憧れのクルマ回顧録…トヨタ『MR2』進化を続けたじゃじゃ馬マシン
トヨタ『MR2』が初代から2代目に移行したのが1989年のこと。そう、日本の自動車史に燦然と輝く当たり年。日産がスカイラン『GT-R』を復活させ、ホンダが『NSX』をデビュー、マツダがユーノス『ロードスター』を登場させた年です。
時はバブル真っ盛りですし、とにかく百科絢爛な時代です。初代のMR2は1984年のデビューで、『カローラ』系の基本コンポーネンツを使って作られたミッドシップスポーツでした。型式名は「AW10」もしくは「AW11」でAは搭載されたAエンジンを表しています。一方2代目は『セリカ』や『コロナ』をベースとしたモデルで型式名は「SW20」、SはS系エンジンを表しています。
さてそんなMR2ですが、私はいろいろな思い出があります。1989年の私はまだ駆け出しも駆け出しのフリーランスで、バイトに毛が生えたようなものでした。当然、メーカー主催の試乗会などに呼んでもらえるような存在ではありません。2代目MR2デビュー時の試乗会は箱根で行われていたのですが、当然私は呼ばれていません。しかし、試乗会場には行ったのです。某自動車雑誌の仕事で、試乗会終了後に箱根のホテルで試乗車をピックアップし、茨城県の谷田部にあった日本自動車研究所に運ぶという任務です。新宿からロマンスカーに乗って箱根湯本へ。さらに箱根登山電車に乗って試乗会場のホテルへ向かいました。
ホテルの試乗会受け付けで「すみません、〇〇(雑誌名)ですが、広報車の引取に来ました」と伝えると「〇〇さん、ラッキーですね。クルマ残っていますよ」という返事。なんでも試乗車が何台も、事故でボディにキズが付いたり、凹んだり、という状況だったのです。普通、広報の方はこういう言い方をするもんじゃありません。よほど、あきれたのでしょう。とにかく、私は安全に谷田部にMR2を届けなかればならないので、慎重の上にも慎重にドライブして箱根から谷田部に向かった記憶があります。何しろこの時代は安全デバイスといってもABS程度しかついていない時代です。
当時のMR2の印象はというと、コーナーでちょっと余分にパワーをかけるとリヤが滑り出してしまい、そのコントロールが難しいというものでした。同じ後輪駆動でもFRの場合は重量物が前後に分かれています。一方ミッドシップの場合は、中心に重量物が集中しているので動きが急激になるのです。フィギュアスケートで選手がスピンしているときに、手や足を上に上げると回転速度が上がると同じ原理で、重量が中心に寄ってくると回転速度が速くなります。同じ後輪駆動といってもFRとミッドシップでは挙動が違うものになります。
私は29歳から富士フレッシュマンレース(途中から富士チャンピオンレースと改名)にマツダ『サバンナRX-7』(FC3S)で参戦するのですが、RX-7クラスは参加台数が少なかったため、同じく参加台数が少ないMR2と混走でした。どちらも後輪駆動ですが、その挙動はやはり異なります。とくにウエットレースとなったときのMR2は300Rでスピンすることが頻繁で、とにかくMR2のアウト側には並ばないというのが絶対的な走り方の基本でした。
とにかくテールハッピーだったMR2は、マイナーチェンジのたびにリヤのスタビリティを高める方策が採られます。1989年のデビュー時のタイヤサイズはフロントが195/60R14、リヤが205/60R14です。1991年4月には特別仕様車の「Gリミテッドスーパーエディション」というモデルを投入しますが、このモデルではリヤのタイヤサイズを195/60R14と前後同一にしてしまいます。これはミッドシップ車のタイヤセッティングとしては御法度ともいえるもので、例外的なものとみていいでしょう。
1991年12月に行われたマイナーチェンジでタイヤは15インチとなります。フロントは195/55R15、リヤはサイズアップが行われ225/50R15となります。このタイヤサイズ変更のタイミングで実はサスペンションの取り付け位置なども見直されます。これによりMR2はかなりリヤのスタビリティがアップしたのですが、それでもまだじゃじゃ馬であることには変わりありませんでした。
2年後となる1993年のマイナーチェンジでは、ふたたびサスペンションのセッティング変更が行われます。同時にボディ強化、エンジンも当初のターボが225馬力、NAが165馬力からターボが245馬力、NAが180馬力にパワーアップされます。1997年12月に登場する最終モデルはリヤのスポイラーを大型化することなどでさらなるリヤのスタビリティアップを図っています。
このように2代目MR2の歴史はリヤのスタビリティをいかに確保するか? という歴史でした。MR2の後継モデルとしては1999年に『MR-S』が登場しますが、MR2のじゃじゃ馬さとはまったく異なるモデルとなりました。20世紀最後にトヨタが作ったじゃじゃ馬モデル、それが2代目MR2だったのです。
