【日産 ノートe-POWER 試乗】雪上、氷上、ターマックで試して再発見したもの…中村孝仁

日産 ノート e-POWER NISMO(左)とノート e-POWER(右)
この「e-POWER」のおかげで『ノート』は、『サニー』以来日産としては実に30年ぶりの月間販売台数首位に躍り出た。

しかも今、ノート販売台数の8割がこのe-POWERだというから、まさにe-POWER様様だ。そんなわけで、試乗会で乗った短時間ではなく、たっぷり1週間、さらに長野県にある女神湖の氷上及びその周辺の雪上路面で存分に試してみた。

実は、試乗会での試乗では正直なところあまりうまくワンペダルドライブが使えなかった。ワンペダルドライブとは、アクセルを離した時に作用する強力な回生ブレーキを使うことで、アクセルの操作一つ、即ちワンペダルでクルマを静止から一般走行、そして再び静止まで行ってしまおうというもの。

この強力な回生ブレーキシステムは、すでにピュアEV&レンジエクステンダーのBMW 『i3』で実現したものだが、いわゆるシリーズハイブリッドのノートe-POWERでも同じようなことをやったというわけである。何故試乗会中にうまく使いこなせなかったかというと、一気にアクセルを離すことで強烈な回生をかけることが出来るのだが、それだと微妙なコントロールは不可。要するにアクセルを普通のクルマ同様に徐々に緩めていけばよいだけの話で、試乗会の1時間の試乗ではそのコツがつかめなかったというわけである。

で、実際にそのコツをつかんでしまうと、一般道でワンペダル、即ちブレーキペダルの操作なしにクルマをドライブすることが出来るか?という点だが、答えは「できます」である。それも試乗車を一週間借りて試した結果、緊急回避を必要とする場合を除けば、ほぼ確実に出来る。しかもこの運転方法はあるメリットを生むことにも気が付いた。それは確実にワンペダルでクルマを止めてやろうという意識がドライバーに生まれると、通常ドライブよりも車間を大きくとることで、それによって追突のリスクが減るということである。それだけではない。このワンペダルドライブを体に馴染ませると、クルマの走り自体もスムーズになって、パッセンジャーの快適になるはずだ。

とまあ、これがターマックにおけるテスト結果である。では氷上、雪上がどうだったか。驚いたことに氷上でも雪上でもワンペダルドライブは確かなメリットがある。女神湖の氷上ドライブでは、ブレーキペダルの代わりに回生ブレーキ、つまりアクセルオフを使うことで、よりスムーズな減速を可能にしアクセルに集中できることもあって、正直他のどの駆動方式のクルマよりもスムーズで楽なドライブが可能であった。しかも速い。正確にラップタイムを測ったわけではないが、爆発的パワーのある4WDの『GT-R』を別にすれば、恐らく最も速かったのではないかと感じたほどで、4WDの『ジューク』よりは確実に速く、そしてドライブもしやすくコントロールも楽だったのは驚きだった。

次に雪上である。装着タイヤはBSのブリザック、スタッドレスだ。因みに氷上でも同じタイヤを履いていた。さすがに完全な氷だけの路面では正直、なすすべ無し、という印象だったが、表面に少しでも雪があればきっちりとトラクションがかけられる。そしてこの路面でもワンペダルドライブを試してみたが、下手にブレーキを踏むよりよっぽど安心感が高い。人間によるブレーキペダルのコントロールよりも、回生ブレーキによるマイルドな制動は、確実に車を止めてくれる。

勿論、恐らく制動距離は長いだろうが、あらかじめその距離さえ把握しておけば何の問題もなく、仮に前走車がいたとしてもそのクルマがパニックブレーキを踏まない限り、ワンペダルで走行できることがわかった。もっとも、長くアクセルとブレーキというツーペダルドライブに慣れきってしまっていると、ワンペダルに慣れるまではしばしの時間が必要だ。

エンジンを発電機としてしか使わないシリーズハイブリッドのe-POWER、燃費の方もすこぶる良好で、ターマックを450kmほど走り、ほぼ50:50の高速、一般道という走行パターンで得られた燃費は、22.1km/リットルというもの。かなり頑張った値で、もちろんこれは省燃費を全く想定せず普通に走った結果である。

余談であるが、短時間ながらニスモバーションのe-POWERにも試乗したが、その骨格のしっかり感はノーマルe-POWERを遥かに凌ぎ、足は少々固めながらこれは面白いと思えたクルマであった。

■5つ星評価
パッケージング ★★★★★
インテリア居住性 ★★★★
パワーソース ★★★★★
フットワーク ★★★★
おすすめ度 ★★★★★

中村孝仁(なかむらたかひと)AJAJ会員
1952年生まれ、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾るクルマ好き。その後スーパーカーショップのバイトに始まり、ノバエンジニアリングの丁稚メカを経験し、その後ドイツでクルマ修行。1977年にジャーナリズム業界に入り、以来38年間、フリージャーナリストとして活動を続けている。

(レスポンス 中村 孝仁)

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