のカーライフ

  • GAZOO愛車取材会の会場である『米子駅前だんだん広場』で取材したマツダ・オートザムAZ-1(PG6SA)

    マツダ・オートザムAZ-1(PG6SA)


ミッドシップ+ガルウイングという特異な様式を、車体サイズ的に制約が厳しい軽自動車の枠で実現させたAZ-1。“ABCトリオ” (AZ-1・BEAT・CAPPUCCINO)の中でも突出した個性の持ち主であり、これまで愛車広場のコーナー内でもたびたびそのキャラクターに魅了されたオーナー諸氏を取材してきた。

今回の取材会場となった『米子駅前だんだん広場』に、広島からAZ-1(PG6SA)で駆けつけてくださった『ガトー』さんは、AZ-1界での“ツワモノ度”という点では間違いなく、上位に位置するプロフィールの持ち主である。

「僕らの世代は“メカドック”に代表される漫画の影響もあり、男の子と言えば大抵はクルマ好き。僕もクルマに乗るならばスポーツカーだと思い、運転免許取得後にカプチーノを買いに行ったんです。ところがカプチーノの人気が凄くて、納車まで半年待ちと言われたんです。そんなに待てないなぁと、たまたま見つけたのがロードスター(NA型)の新古車で、それが最初の愛車となりました」

「その後は、ダートラやラリー競技に出ていた先輩の影響からインプレッサWRXに乗り換え『自分もダートラに出るぞ!』と思っていたのですが、同時期に結婚することが決まりインプレッサは結婚資金の足しに消えて…クルマは嫁さんが乗っていたインテグラのAT車だけになっちゃいました」

それから数年間は、仕事の造園業が多忙を極めていたこともあって、クルマ趣味を封印していたガトーさん。しかし、ロードスターやインプレッサで知った運転することの楽しさを忘れることができず、再びカプチーノの物色を開始した。

そしてその数ヵ月後、同級生の後輩が勤める中古車販売店で、条件にピッタリの個体が見つかり購入を決断。一度は縁が無く購入を断念したカプチーノだっただけに、手に入れた時の喜びは大きく、週末に時間を見つけては夫婦で各地にドライブに出掛けていたという。

「その頃はオフ会とかミーティングにはまったく関心がありませんでした。でも、ある時、山口県の秋吉台近辺でカプチーノオーナーの集まりがあるという情報をネットで知り、ちょうどドライブの道中だったので覗いてみたところ、初対面なのに皆さん気さくに接してくれて『ぜひ広島のカプチーノクラブへ』と、お誘いまで受けました」

熱心な誘いを受けたものの、当時はカークラブとはどんなモノなのかを想像できず、どこか取っ付きにくさを感じていたというガトーさん。
「そんな気持ちもあってしばらく遠慮していたら、数週間後にメンバーの方がわざわざ広島まで来てくれて、クラブの会合に連れて行ってくれたんです。これをきっかけにABC関係のクラブの方々との交流が始まり、私のカーライフは大きく花開くことになりました」

思い込みや先入観といった心の中のハードルを乗り越えたことで、新たな刺激に満ちたクルマの楽しみ方を見つけたガトーさん。その影響は思わぬところにも飛び火することに。なんと、毎回付き添いとしてクラブ員達との親睦会に同席していた奥様から『私もビートが欲しい』との声が。この展開に最初は驚いたガトーさんだったが、子供が2人いるから、2シーターのクルマを2台揃えて、それぞれ助手席に子供を乗せて出掛るのも面白いかも? という達観した興味も芽生え、ビートの購入を支援することと相成った。

「クルマの話で盛り上がっている主人や、メンバーの方々が本当に楽しそうで、ちょっと羨ましくなってきまして。私もあの輪の中に混ざりたいなと(笑)。それまでマニュアル車を運転したことがなく、カプチーノは一回だけ運転してみましたけど、怖くてやめてしまったほどで…。ビートも最初はマトモに動かすことさえできませんでした。でも、私が乗らないと無駄になっちゃうと思い、頑張って練習しました!」と、と当時を振り返る奥様。

思わぬ展開から、カプチーノに続いてビートも手に入れたガトーさん夫妻。当時、まだ小さかった子供達を助手席に乗せ、各地で行なわれるイベントにも頻繁に足を運ぶようになるなど、ABCオーナーとの交流はますます盛んになった。
そんな中、ある人物との出会いによってガトーさんはまた一歩、ABCの沼へとハマっていく。

