必要なのは“突き抜ける”こと [ダイハツ ミラ 大野宣彦チーフエンジニア](1/2)

軽自動車が元気である。乗用車全体の販売が伸び悩む中、 軽自動車の年間販売台数は2006年、過去最高を更新し、 ついに200万台の大台を突破した。 ガソリン高騰などの追い風があったことも事実だが、 各メーカーが次々と魅力的なニューモデルを 投入していることも大きな要因だろう。
なかでも目立っているのがダイハツである。 2005年末から2006年にかけて「エッセ」と「ソニカ」を 新発売したと思ったら、2006年10月には、「ムーヴ」 「ムーヴカスタム」を、12月には「ミラ」「ミラカスタム」を フルモデルチェンジした。
怒濤の新車攻勢。しかも、そのどれもが高い評価を受け、 販売も好調だという。ダイハツ恐るべし、なのだ。
編集部が今回、注目したのは「ミラ」「ミラカスタム」。 1980年の初代モデルから歴史を持つ同社の主力車種であり、 いわば"軽自動車界のカローラ"とでも言うべき存在。 軽自動車の"いま"を知るにはうってつけと考えたのである。
さっそく新しい「ミラ」を創ったチーフエンジニア 大野宣彦氏に話を伺うべく、大阪へ向かった編集部。 待っていたのは、笑顔でクルマづくりに情熱を傾け続ける、 浪速の"クルマ屋"だった。

大好きなクルマの仕事だから、楽しくて仕方がない。

【プロフィール】
1981年、ダイハツ工業に入社。
実験部に所属し、さまざまなモデルの開発において、走行テストなどを担当。
1996年に念願叶って商品開発部門に異動。
今回の「ミラ」「ミラカスタム」には、2003年のプラットフォーム開発から携わり、2006年12月、チーフエンジニアとして最初のクルマを送り出した。

私は子どもの頃、宇宙飛行士になりたかったんです。 それが難しいと分かったら、次はパイロット。空に憧れていたんですね。 でも、大学に入ると、だんだんと夢も地に足が付いてきまして(笑)、 自動車メーカーでクルマを創りたいと思うようになりました。
その直接のキッカケは、大学の自動車部に入ったことです。 入部の動機は不純で、入れば先輩に運転を教えてもらえて、 教習所に行かずに格安で運転免許が取れると聞いたもので(笑)。 入部後は、クルマを運転するのも触るのも好きになり、 下手ながらもドライバーとしてラリーに出場したりしました。
1981年にダイハツに入社。実験部に配属されました。 試作段階のクルマをより良い完成車に近づけるため、 さまざまなテストを行う部署です。
もう毎日が楽しくて仕方なかったですよ。 まだ世の中に出ていない試作車に触わることができるのですから。 ワクワクして、あちこち触って走らせて。 毎日、遊んでるのか仕事しているのか分からない状態でした(笑)。
とにかくクルマが好きだから、何をやっても楽しくて仕方がなかったんです。