メルセデスベンツ Eクラスワゴン 新型試乗 ワゴンはセダンに取って代わる存在か?…中村孝仁

◆ステーションワゴンのヒストリー

自動車の形とニーズは時代によって様変わりする。それはここ30年ほどの大きな変化のように感じられる。

自動車が本格的に庶民の生活に浸透し始めたのは、少なくとも日本では昭和30年代以降の話だ。まさに映画『3丁目の夕日』の時代からの話である。当時自動車といえば、セダンが王道。高級車もファミリーカーも皆セダンであった。

当時、ステーションワゴン型のクルマは、日本ではバンと呼ばれた商用車でしかなかった。しかし同じころ、アメリカではステーションワゴンはファミリーカーの王道であり、セダンよりもその地位は高かったのである。

その後そのファミリーカーの地位は、アメリカではまずミニバンに移行し、その後は今我が世の春を横臥しているSUVに移っていった。日本も同じようなもので、ワゴンがファミリーカーの代表格にのし上がったことはないものの、セダンからワンボックスに移行し、そこからミニバンに行った。まだSUVがファミリーカーの王道といえるほどではなく、日本は今でもミニバンの力が強い。


メルセデスのワゴンヒストリーは実はそれほど長いものではなく、「W123」と呼ばれたコンパクトメルセデスの時代に本格的なステーションワゴンがリリースされたから、その始まりは1970年代である。しかしそれ以降、後に『Eクラス』と呼ばれるようになった現在のモデルに至るまで、ワゴンは常にラインナップを飾ってきた。そして傑作の誉れ高い「W124」のワゴンは、今でも人気があるほどその地位を決定的なものにした。

メルセデスのワゴンは、ワゴンを得意としていたボルボとよく比較されたが、当時からその使い勝手の良さに関してはボルボに引けを取らなかった。

◆排気量の小ささに衝撃を受ける


その最新モデル「E200ステーションワゴン」は、セダン同様1.5リットル直4ターボを搭載する。W124の時代だってメルセデスは直4エンジンを搭載していた。しかしその排気量は小さくても2.2リットル。まあ当時はターボを装備していなかったので、性能的には今の1.5リットルの方が遥かに強力なのだが、その排気量の小ささには少々衝撃を受ける。

それにしてもこのエンジン、よく回りそして十分なパフォーマンスを発揮してくれる。どこかのサイトに「排気量至上主義はやめよう」と書かれていたが、ホントにその通りだ。それにこのクルマはISGを装備しているから電気の力も借りている。アイドリングストップしても、するするとそれこそ音もなくエンジンがかかる。セルモーターの独特なチャラチャラというか、キュルキュルという作動音と、それに伴うエンジンの揺れを感じることがない。ISGの良いところはまさにここだ。

排気量の小ささを補うのが9速ATの存在という気がする。トルクはたっぷりだが、やはり適切なギア比を使うことで、エンジンのポテンシャルを十分に引き出せる。安いクルマには豪勢なATを装備出来ないもどかしさがあるが、さすがにEクラスの価格帯になると無い。その点もこのクルマのポテンシャルを引き上げている要因だ。しかもこの9ATのシームレスさは大したもの。何の不満もない。

◆セダンよりファミリーカーに適しているのは間違いない


昔は広大な室内空間と開口部分が大きかったことで、ボディ剛性の足りなさや、室内が一種の共鳴箱となることで、音の遮断などもセダンに比べると難しい側面があったものだが、今ではそんなことも皆無。セダン並みの骨格とセダン並みの静粛性を手に入れている。その上で、セダンより遥かに機能性に優れ、積載能力も高いワゴンがセダンに取って代われる要素は正直言えばいくらでもある。

つまりファミリーカーにするならばセダンよりはワゴンの方が適しているというのは間違いない。昔のアメリカはそこに目をつけていた。だから車種によってはテールゲートのウィンドーが開くものだってあった。追突の危険を考えて今ではそんな仕掛けをテールゲートに持つクルマはないが、それでもガラスハッチを開けられるモデルは存在する。

SUVのような威圧的な大きさが嫌な人や、今ある日本製ミニバンのようにとことん子育てファミリーに特化したようなファミリー以外なら、セダンよりこちらの方がファミリーカーに適していることは間違いなし。そもそもファミリーカーという呼び方に抵抗のある人には、1台で何でもこなせる便利なクルマとでも言っておこう。とにかく価値有るクルマである。



■5つ星評価
パッケージング:★★★★★
インテリア/居住性:★★★★
パワーソース:★★★★
フットワーク:★★★★
おすすめ度:★★★★★

中村孝仁(なかむらたかひと)AJAJ会員
1952年生まれ、4歳にしてモーターマガジンの誌面を飾るクルマ好き。その後スーパーカーショップのバイトに始まり、ノバエンジニアリングの丁稚メカを経験し、さらにドイツでクルマ修行。1977年にジャーナリズム業界に入り、以来43年間、フリージャーナリストとして活動を続けている。また、現在は企業やシニア向け運転講習の会社、ショーファデプト代表取締役も務める。

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