観光地でよく見る「水陸両用バス」の起源は第二次世界大戦にあった

最近は東京都内でも観光用として用いられている水陸両用車。この「川や海を走らせるクルマ」という発想は、どんな経緯で誕生したのでしょうか? その歴史を紐解いてみると、第二次世界大戦に起源がありました。

最初は軍用車両として開発された

初期の水陸両用車で重要な役目を果たしたのは、ドイツのポルシェが設計した「シュビムワーゲン」とアメリカのフォード製「GPA」です。シュビムワーゲンは1940年に、GPAは1942年に開発されました。

  • 株式会社カマドでレストアされた「シュビムワーゲン」(写真:西川昇吾)

    株式会社カマドでレストアされた「シュビムワーゲン」(写真:西川昇吾)

当時は第二次世界大戦の只中。ドイツはソビエト連邦相手の戦争(独ソ戦)に突入し、欧州東部やロシアの大河、沼地に苦戦していました。そこで、ドイツ軍は陸上走行時には4輪駆動で、水上走行時にスクリューを使う車両で、索敵や強行偵察をしようと考えます。そして、採用されたのが、フェルディナント・ポルシェ博士による小型軍用車両、「キューベルワーゲン」を元にして作られた、シュビムワーゲンでした。シュビムワーゲンは、第二次世界大戦中にもっとも生産された水陸両用車とも言われています。

  • 「シュビムワーゲン」の運転席まわり(写真:斎藤雅道)

    「シュビムワーゲン」の運転席まわり(写真:斎藤雅道)

GPAも同じコンセプトで開発されますが、生産車両の半数がソ連向けに輸出されたそう。アメリカ軍はイタリア戦線などで使った程度で、日本軍相手の太平洋方面では小型で海面移動に不安ありと、あまり使っていませんでした。代わりに、現在の観光用水陸両用バスの原型ともいえる車両を開発します。それがGM製の「DUKW(ダック)」です。

アメリカ軍の「DUKW」が観光用に転用

1943年に運用を開始したDUKWは、海面での航行安定性に加え、今までの水陸両用車にはなかった積載力の高さが特徴でした。水上ならば50名の兵員輸送が可能で、銃火器はもちろん、砲兵と使う大砲もそのまま載せることができました。

約2万台も作られたという同車は戦後、その積載量の高さを魅力として民間に払い下げられ、世界のリゾート地で観光客向けの車両として改造されて使用されます。これが現在の水陸両用車を使った観光の原型になりました。アメリカなどの英語圏で「duck boat(ダックボート)」と言えば、川や湖、海で使用する観光用の水陸両用車を指す意味で通じます。

  • 東京・お台場エリアと山中湖で航行する株式会社フジエクスプレスの水陸両用バス「KABA」(写真:斎藤雅道)

    東京・お台場エリアと山中湖で航行する株式会社フジエクスプレスの水陸両用バス「KABA」(写真:斎藤雅道)

個人向け車両も発売されるが……

戦後になると、個人向けにも水陸両用車が発売されます。しかし、陸上ではタイヤを、水上ではスクリューを使うという操作の難しさや整備の大変さ、コストの問題もあり、大量生産された例はほとんどありません。唯一の例外が、「アンフィカー」と呼ばれる、BMW傘下のIWKが製造した車両でした。

生産は1961年にスタート。主な市場をアメリカに定め、当時の大衆車とほぼ同じ価格で発売されました。総生産台数は約3800両で、日本にもヤナセの関連会社経由で、少数輸入されたとか。ただし、年間2万台という、販売台数目標には遠く及ばず、1967年には生産を打ち切られました。以後、後継車両も開発されていません。しかし、アメリカでは当時子どもだった世代が熱狂的なコレクターになっており、現在もパーツが流通しています。

現在、日本では観光地向けのほかに、災害救助用として各自治体の消防署などでも使用されています。ただ、こうした災害用の車両は、水面をスクリュー航行するものではなく、河川決壊時に市街地を走ることから、バギー型のものが多いようです。

  • 愛知県岡崎市消防本部 レッドサラマンダー

    愛知県岡崎市消防本部 レッドサラマンダー

なお、日本で陸上走行用のエンジンとスクリューを駆動させるマリーンエンジンを搭載する水陸両用車を使用する場合は、車両としても船舶としても登録する義務があり、ドライバーには通常の運転免許のほかに小型船舶の免許も必要とされます。軍用由来のテクノロジーが民間に広まっていく例はいくつもありますが、水陸両用車もそんなひとつだったんですね。

(参考文献)
『ポルシェの生涯―その時代とクルマ』(グランプリ出版)三石善吉著
『ポルシェの野戦乗用車 キューベル&シュビムワーゲン』(メディア・パル出版)

(取材・文:斎藤雅道 編集:木谷宗義+ノオト)

[ガズー編集部]

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