蒸気から燃料電池へ ~動力源に見る自動車進化論~(前編)

2014年12月に、トヨタから燃料電池車のMIRAI(ミライ)がいよいよ発売された。それに次いで、2015年度内にはホンダから、さらに数年のうちには日産からも燃料電池車が発売される予定だ。そこで今回は、自動車のパワーユニットの変遷を振り返ってみよう。

スコットランド人のジェームズ・ワットが蒸気機関の効率を高めたことにより、産業革命が起きたというのは有名な話だが、蒸気機関自体はそれ以前からあった。後世に大きな影響を及ぼす効率のいい蒸気機関が開発されたのと同じ1769年、フランスでは陸軍の技術大尉だったニコラス・キュニョーが、蒸気の圧力でピストンを動かし、前輪を駆動する三輪自動車を製作していた。パリにある砲兵工廠(こうしょう)で大砲をけん引するために作られたもので、これが自動車第1号と認められている。自動車の最初の動力源は蒸気だったのだ。
余談だが、キュニョーの蒸気自動車はパリの街へ試運転に出て事故を起こしてしまう。1輪の前輪の前にボイラーやエンジン部があり、操舵(そうだ)力が重いうえに操舵角も十分ではなく、回転半径が大きすぎて塀にぶつかってしまったのだ。これが自動車による交通事故第1号になってしまった。

世界初の自動車であるキュニョーの蒸気自動車。(提供 トヨタ博物館)

続いて、19世紀の前半には電気自動車が生まれるが、直流モーターが出来上がった段階でいろいろな人物が電気自動車に挑戦したため、誰が最初でそれは何時、という記録は定かでない。

その後、1886年になってドイツのカール・ベンツがガソリンエンジン自動車を作り、特許を取得する。キュニョーの蒸気自動車もベンツのガソリン自動車も前輪が1輪であったのは、当時はまだ転舵(てんだ)された前輪の内輪と外輪で走行距離に差が生じるのを、1つの操舵操作で解消する手段が見つけられていなかったためだ。ちなみにベンツは、7年後の1893年に四輪のガソリン自動車を生み出している。とはいえ、すぐにガソリンエンジン自動車の時代が来たかというと、必ずしもそうではなかった。

1893年に登場したベンツ・ヴィクトリア。ダブルピボット式の操舵装置を使った革新的なモデルだったが、ガソリンエンジン自動車がスタンダードとなるには、まだ時間が必要だった。

例えば、自動車レースのはじまりとされる1894年のパリ~ルーアン間の信頼性トライアルに集まったのは、21台の蒸気自動車とガソリン自動車だったが、この中で最初にゴールしたのはド・ディオンの蒸気自動車だった。しかし、この蒸気自動車は一人で走らせることができないため、結果はガソリン自動車の勝ちとされた。また当時は速度記録への挑戦も盛んだったが、1899年に世界で初めて100km/hを突破したのは、ベルギー人のカミーユ・ジェナッツィが製作した電気自動車ジャメ・コンタント号だった。車名の意味は「決して満足しない」という、速度への飽くなき欲求を言い表していた。

カミーユ・ジェナッツィと電気自動車のジャメ・コンタント号。自動車黎明期には、電気も将来の動力源として有望視されていた。

このように、当時まだガソリン自動車の天下とはならなかった理由は、キャブレターやイグニッションコイルが実用化されておらず、出力調整がうまくできなかったり、出力を上げられなかったりしたためだ。対して電気自動車は、電流の調節でそれらをガソリンエンジンより簡単に行える。フェルディナント・ポルシェが、自らの最初の自動車、ローナー・ポルシェを電気自動車とし、またその距離を伸ばすためにシリーズ式ハイブリッドを採用した背景には、「エンジンはまだ定回転で運転するもの」程度の認識だった当時の様子がうかがえるのである。発明王のトーマス・エジソンも、電気自動車の製作に熱中していた。

フェルディナント・ポルシェが製作したシリーズ式ハイブリッド車のローナー・ポルシェ・ミクステ。エンジンも搭載していたが、それはあくまで発電用だった。

テキサスで巨大油田が発掘され、T型フォードが誕生する頃までは、まだ自動車にはどのようなパワーユニットが適しているのか、模索の続く時代であったといえる。

(文=御堀直嗣)

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[ガズ―編集部]