自分たちで団地を再生する。地域の思いを乗せて走る瀬戸市菱野団地「住民バス」

愛知県瀬戸市菱野団地。かつては、22,000人の人々が暮らすマンモス団地だったこの地域は、次第に人口が減り、高齢化しつつあります。高台に位置し、坂の多いここでは買い物、通院の足を確保するのも容易ではありませんでした。そこで、地元自治会が中心となって「住民バス」を運行しようと地域住民が立ち上がりました。全国でも珍しい地域主導型の菱野団地「住民バス」の定期運行を2018年8月から始めるまでのお話、そして、これからについて、瀬戸市自治連合会会長であり八幡台自治会会長の伊藤勉さん、瀬戸市役所都市計画課 矢野公嗣さんのお二人に伺いました。

人口はピーク時から半分近く、高齢者の割合は4割へ

菱野団地の造成が始まったのは今から約50年前。原山台、萩山台、そして、八幡台と順に開発、入居していき、人口は1番多い時で22,000人もいたとか。その後、住民の子どもたちが独立して菱野団地を離れていくなどして、緩やかに人口は減り続け、今現在は13,000人ほど。ピーク時の半分近くになってしまいました。しかも、開発当時、働き盛りで入居してきた住民たちは年を重ね、60歳以上の割合が40%に上ろうとしています。

高台にひろがる広大な団地
高台にひろがる広大な団地
団地の中心に位置する商店街もシャッターを下ろす店舗が目立つ
団地の中心に位置する商店街もシャッターを下ろす店舗が目立つ

もともと、高台に造成されたこの団地は、全体に起伏が多く、坂の多い土地柄。場所によっては自宅から路線バスの停留所まで300m離れているところもあります。300mといえば、成人男子でも歩いて4分ほどかかる距離。まして、高齢者で坂道を上がり下りしてとなれば相当の労力となります。クルマがないと買い物に行くにも、病院への行き帰りにも難儀してしまうのです。

かなりの勾配の坂道が続く
かなりの勾配の坂道が続く

「実は、僕が自治会長になる以前、10年ほど前から団地内を走るバスを運行できないかという話はあったんです。いずれこの団地全体にも高齢化の波が絶対に来る。だから、その頃既に運行していた瀬戸市のコミュニティバスhttp://www.city.seto.aichi.jp/docs/2010111002703/を団地の中にも乗り入れしてもらうことはできないかと交渉しましたが、その時点では難しかった。 そこで、原山台、萩山台、八幡台の3団地で協力して運行する方向でも検討しました。しかし、こちらも費用の都合などで断念せざるを得なかったんです」(瀬戸市自治連合会会長、八幡台自治会会長 伊藤さん)

団地再生のための一環として

10年前には実現できなかった団地住民のためのバスでしたが、今回の運行のきっかけは瀬戸市の都市計画課から提案された地域主導型交通の社会実験としてで、菱野団地再生の第一歩だったそうです。「ぜひ!」 ということで、動き出したものの、実現に至るまでには大変な苦労がありました。

「菱野団地の3つの団地の自治会はそれぞれ別々なんですよね。この3つの自治会の意見をひとつにまとめるのがまずは大変でした。何度も話し合いを重ね、最終的には、やはり住民にとって大事なものだからということで、全自治会で納得をして始めることになりました」(伊藤さん)

「伊藤会長をはじめ地域の方々の尽力により、菱野団地全体での合意形成をしていただくのと同時に、団地に乗り入れてらっしゃる名鉄バスさんですとか各タクシー会社さんともご理解ご協力いただけるようお話をしました。団地内には路線バスの停留所やタクシー乗り場もありますので。こうして関係各所との連携をはかりました」(瀬戸市役所都市計画課 矢野さん)

全ての同意を得て、「住民バス」は2017年7月10日より社会実験として運行されることが決まったのです。

住民が住民のために協力して成り立つ運行

「住民バス」の社会実験は2017年7月10日から12月26日の約6ヶ月間行われました。群馬県桐生市で走っている低速電動バスeCOM-8を1台借りたものとハイエースの計2台で運行をスタート。最初の7~9月は月曜日から土曜日の毎日、1日5便。後半の10~12月には月・火・木・土曜で同じく5便が運行しました。運賃は無料で、交通量の多い団地の中心部や施設などのポイントには停留所を設置していますが、団地の外周道路では、どこでも手を挙げると安全な場所に止まってくれます。

住民バスの乗り場と名鉄バスの乗り場が並ぶ。ここで乗り換えをして団地の外へ向かうことができる
住民バスの乗り場と名鉄バスの乗り場が並ぶ。ここで乗り換えをして団地の外へ向かうことができる

この「住民バス」の大きな特徴は住民みんなで協力しあって運行するバスであるということ。

運転手は普通自動車免許を持っていること、年齢は26歳以上75歳未満、そして、「菱野団地の5年先、10年先を心配し考えていること」という要件で募集した有償ボランティアの方々です。謝金として1時間500円が支払われるとのことですが、団地外からも「昔、住んどったんだわ」と、この地域への恩返しがしたいという思いで協力してくれている方もいるそうです。当時は最大15人の登録があり、そのうちから週に1、2回交代で担当しています。

