人の心を動かすクルマのデザイン…安東弘樹連載コラム
先日、私が担当しているラジオ番組のゲストに、自動車デザイナーとして、「魂動デザイン」をコンセプトに国内外の数々の賞を受賞し、世界的にも名を馳せる、マツダ株式会社・エグゼクティブフェロー・ブランドデザイン監修の 前田育男さんをお呼びしました。
30分の番組を2週分、およそ1時間の放送ですので、まだまだ足りないとは思いましたが、しっかりとお話しを伺えたと思います。
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マツダ株式会社・エグゼクティブフェロー・ブランドデザイン監修 前田育男氏
前田育男さんとクルマのデザインについて語る
前田さんは、デザインは人の心を動かす。(正に魂動という言葉の由縁)人生を豊かにする可能性を秘めているということを仰っていて、今の日本のクルマのデザインは少し違う方向に向いているような気がするとお話しをされていました。
私個人としても、同じ感想を持っていましたので、大いに共感しました。
誤解されないように申し上げると、コンセプトカーの時には素晴らしいデザインを纏っている場合も多いので、各メーカー、デザイン力は確実にあるのですが、何故か市販車になると、デザインコンセプトや最も大切な「フォルム」が変わってしまうことが多いのが事実です。
私はかつて、「内外装のデザインやカラー、更には動的、静的質感が全て高次元で具現化されていて、存在自体が美しい」という理由でMAZDA3を日本カー・オブ・ザ・イヤー(以下COTY)に選んだことがあるのですが、残念ながら、その年のCOTYには選ばれませんでした。そのことをお伝えすると、「いやー、有難うございます。私も安東さんと全く同じ理由でCOTYに選ばれると思っていましたが、残念でした(笑)」とお茶目に言葉を返してくださいました。
2019-2020 日本カー・オブ・ザ・イヤー 10ベストカーに選出されたMAZDA3
ちなみに、その時にMAZDA3を選ばなかった大先輩の選考委員に、理由を雑談レベルで訊いてみたところ、その方は「確かに綺麗で洗練されたクルマですけど、所有するにはハードルが高いんですよ。実用的にはミニバンには劣るし、何よりこのクルマから降りた時に自分に似合う気がしないんですよね。洗練され過ぎているクルマを敬遠する方もいると思いますよ」と、冗談交じりに仰っていました。
また他のジャーナリストの方は、最近、いかつい、人を威圧するようなデザインが好まれる理由は、「舐められたくない」という方にとって、そのデザインは必要な機能の一つなのだと、コラムで書いていらっしゃいます。
事実として、いかつい顔のクルマが好まれていますし実際に売れてもいます。
そのことを前田さんにお伝えしたところ、苦笑いで「あのMAZDA3ですか…?本当は、もっと美しくしようと思ったのですが、あれでも抑えたんですよ」とのこと。
確かに、かつてのMAZDAにも、例えば、今見ても美しいサルーン「MS -9」や、私が好きだった「ペルソナ」など、美しさを前面に出したクルマはありましたが、勿論、理由はデザインだけではないと思いますが、販売は振るわなかったのも事実です。
日本では特に趣味性の高いスポーツカーなどの特殊な?クルマ以外には、美しさや洗練はそこまで求められないのかもしれませんね。などと2人で、そんな話になりました。
でも前田さんは、「メーカーが美しく洗練されたクルマだけを生産すれば、日本のクルマの多くがそうなる訳で、そこはメーカーの責任もあると思います」と簡単には諦められない職人としての「意地」も見せます。前田さんのこういう所を私は尊敬するのです(笑)。
勿論、メーカーはユーザーのニーズに応えた上で利益を追求するのが使命ですが、社会的な責任もあると私は思います。クルマというのは街や山間部も走り、その姿を多くの人間が目にします。つまり都市景観の一部であり、もっと言えば国そのものの景色にもなるという考え方もできます。
そういう意味では、国中を威圧感のあるデザインのクルマが沢山走るより、美しく洗練されたクルマが多く走った方が良いのではないでしょうか。そこが正にメーカーの社会的な責任の一部になると私は考えます。
そんな話で盛り上がってきた番組収録でしたが、その上であえて「最近のMAZDA車は、確かにカッコイイけど、どれも同じ様なデザインで面白くない。飽きました。という意見も多いのですが、如何ですか?」と訊いてみました。
すると前田さんは「そこが正に日本メーカーが築けなかった部分で、私はそこに挑戦しているつもりです。」との返答でした。
「例えば、分かりやすいのがドイツメーカーで、メルセデス・ベンツは、どのモデルも、いつの時代のモデルも、ずっとメルセデスのデザインが貫かれていて、デザインの柱があるんです。BMWやアウディもしかり。唯、日本メーカーは、その柱をこれまで築けなかったために、時代やモデルが違うとどのメーカーのクルマかバッジを見ないと分からない。これが私は寂しい」と仰います。
もっと言えば、メーカーだけの話ではなく、その国自体の柱が見えにくいのが残念、との御意見でした。
ドイツ車で言えば堅牢で時速200km/h以上で巡航できる造り。フランス車で言えば、石畳の路面をいなし、気持ち良くワインディングロードを駆け抜けられる足回りなど、国としてのクルマ造りの「柱」をデザイン面でも見ることができるということです。
強いて言えば日本メーカーの柱というのは「壊れにくい」「便利」ということになりますが、それは技術や勤勉さの賜物であり、確かに「フィロソフィー」ではないかもしれません。
唯、「柱」があってもユーザーに「どのモデルも同じように見える」「飽きてきた」と思わせているとしたら、それはデザイナーの責任でもあるので、真摯にその声には応えられるように努力します。と謙虚なお言葉を頂きました。
こういう所も私が前田さんファンである所以です。
思わぬところで共通点が
ちなみに、オフレコの話を一つ…。
実は私と前田さん、クルマの趣味がかなり似ていたのに驚きました。前田さんのお立場故に、具体的なことはお伝えできないのですが、今の愛車とその前の愛車、車種や仕様が同じだったのです。そのクルマの製造国、メーカーも勿論秘密です(笑)。
それにしても驚きました。2週間分の収録を終えて、最後に雑談でお互いに今の愛車の話をしていて、「え?同じクルマですね!」と盛り上がり、私から「実は、その前はこのクルマを所有していて、本当は手放したくなかったんですけど、私はアラブの石油王ではないので、残念ながら、今のクルマを購入するために売らざるを得ませんでした」と申し上げたところ、前田さんは驚いた顔でこう仰いました。「えー!その前のクルマも同じですよ!」と。
ちなみに、両車ともにマニアしか興味を持たない「不便な」MT車です。「これは一度、是非飯でも食いながら、クルマの話をしましょう!」と嬉しいお誘いをいただき、今、正にスケジュールの調整をしているところです(笑)。
その顔は、現在の責任の重い大企業の重鎮ではなく、完全に1人のクルマ好きの、しかも少年時代に戻ったようなお顔でした。
魂動デザインで世界に認められた前田さんも、元々はモノやクルマの「形」に魅入られた少年だったことが伝わってきます。
デザインは人の心を動かし、人生を豊かにする。この言葉、皆さんも、そう思いませんか?
文:安東弘樹 写真:マツダ株式会社、GAZOO編集部









