ベーシストのこだわり [ランドクルーザー プラド 有元真人 チーフエンジニア](1/2)

ランドクルーザーのDNAともいえる堅牢性と高い信頼性を受け継ぎ、70系のライトデューティとして1984年に誕生したランドクルーザープラド。現在は世界約190の国・地域で販売されるグローバル・モデルに成長している。4代目となる今回のモデルでは、「オフロード&いつもの快適」を開発コンセプトに、「伝統の信頼性と堅牢性(ランクルDNA)」「圧倒的なオフロード・オンロード性能」「シートアレンジなどのユーティリティ」そして、「環境性能」と「安全性能」の5つをミッドサイズの中に高次元にバランスさせている。そんな4代目プラドの開発を2005年から担当してきた、チーフエンジニア有元真人をトヨタ商用車センターに訪ねた。

ベーシストにはチーフエンジニアの仕事は向いていない

有元真人
有元真人
1960年岡山県生まれ。大学院の工学研究科金属加工学専攻を修了後、1984年トヨタ自動車入社。電子技術部でA/Tや4WDのECUの設計、オー ディオの設計などを担当。その後、技術管理部、FC技術部などを経て、製品企画本部に異動。タコマ、サーフ、ランドクルーザープラド、レクサスGX、RAV4、ヴァンガードなどの開発を歴任。トヨタにおけるSUVの第一人者のひとりである。

僕が考えるチーフエンジニア像というのは、「自分自身の中に“こうしたい”という想いを描き、そしてその想いをメンバーに熱く語って、みんなをぐいぐい引っ張っていく」、そんなタイプの人です。ロックバンドに例えれば、自分で歌詞も曲も書いて、そして自らそれを歌うリードボーカル。そういう人こそ、開発に700人~1,000人が関わる大きなプロジェクトを率いてクルマ作りをしていくチーフエンジニアという仕事に向いていると思います。
しかし、残念ながら、僕はそういうタイプではありません。学生時代にやっていたバンドではベーシストでした(笑)。舞台の真ん中で思いっきり自分を表現するのではなく、ちょっと端の方で地味に、それでいてリズムとメロディのつなぎの要役。仕事においても生き方においても、そんな役割。目立たないけどなくてはならないキーマンとか、参謀役、表には出ない黒幕のようなポジションが好きです。人前に出て、注目を集めるようなことは昔から苦手です。
また、ベースというのは、当時演奏する人間が少なかったのでいろいろなバンドから声が掛かりました。ですから僕もメインで活動するバンドはありましたが、その他にもベーシストとしていろいろバンドを掛け持ちしていました。しかもR&Bからロック、歌謡曲まで幅広くやっていました。つまり、自分に何か強烈に伝えたい音楽があったわけではなく、僕はベースが演奏したいベースプレーヤーだったのです。
僕はそんなタイプの人間ですから、およそチーフエンジニアという仕事には最も向いていないタイプに違いないと思っていましたし、今でもその考えは変わりません。

有元真人
有元真人
1960年岡山県生まれ。大学院の工学研究科金属加工学専攻を修了後、1984年トヨタ自動車入社。電子技術部でA/Tや4WDのECUの設計、オー ディオの設計などを担当。その後、技術管理部、FC技術部などを経て、製品企画本部に異動。タコマ、サーフ、ランドクルーザープラド、レクサスGX、RAV4、ヴァンガードなどの開発を歴任。トヨタにおけるSUVの第一人者のひとりである。

受けた以上は死力を尽くす

トヨタ商用車センターに異動する前のFC技術部では、2002年の東京モーターショーに出品した燃料電池バスの開発プロジェクトリーダーや、愛知万博で長久手と瀬戸の2つの会場を結んでいた燃料電池バス用燃料電池システムの開発を担当していました。そして、たぶんその後は東富士の研究所で燃料電池分野の部長になるのだと自分では思っていましたし、周りもみんなそう思っていました。それが突然、プラドのチーフエンジニアを仰せつかることになった。とにかく驚きました。「頭の中が真っ白になる」というのはこういうものかと思いました。
また、トヨタ自動車では、チーフエンジニアという仕事は実験や車両ボディの経験者がなるのが慣例です。僕はもともと電子技術部出身ですが、同部からチーフエンジニアになるのは僕が初めてのケースでした。部長から「有元、わかってるな。お前がこけたら、もう二度と電子技術部からチーフエンジニアは出ないことになるからな。しっかりやれよ!」とプレッシャーをかけられても、当の本人が一番、この仕事に向いていないと思っているのですから、心底、困りました。僕にとっては、盛り上がっているコンサートの途中で、突然、ベーシストにマイクが回ってきて、「歌え!」って言われたようなものです。
しかし、いったん受けた以上は、言い訳はできない。自分のできる限りの最善を尽くす。そのあたりがベーシスト気質というか、プレーヤー気質(かたぎ)なんです。そこで、それまで電子技術部時代に自分が仕えてきたCEの人たちの仕事ぶりを思い出し、見よう見まねで、慣れないリードボーカル役を演じてきました(笑)。しばらくして、あるメンバーから「初めはどうなるかと思っていましたが、ここ2年の間に有元さんの成長を見せてもらいましたよ!」なんて言われたりしたくらい、実際、最初はひどかったみたいです。

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