「やっぱりB(ビート)とC(カプチーノ)が揃ったら、A(AZ-1)も揃えたくなるじゃないですか(笑)。けれどもウチの経済環境で、さらにもう1台を追加することは無理だろうと悩んでいたんです。そんな時に、以前、広島県で開催された愛車広場でも紹介されたクラブ仲間の『くぼっち』さんが、とあるAZ-1の情報を持ち込んできたんです」

「話を聞くと、ミッションに不具合があるものの車両状態は良好で、価格は驚くほどリーズナブルでした。さて、これはどうしたものかと思い、ダメ元で嫁さんに『こんなイイ話があるけど、どうかな?』と聞いてみると『買うんじゃろ? このチャンスを逃すと二度と乗れんよ』と、まさかの返答が。そこから一晩考えて翌朝、くぼっちさんに『ありがたく買わせていただきます』と連絡を入れました」

こうして年がら年中、自前でABCミーティングができるというミラクルな環境を得たガトーさんだったが、話はまだまだ続く。

ある時、クラブ員たちの集まりの場で、AZ-1乗りの間ではカリスマ的存在として知られるイーヨーさんの主導で『北海道の方で朽ち果てかけているAZ-1をなんとか蘇らせて、次の世代に継承しよう』というプロジェクトが動き出しつつあることを知ったガトーさん。大好きなAZ-1のためならと、自宅敷地内の一角を作業スペースとして提供することを買って出たという。

損傷が激しかったフレームは福岡から、不動となっていたエンジンは京都からと、ガトーさん自らがトラックを運転してその引き取り作業に奔走。レストアに必要な部品を調達していった。それからは休日を利用しながら、有志たちの手による組み立て作業が進められ、数ヵ月後に見事“シトラス号”は公道への復帰を果たした。

「シトラス号の名前は、ホンダ・インサイト用のボディカラー名である“シトラスイエロー”に由来しています。これは、北海道の元オーナーさんが現役で乗っていた時の色を再現したものなんです。3年前にマツダ本社で行なわれたAZ-1の30周年イベントには、このクルマを見るために北海道から元オーナーさんが来られ、とても喜んでおられる姿を目にした時は『復活させて良かった!!』と、こちらまで嬉しくなりました」

そうして、このシトラス号はそのままガトーさんが引き取り、AZ-1の2台体制を確立。白い車体はノーマルフェイスのままで、クラブミーティング用に施工したという“マツダ787のワークスカラー”でドレスアップ。シトラス号はM2仕様にするなど、ルックス的な差別化も図るなど、2台でのAZ-1ライフを満喫している。

そんなAZ-1を、熱烈に愛するガトーさん夫妻の気持ちは、2人のお子さんにもしっかりと受け継がれていた。
当日は、運転免許を取ったばかりというお子様(次女)も、ドライバーとして取材会に来場。高校生の頃、美術部の課題でAZ-1の油絵を描くほど、このクルマがお気に入りだそうだ。
低い車体にガルウイングドア、さらにドライバーが女性ともなれば街角ではかなり目を引く存在になりそうだが『注目されることは嬉しいです!』と、笑顔で語ってくれた。

「2台のAZ-1、カプチーノ、4人乗りファミリーユース用のラパンSSと、ウチにある4台のクルマはすべてマニュアルミッション車。長女もL880型コペンのマニュアル車に乗っているんです。ここ数年だけでも広島近郊はもとより、鈴鹿サーキットや九州方面にも出掛けたりと、家族みんなで作ってきた想い出は数知れず。それもこれも、大将さんやくぼっちさん、イーヨーさんをはじめ、ABCのクラブ関係者の方々がキッカケを作ってくれたおかげです。歳をとると新たな交友関係を作るというのはなかなか難しいところですが、改めてクルマ好きで良かったと思いますね」

撮影が終わってガトー家の皆様が帰宅される際、ガルウイングドアを開け放ち、颯爽とシートに乗り込んでいくその身のこなしは流麗で、実に慣れたモノであった。

家族で満喫するAZ-1ライフ、いやはやお見事でした!

(文: 高橋陽介 / 撮影: 稲田浩章)

※許可を得て取材を行っています
取材場所:米子駅前だんだん広場(鳥取県米子市弥生町2-20)

[GAZOO編集部]