二律背反するチャレンジ。 [3代目プリウス 大塚明彦チーフエンジニア](1/2)

“21世紀に間に合いました”。世界初のハイブリッドというパワートレーンを搭載、トヨタが提案する未来のクルマの一つのカタチとして1998年にデビューした初代プリウス。そして、燃費性能だけでなく、走り、デザインといったクルマ本来の基本価値、使用価値を飛躍的に向上させ、さらには地球環境に配慮したライフスタイルを表現する感性価値がハリウッドスターたちをはじめ、世界中の人々から高く評価された2代目プリウス。そしてそれから約6年。次はどんな革新性、先進性で私たちを驚かし、未来のクルマの方向性を提案してくれるのか?世界中が注目し、待ちわびていた中、2009年5月、満を持して登場した3代目プリウス。その新型プリウスのコンセプト策定から開発、製造までを約4年半にわたりずっと担当してきたチーフエンジニア大塚明彦をトヨタテクニカルセンターに訪ねた。

クルマも(メカ工学から)電気工学の時代になるはず…

大塚明彦
大塚明彦
1962年、大阪府生まれ。
大学では電気工学を専攻。
1986年、トヨタ自動車に入社。
振動実験課に配属される。1994年から約3年半ヨーロッパ駐在を経験。帰国して、一度、振動実験の部署に戻った後、1998年末に製品企画部門に異動。初代エスティマハイブリッドを担当する。その後、初代アルファードハイブリッド、2代目エスティマハイブリッドを担当。2004年10月から3代目プリウスのプロジェクトに参加。
2007年より、チーフエンジニア小木曽聡からチーフエンジニアの職を引き継ぎ、開発責任者として、製品企画チームおよび総勢約2,000人にもなる新型プリウス開発プロジェクトを引っ張ってきた。

子どもの頃からクルマが大好き。就職の第一希望はもちろん自動車メーカーでした。自動車の開発そのものに携わる仕事がしたいと思っていました。そもそも、大学での専攻に電気工学を選んだのも、「これからの時代はクルマも機械系の技術だけでなく、制御系のエレクトロニクス技術が重要になってくる」という自分なりの予見があったからです。おりしも、ちょうどソアラが発売になり、LEDで表示され電子制御のスピードメーターがとてもインテリジェントに感じられた。私の学生時代はそんな時代でした。
また、私が就職活動をした1985年は、ちょうど現在の電子技術部が新設されたばかりの時で、電気・電子系学科の学生の採用枠を大きく増やしていました。ですから、入社するのは今ほど難しくはありませんでした。というより、正直なところ比較的簡単に入社できました(笑)。

大塚明彦
大塚明彦
1962年、大阪府生まれ。
大学では電気工学を専攻。
1986年、トヨタ自動車に入社。
振動実験課に配属される。1994年から約3年半ヨーロッパ駐在を経験。帰国して、一度、振動実験の部署に戻った後、1998年末に製品企画部門に異動。初代エスティマハイブリッドを担当する。その後、初代アルファードハイブリッド、2代目エスティマハイブリッドを担当。2004年10月から3代目プリウスのプロジェクトに参加。
2007年より、チーフエンジニア小木曽聡からチーフエンジニアの職を引き継ぎ、開発責任者として、製品企画チームおよび総勢約2,000人にもなる新型プリウス開発プロジェクトを引っ張ってきた。

運命的な振動実験課への配属

当時のトヨタでは、電子技術部のような先端的な技術開発を専門的に行う部署はもちろんのこと工場の生産技術など社内のさまざまな部署で電気系の技術が必要とされていました。だからこそ、私も子どもの頃からの憧れだった自動車メーカーに就職できたわけです。
しかし、まったく勝手な話ですが、私はそんな電気系の技術が必要とされている分野にはまったく興味がなく、とにかくクルマ全体を扱う仕事をしたい。もっといえば、ゆくゆくはチーフエンジニアとしてクルマの開発に携わっていきたいと考えていたのです。「じゃあ、何で、電気専攻なんだ?」と聞かれれば、当時の私には返す言葉は見つかりませんでしたが、「電気の知識と技術でクルマ全体をみる仕事がしたい」と本気で考えていました。クルマが好きだから、部品や工程の一部だけでは満足できなかったのです。
いまから思えば、そんな私のある意味、無邪気でちょっと無謀でもあった夢が、20数年後にハイブリッドカー『プリウス』のチーフエンジニアというカタチで見事に結実しているわけです。この点では私はとても幸せな男だと自負するとともに、ここまで導いてくれた上司や先輩、周囲のみんなに感謝したいと思います。
また、最初に配属されたのが振動実験課という部署で、その時の直属の課長が、後に初代プリウスのチーフエンジニアを務めた内山田竹志(現副社長)だったことも運命的な出会いでありました。
参考までに、部品単位で実験評価をする部署は社内にたくさんありますが、振動実験課(現在は、振動実験室)はクルマ全体を扱う部署であり、その関係で、その後、実験評価のスペシャリストとして製品企画部門に進む人が多く、さまざまなチーフエンジニアを数多く輩出している部署でもあります。

ハイブリッドの可能性に魅せられて

初代からずっとプリウスに携わってきた小木曽聡をサポートするカタチで3代目プリウスの開発チームに参加したのは2004年の10月でした。その時は、とにかくうれしかったですね。
1998年の末から製品企画の部門に異動になり、初代エスティマハイブリッドを担当しました。それ以来ずっと、アルファードなどハイブリッドを担当する中で、私はハイブリッドに、これまでのクルマの常識をひっくり返してしまうかもしれないほどのポテンシャルと可能性を強く感じていました。たとえば、燃費性能と走行性能の関係。従来の常識では、燃費をとれば、走りが犠牲になる。走りを優先すれば、燃費性能が悪くなる。燃費と走りはトレードオフの関係にある。それが常識でしたが、ハイブリッドによるアプローチはそれらを両立させてしまう。それまで二律背反だった命題がハイブリッドによって解消してしまうのです。
そして、プリウスといえば、ハイブリッドの代名詞。トヨタのハイブリッドのフラッグシップです。そして、頭出しして開発した技術を他の車種に展開していくという責務を負っているクルマです。ハイブリッドの可能性に魅せられ、エンジニアとしてのモチベーションそのものがハイブリッドだった当時の私にとって、プリウスは憧れの対象であり、高嶺の花。そのクルマを担当できるなんて、もう夢のまた夢だったわけです。