ニュルブルクリンク24時間レース 入社30年目で叶った夢 ~TOYOTA C-HR Racingで参戦、トヨタ自動車 古場博之主査に聞く~

ニュルブルクリンク24時間レースが終わった最初の週末、富士スピードウェイにC-HRの開発者責任者で、TOYOTA GAZOO RacingからエンジニアとしてTOYOTA C-HR Racingで参戦した古場博之さんの姿があった。年初の東京オートサロン、“SUVでニュルに参戦”というびっくりに遭遇。“市販車のエンジニアが自ら開発したクルマで参戦?”と頂いた疑問を今頃やっとぶつけることが出来た。彼は、きっちり「完走」という素晴らしい「結果」を引っ提げて帰国した訳だが。肩の荷も下り「完走」から来る安堵に満ちた表情の中でのインタビューとなった。

―――レース後の率直なご感想をお聞かせください
古場:終わった瞬間は、やっぱり完走できて良かった…ですね。実は、ミッションに不安を抱えていたのですが、唯一そこが心配でした。VLN2の時に出たトラブルに対して、十分な対応をできないまま本番を迎えてしまったんです。強度面の対策を必要としたのですが、小手先の対策とドライバーの走りでミッションを持たせようという作戦で、本番は臨みました。その成果は出たようで、前回走った時は、2500キロ走行したあとにトラブルが出たのですが、今回2700キロ走ってトラブルは出ず無事にレースを終えました。クルマが戻って来たら早く中を見たいですね。

―――他に心配事は何かありましたか?
古場:ガス欠がありましたが、あれはこのクルマはパワーがないので、少しでも軽くして走らせようと思った結果です。あと2~3リットルあれば大丈夫だったのですが、それだけですね失敗と言える失敗は。そんな状況だったので、とにかく完走できたのは、本当に良かったです。ヒョウが降った時と大雨の3時間の赤旗と、ガス欠の1時間がなかったら、ひょっとして完走できてなかったかも?という思いもありますが、初出場ですし、世に出る前のクルマなので、とにかく「完走」という結果が非常に大事でした。
あと、2回くらい接触していましたね。車載カメラを見ると2回とも他車に当てられていました。大事には至りませんでしたが。 ドライは、馬力がないから遅いのですが、雨になると非常に速いんです。影山さん(影山正彦選手)が、ウェットで抜きまくっていました。Z4やケイマン、M3に劣らない速さでしたね。影山さんには、馬(馬力)が欲しいと言われましたので、今度牧場で買ってくると約束しました(笑)。

―――参戦する前から、SUVがニュルへ挑戦する!と注目の的でしたが
古場:現地のプログラムにも掲載されていて、びっくりでした。これがそうなのですが、ドイツ語で「トヨタが10周年の大会に、SUVで参戦してきた」というようなことが書かれています。うれしいですよね。

―――そもそも、どうしてこのクルマで参戦されたのですか?
古場:以前、僕がインタビュー(下記記事ご参照)をしていただいた際に、自分で開発したクルマでレースに出て勝ちたい!と語ったのですが、あれが布石なんです。あの当時、インタビューに対して、何のクルマを開発していたかは当然言えませんでしたが、あの頃、このクルマで出られたらいいなあと思っていました。
ヨーロッパに向けて開発しているクルマですし、名も無いクルマですから、立ち上がる前に名前を知らしめて行く活動も良いじゃないかという思いもありました。今回ドライバーとして走ったTOYOTA MOTOR EUROPEのダーネン選手(ドライバーラインナップご参照)と、クルマの開発段階から24時間レースに出たいねえと言う話をしていました。それはもちろん無理だったのですが、TOYOTA GAZOO Racingのみなさんとご一緒する機会があり、その際にこちらから働きかけました。しばらくしたら連絡があり、新しいプラットホームでも参戦したいという思いもあったのか、双方の思いが合致し今回実現となりました。正式にお話をいただいてからすぐにクルマ製作の指示を出し、昨年冬からTOYOTA GAZOO Racingチーフメカニックの大阪さん(トヨタ自動車 大阪晃弘さん)がクルマづくりを担当し、最終的に全部できあがったのは、今年の3月でしたね。

