ほぼすべての日本車メーカーがWRCに参戦していた!70年代以前の歴史から、ライバルまでを紹介 ~ 「海外メーカー編」

現在、メーカー直系のチームとしてWRCに参戦する日本車はトヨタのみですが、歴史を見わたしてみるとほとんどすべての日本車メーカーが何らかのかたちでWRCに参戦してきた過去があります。ここでは、それぞれのヒストリーを振り返ってみましょう。また、日本車のライバルとして立ちはだかった海外メーカーもご紹介していきます。

第3弾、「海外メーカー編」をご覧ください。

ランチア

長らくWRCでの“盟主”とも言うべき存在であったイタリアのランチア。それは同時に躍進を狙う日本車メーカーにとって、いや世界中のメーカーにとって、大きく立ちはだかる壁であり続けました。1970年代から90年代初頭にかけて、マニュファクチャラーズチャンピオン獲得回数は6連覇を含む10回を数えます。革新技術を次々に投入し、戦略的な考え方と勝負に対する情熱を持ち続け、WRC界を牽引してきました。そんなランチアの代表的なラリーカーといえば、70年代のストラトス、グループBのラリー(形式名037)とデルタS4、グループAのデルタが挙げられます。

60年代からFF車のフルビアで多くのラリーを制していたランチアは、70年代になると伝説のラリーカー、ストラトスを送り出します。ミッドシップ後輪駆動の運動性能を武器に74年〜76年と3年連続のマニュファクチャラーズチャンピオンを獲得し、世界中にその名を轟かせました。グループB時代には、ストラトスの後継とも言えるパッケージをもつラリーカーを投入し4WD勢に対抗、10戦中5勝を挙げて83年のタイトルを獲得しています。

その後はミッドシップエンジン+4WDというシステムにターボとスーパーチャージャーを組み合わせたデルタS4を投入しますが、86年のツール・ド・コルス(フランス)で期待の新星ヘンリ・トイボネンが事故死してしまいます。これをきっかけとして時代はグループAへと変わって行きますが、コンパクトカーに4WD+ターボエンジンという勝利のパッケージをいち早く実現したのもランチアでした。デルタは年を追うごとに進化を果たし、グループA元年となった87年から脅威の6連覇を達成します。92年を最後にWRCから撤退しますが、特にグループA時代初期はトヨタ・セリカとの対決が話題を呼びました。

フォード

1950年代から国際ラリーの舞台でその名を高めてきたフォードがワークス活動をスタートしたのは、68年に登場したエスコート(マークⅠ)から。74年にはエスコート・マークⅡを投入してワークスだけでなく、多くのプライベーターにも愛された名車となりました。フォード本体としては3回(79年、2006年、07年)、フォード車を使っているMスポーツでの獲得(17年)を加えれば、計4回のマニュファクチャラーズチャンピオンを獲得しています。グループB時代には革新的なパッケージを持ったRS200を投入するも、タイミングの遅れから本領発揮には至らず。その後のグループAではシエラ・コスワース、シエラXR 4x4を立て続けに投入すると、93年のエスコートRSコスワースではライバルのトヨタに伍するスピードを手に入れ、マニュファクチャラーズランキングではトヨタに次ぐ2位を得ています。

また、WRカー時代はベース車両をコンパクトカーのフォーカスとします。03年には徹底的な低重心化と重量物の中央集中化を図り、さらに空力パーツをまとったフォーカスRS WRCで世界を驚かせます。この考え方はWRカーのスタンダードとして広く他メーカーも追従することになりました。後年の2000年代中盤にはスバルとのライバル関係にあり、2年連続でのマニュファクチャラーズチャンピオンを獲得しています。その後ベース車両をフィエスタにスイッチ。13年からはフォードの関与は技術供与のみとなりますが、Mスポーツがその戦いを引き継ぎ現在に至ります。長年参戦する間には様々な紆余曲折や成績の好不調はありましたが、その波にかかわらず常にWRC参戦を継続し続けてきた、なくてはならない存在と言えるでしょう。

プジョー

プジョー

長期間にわたってWRCで活躍してきたメーカーとして外せないのはプジョーです。古くは1970年代、特に耐久性の問われたアフリカのラリーで404や504などを走らせ、その名声を高めてきました。80年代、グループB時代になるとその活動は本格化。現在FIAの会長を務めるジャン・トッドが率いるプジョー・スポールは、ミッドシップエンジン+4WDという、グループBの“勝利の方程式”を作った205 T16を製作します。ランチアやアウディ、そしてトヨタらとの戦いを制して85年〜86年と2年連続でマニュファクチャラーズチャンピオンを獲得し、その強さを見せつけました。その後はグループCカーやF1に参戦し、WRCとは距離を置いていたものの、306をベースとした306キットカーをはさんで99年シーズン半ばに206 WRCでトップカテゴリーへと復帰を果たします。

当時のWRカーのなかで最もコンパクトな車体をもつ206 WRCは、あらゆる路面で速さを発揮するようになり2000年〜02年に3年連続でマニュファクチャラーズチャンピオンを制覇。さらにドライバーズ選手権も、マーカス・グロンホルムが00年、02年の2回獲得しています。三菱のトミ・マキネンの連覇記録をストップさせ、トヨタ、三菱、スバルによる90年代後半の日本車時代に終止符を打った存在と言えるでしょう。その後はクーペ・カブリオレの307CCをベースとした307 WRCを投入しますが、05年を限りに活動を休止。現在では208をベースとしたプライベーター向けの車両がラリーに参戦するなど、ラリー活動はカスタマー部門のみに限られています。

シトロエン

60年代からプライベーターが散発的な参戦を行ってきたシトロエンが、WRCの表舞台に登場したのはグループB時代のBX4TC。しかし並み居るライバルたちには太刀打ちできず、その後ラリーレイドに軸足を移してパリ・ダカールラリーへの参戦などを行ってきました。その後1999年には、F2キットカー規定を活用したクサラ・キットカーでWRCの表舞台に再び登場すると、レスポンスに優れた自然吸気エンジンと軽量・ワイドな車体を活かしてターマック(舗装路)ラリーで活躍。4WD+ターボのWRカーを相手に2勝を挙げるスピードを見せました。

その後、独自に開発した4WDシステムを盛り込んだクサラWRCでトップカテゴリーに名を連ね、C4 WRC、DS3 WRCとモデルチェンジを続けながら計8回のマニュファクチャラーズチャンピオンを獲得(2003年〜05年、および08年〜12年)、そしてセバスチャン・ローブの9年連続チャンピオン獲得(04年〜12年)という無敵の強さを誇り、スバルや三菱、スズキといった日本車メーカー勢にとって脅威の存在となりました。

[ガズー編集部]

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