時はバブル真っ盛りですし、とにかく百科絢爛な時代です。初代のMR2は1984年のデビューで、『カローラ』系の基本コンポーネンツを使って作られたミッドシップスポーツでした。型式名は「AW10」もしくは「AW11」でAは搭載されたAエンジンを表しています。一方2代目は『セリカ』や『コロナ』をベースとしたモデルで型式名は「SW20」、SはS系エンジンを表しています。
さてそんなMR2ですが、私はいろいろな思い出があります。1989年の私はまだ駆け出しも駆け出しのフリーランスで、バイトに毛が生えたようなものでした。当然、メーカー主催の試乗会などに呼んでもらえるような存在ではありません。2代目MR2デビュー時の試乗会は箱根で行われていたのですが、当然私は呼ばれていません。しかし、試乗会場には行ったのです。某自動車雑誌の仕事で、試乗会終了後に箱根のホテルで試乗車をピックアップし、茨城県の谷田部にあった日本自動車研究所に運ぶという任務です。新宿からロマンスカーに乗って箱根湯本へ。さらに箱根登山電車に乗って試乗会場のホテルへ向かいました。
ホテルの試乗会受け付けで「すみません、〇〇(雑誌名)ですが、広報車の引取に来ました」と伝えると「〇〇さん、ラッキーですね。クルマ残っていますよ」という返事。なんでも試乗車が何台も、事故でボディにキズが付いたり、凹んだり、という状況だったのです。普通、広報の方はこういう言い方をするもんじゃありません。よほど、あきれたのでしょう。とにかく、私は安全に谷田部にMR2を届けなかればならないので、慎重の上にも慎重にドライブして箱根から谷田部に向かった記憶があります。何しろこの時代は安全デバイスといってもABS程度しかついていない時代です。
当時のMR2の印象はというと、コーナーでちょっと余分にパワーをかけるとリヤが滑り出してしまい、そのコントロールが難しいというものでした。同じ後輪駆動でもFRの場合は重量物が前後に分かれています。一方ミッドシップの場合は、中心に重量物が集中しているので動きが急激になるのです。フィギュアスケートで選手がスピンしているときに、手や足を上に上げると回転速度が上がると同じ原理で、重量が中心に寄ってくると回転速度が速くなります。同じ後輪駆動といってもFRとミッドシップでは挙動が違うものになります。
私は29歳から富士フレッシュマンレース(途中から富士チャンピオンレースと改名)にマツダ『サバンナRX-7』(FC3S)で参戦するのですが、RX-7クラスは参加台数が少なかったため、同じく参加台数が少ないMR2と混走でした。どちらも後輪駆動ですが、その挙動はやはり異なります。とくにウエットレースとなったときのMR2は300Rでスピンすることが頻繁で、とにかくMR2のアウト側には並ばないというのが絶対的な走り方の基本でした。
とにかくテールハッピーだったMR2は、マイナーチェンジのたびにリヤのスタビリティを高める方策が採られます。1989年のデビュー時のタイヤサイズはフロントが195/60R14、リヤが205/60R14です。1991年4月には特別仕様車の「Gリミテッドスーパーエディション」というモデルを投入しますが、このモデルではリヤのタイヤサイズを195/60R14と前後同一にしてしまいます。これはミッドシップ車のタイヤセッティングとしては御法度ともいえるもので、例外的なものとみていいでしょう。
1991年12月に行われたマイナーチェンジでタイヤは15インチとなります。フロントは195/55R15、リヤはサイズアップが行われ225/50R15となります。このタイヤサイズ変更のタイミングで実はサスペンションの取り付け位置なども見直されます。これによりMR2はかなりリヤのスタビリティがアップしたのですが、それでもまだじゃじゃ馬であることには変わりありませんでした。
2年後となる1993年のマイナーチェンジでは、ふたたびサスペンションのセッティング変更が行われます。同時にボディ強化、エンジンも当初のターボが225馬力、NAが165馬力からターボが245馬力、NAが180馬力にパワーアップされます。1997年12月に登場する最終モデルはリヤのスポイラーを大型化することなどでさらなるリヤのスタビリティアップを図っています。
このように2代目MR2の歴史はリヤのスタビリティをいかに確保するか? という歴史でした。MR2の後継モデルとしては1999年に『MR-S』が登場しますが、MR2のじゃじゃ馬さとはまったく異なるモデルとなりました。20世紀最後にトヨタが作ったじゃじゃ馬モデル、それが2代目MR2だったのです。
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