―――ご自身でも走る最強のエンジニアでしたね
古場:4月のQFレースでは、2周走らせていただきました。現地の路面だと、クルマの状態がよくわかるので、自分の乗った感じと影山さんたちの印象をすり合わせ、次のレースまでに足回りから何から変えました。元々、シャシーも経験があるので、今回エンジニアとして参戦できました。土屋武士選手みたいな感じです(笑)。土屋選手をもっと見習わなくはと思っていますが。 レースは時間との争いで、本番までの一か月半の間に、セットアップをすべて決めなくてはならないのですが、自分が乗ったから早く出来たのでは?と自負しています、他の方はどう思っているのかはわかりませんが…(笑)。

―――市販車のチーフエンジニアがレースに出る?会社の度量と懐の深さに驚いたのですが…
古場:わがままな人は、しょうがないなあと思ったんでしょうかね(笑)。まさかこういう形になるとは思っていなかったのですが、ずっと出たいとは思っていました。しかし、トヨタ自動車には、優秀な評価ドライバーが沢山います。彼らの立場ももちろんあります。僕が走ったのは、少し特例だったのかもしれません。みなさんに感謝しています。

―――ご自身が開発したクルマですから、一番知っているのは古場さんですよね
古場:それこそ、前のインタビューの際のルドルフ・ウーレンハウトの話ですね。「自分はこの車を開発したのだから、どのように走らせれば速く走れるのかを一番知っている。早く走れて当たり前」そこは、まだまだ負けていますけどね。

―――これから世に出るクルマで走るという事に関して、リスクなどもお考えになったと思うのですが
古場:レースのクラッシュは仕方ないと思いますが、トラブルは、どうしても避けたいですよね。だから、本番前に出たミッショントラブルに関しては、本番で出た場合や最悪の場合を想定して、ミッショントラブルの交換の練習も事前にしていました。2時間ほど交換に時間を要するので、スタートから22時間くらいで万が一トラブルが出てしまった場合は、リタイアになるとか、いろんなことをチーフメカニックの大阪さんと相談していました。

―――メカニックのみなさんはいかがでしたか
古場:動きは、もちろん変わりましたが、顔つきまで変わって来ていましたね。チーフを中心に最初は動いていましたが、そのうち自分たちで考えるようになっていましたね。短期間で、人が育つのは非常に感じます。来年は、メカニック同様、エンジニアも鍛えられるようになるのもいいなあと思います。市販車開発の制約よりは、レースの方が自由度があるわけで、短期間でさまざまな仕事をこなしました。この活動は、発想の自由度もあるので、自分が決めることではありませんが、エンジニアを巻き込む活動になっていくのも良いんじゃないかと思いました。

―――振り返ってみて、また参戦したいですか
古場:GAZOOの精神として、人を鍛えクルマを鍛える、参加して強く感じました。それと、会社でクルマの開発責任者になることが出来たというのもありがたいですが、自分の開発したクルマでレースに出たいという長年の夢を叶えてくれた、入社30年目でこの夢が叶ったことは感慨深く、来年のことはわかりませんが、また出たいですね。そして、少しでも上を目指したいとも思いました。

レース中まったく寝ずに、97周目まで無線の交信記録なども全てしたため、眠気を感じなかったという古場さん。帰国してからは、少し疲れが出たようだが、その疲れも夢の実現と共に心地良いものになったのでは…。今後のクルマ開発への期待と満を持して登場するC-HRが楽しみでならない。入社30年で叶った夢、いつもそばには、ちょうど30年連れ添った奥様。感謝してもしきれないのでは?と思いながら、インタビューを終えた。

(写真:トヨタ自動車 古場博之、大谷幸子)

[ガズー編集部]

MORIZO on the Road