時速20㎞未満でゆっくりと走る。手を挙げる住民を見つけると安全な場所で停止
時速20㎞未満でゆっくりと走る。手を挙げる住民を見つけると安全な場所で停止

運行を始めた7月からの3ヶ月で、実際に動かしてみてのお客さんの声やボランティアの運転手の方々が感じたことを集約して、時間帯やルート、運行日の見直しを行い、10月からまた改善した形での運行を試みたのです。

「住民バス」が菱野団地にやってきた

6ヶ月の社会実験を経て、振り返りを行い、さまざまな課題を確認・検討したうえで、2018年の夏8月より、菱野団地の「住民バス」は本格的な運行を始めました。瀬戸市が新たにトヨタのハイエースを2台購入、「住民バス」の運営母体となる菱野団地コミュニティ交通運行協議会に貸与する形をとっています。このバスには子どもたちの描いたカラフルな絵がラッピングされています。団地内の幼稚園・小中学校に絵を募集し、たくさんの応募の中から選ばれたものです。

運行は月曜日から金曜日の毎日、全10便が約30分の時間差で団地内を一筆書き状に走ります。運賃は社会実験の時と変わらず無料です。
ただ、クルマ本体は市からの貸与ですが、それ以外の経費が年間約370万円かかります。このうち85%は運行にかかる費用として市の補助金で、15%を事務経費などとして3つの団地で負担しているそうです。いずれにしても、市と住民が協力の上で成り立っている運行なのだそうです。

住民のふれあいの場に……そこからつなげる団地の未来

本運行を始めた8月の一日の平均乗車人数は40人、9月には50人、10月にはさらに……と、乗車人数は確実に増えていっているそうです。今のところ乗車する人の8割は女性。高齢の方が中心ではありますが、さまざまな形で広がりができつつあります。

高齢の方でも乗降しやすいようにステップが付いている。運転手さんは極力、歩道に寄せて停車するよう気遣っていた
高齢の方でも乗降しやすいようにステップが付いている。運転手さんは極力、歩道に寄せて停車するよう気遣っていた

「ボランティアの運転手さんの力は大きいと思います。運行管理者を中心に、運行しているうちに気づいたことやお客さんの反応などをデータとして記録してくれているのはもちろんなのですが、運転手さんも地元の人なので、気さくに声をかけ合うようなコミュニケーションが自然にできあがってきているんですね。乗ってくる人同士で買い物に行ったら、どこそこで何が安かったとかそういった情報交換が行われたり、それまで家にこもっていた人たちがそういうバスがあるなら、ちょっと出かけてみようかと外に出てきたり。僕たちが考えていた以上のものができてきています」(伊藤さん)

「よく乗られている方が、乗ったことがないというお友達を一緒に連れてきて、車内でバスの説明をしてあげて、さらに『あなたの家はここで降りると近いから』と教えてあげているのを見かけたこともあります。一緒に体験をして、よかったらまた使ったらいいわよと、PRしてくれているのです。
買い物帰りの男性にご近所らしき女性が『歩いて帰るなら、これ乗ってみやー』と、一緒に乗りこんでくることもありました。地域の人同士のコミュニケーションが少しずつ増えてきているというところです」(矢野さん)

また、自分たちの乗り物ができたことで、生活する人たちが普段の足を変えるケースも。

「今回の本運行が始まったのをきっかけに運転免許証を返してきたという方の話も聞いています。
また、ご高齢の方ばかりではなく、お子さんが喜ぶからと、幼稚園の通園バスに乗るのをやめて、毎日登園に使っているというお母さんもいらっしゃって。小さい頃からそうやってバスに慣れ親しんでいただけるとうれしいですね」(矢野さん)

「住民バス」の本運行に伴い、大きく動き出しているのは、交通の面ばかりではありません。2017年から、菱野団地のあらたなまちづくりに向けた取り組みが始まっています。菱野団地を再生していこうという住民、NPO法人、市民団体、大学、地元の商店街や信用金庫などの民間企業、行政などが力を合わせるこの取り組みは「住民バス」の登場で新たな展開を見せています。

2018年11月4日には団地の中心部にある菱野団地中央広場で行われた「菱野団地わいわいフェスティバル」では、住民ワークショップ「カタリバ」で出たアイディアによるマルシェやピザ作り体験が行われたとともに、「住民バス」は特別運行をして、会場に集まる住民の大切な足となりました。

「団地を再生したいというのを、ただ行政に頼るのではなく、自分たち住民が再生していこうということです。若い人たちにも、もっとどんどん入ってきてほしいですね」(伊藤さん)

今後も菱野団地を元気にしていくために、さまざまな人を取り込み、活動を広げていく予定だそうです。

住民が自主的に交通機関をつくる=自分たちで移動手段となる足を確保することにより、地域を再生していくきっかけを作る菱野団地の動きは、全国各地で同じような問題を抱える地域の大きな参考となるのではないでしょうか。今後の菱野団地の取り組みに注目するとともに、他の地域でも新たな声があがることを期待しています。

(取材・文・写真:わたなべひろみ 編集:ミノシマタカコ+ノオト)

<取材協力>
▼愛知県瀬戸市役所 都市計画課
URL:http://www.city.seto.aichi.jp/bunya/hishinodanchi-aratanamachidukuri/

<参考>
▼愛知県瀬戸市 暮らしの情報・公共交通
URL:http://www.city.seto.aichi.jp/bunya/koukyoukoutuu/

[ガズー編集部]

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