【ベントレー ミュルザンヌ 最終試乗】消えゆく60年の歴史と、最後の御対面…中村孝仁

ベントレー ミュルザンヌ
恐らくベントレー『ミュルザンヌ』に試乗できるチャンスはこれが最後だと思う。というのもミュルザンヌの生産終了が本国でこの1月に発表されたからである。

そして同時にこのクルマに搭載されている、シックス・スリークォーターという独特な呼び名を持つV8エンジンも、ミュルザンヌと共に姿を消すことになった。だから、今回の試乗はクルマとエンジンの両方に別れを告げるものでもある。勿論こんな高価なクルマにそうそう乗れるものではないし、日頃我々が良いだの悪いだのとあれこれと評価をする自動車という対象からは正直言って外れている印象が強い。


◆シックス・スリークォーターエンジンの終焉

ミュルザンヌの誕生は1980年。当時はまだロールスロイス傘下にあったベントレーが生み出したモデルである。しかし12年後の1992年にその姿を消した。そして再びデビューしたのは2009年のこと。すでに当時ベントレーはロールスロイスと離れてVWグループの一員であったが、分離の際にゴタゴタがあり結局ロールスロイスが持っていた遺産はすべてベントレーが引き継ぐことになって、件のシックス・スリークォーターエンジンや有名なクルーの工場施設はすべてベントレーが受け継いだのである。

シックス・スリークォーターとは6と3/4、即ち6.75で、これがエンジンの排気量であることはロールスロイスやベントレーの歴史に詳しい読者ならすぐにわかること。この6.75リットルV8の母体となったエンジンが誕生したのは1950年。しかしそこから量産にこぎつけるには実に9年の歳月が流れたのである。というわけで、実際に量産エンジンが誕生したのは1959年のことだった。そして当時はまだ排気量も6.23リットルであった。

排気量が6.75リットルとなってデビューするのは1970年のことである。以来改良を重ねながらこのL型と呼ばれたV8エンジンは、ロールスロイス及びベントレーの心臓として働き続けてきた。つまりその歴史は優に60年に迫る。改良を重ねているとはいえ、これほど長く一つのエンジンが生産されてきた例は知らない。恐らく最長不倒ではないだろうか。だから、形式も古くデビュー当時からのOHVを貫く。

しかしながらキャブレターから燃料噴射に変わり、ブロックを含むありとあらゆるパーツは強化され、新しいマネージメントシステムが導入される等々、とても基本設計が60年も前のものとは思えないほどスムーズでトルクフルなエンジンとしてこれまで生き続けてきた。だが、さすがに厳しい環境下で次世代まで燃費や排ガスの規制を潜り抜けることは無理だったのであろう。ついに終焉を迎える時が来た、というわけである。


◆60年近く作り続けられた歴史の鼓動

威風堂々とした全長5.6m弱の巨大ボディゆえ、こいつを飛ばそうなどと考える人はなかなかいない。一度だけ高速で思いっきりそのパフォーマンスを堪能したことがあるが、流石に1020Nmという途方もないトルクは加速の重さが違うとでも言おうか、高速からホントに止まれるのかと心配になったほどだ。そしてこうした超高速にもベントレーというクルマは平然と対応するのである。

細部に至るまで最上の素材を使い、丁寧に仕上げられたインテリアの佇まいは特に後席に乗ると、自分の居場所が本当にクルマの中なのか疑いたくなるほど美しく仕上げられている。快適なシートも正直言えば無粋で唯一調度に似合わないシートベルトを締めたくない衝動に駆られる。

V8エンジンの鼓動はかすかだが確実にドライバーの耳に伝わり、極端な静粛性を求める現代の高級車像と少し違うのかもしれないが、それこそ60年近く作り続けられた歴史の鼓動でもある。

このミュルザンヌの地位を引き継ぐのは新しく誕生する『フライングスパー』で、その心臓部はVWグループが作り上げるW12ユニットに代わる。これで骨格からエンジンに至るすべてのメカニカルコンポーネンツは英国の自動車史に燦然と輝いたクルー工場が生み出したものではなくなる。勿論クルマはクルー工場で組み立てられるのだが、一つの歴史に終止符が打たれたことだけは間違いない。



■5つ星評価
パッケージング:★★★★★
インテリア居住性:★★★★★
パワーソース:★★★★★
フットワーク:★★★★★
おすすめ度:★★★★★

中村孝仁(なかむらたかひと)AJAJ会員
1952年生まれ、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾るクルマ好き。その後スーパーカーショップのバイトに始まり、ノバエンジニアリングの丁稚メカを経験し、その後ドイツでクルマ修行。1977年にジャーナリズム業界に入り、以来42年間、フリージャーナリストとして活動を続けている。また、現在は企業向け運転講習の会社、ショーファーデプト代表取締役も務める

(レスポンス 中村 孝仁)

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