No Attack No Chance 夢に向かって ~コロナ禍のアメリカで修行中のメカニックからの便り その1~

  • 写真 Rahal Letterman Lanigan Racing

今回のコラムは、アメリカのインディアナ州ブラウンズバーグ在住、福島県喜多方市出身1993年生まれの須藤翔太さんというメカニックを紹介します。コロナ禍は全世界共通なのですが、今後、彼の活躍を振り返った際の時代背景としてタイトルに残しておきたく入れてみました。

  • 写真 吉田知弘

2012年、スーパーフォーミュラ

8年くらい前のことでしょうか、国内のサーキットに彼が日本自動車大学校のインターンシップでサーキットに来ていた頃、頑張っている姿は見ていました。今も同様に学生さんたちがサーキットに来ていらっしゃいますが、働き者で本当に感心します。

そんな彼も気づけばレーシングチームへ就職、経験を積むべく頑張っていました。ずいぶんしっかりしている男子だなというのが、漠然と抱いた最初の印象。そのうちに現場で顔を合わせ話すことも増えていき、アメリカに行くということを告げられ、母目線でその動向が気になっていました。アメリカでちょっと取材したことのない領域で好奇心丸出しの取材をしたいとか、そんなおばちゃんの野望もありますしね。

昨年、きちんとした手順を踏み辿りついた異国の地。日々元気に頑張っている姿をSNSで眺めていましたが、今後彼のように、また海外に飛び出した先駆者たちのように世界を目指す若人のためにも、応援する意味でアメリカの様子をレポートしてもらおうと思います。それでは、どうぞ!

モータースポーツの世界を志したきっかけ

僕がこの仕事を目指したきっかけは小学生のときに地上波で見たF1とINDYCARが影響していると思います。見始めた頃は「F1ってかっこいい」と思うくらいでした。中学生になりクルマやレースが好きな友だちができ、いつしか将来は自動車に関連する仕事をしたいという思いに変わっていきました。そのときはまだ、F1という言葉を知っているくらいでしたが、見ていくにつれレースの魅力の虜になり「この世界に何らかのカタチで良いから関わりたい」という思いを抱くようになりました。

高校生になり、なおさらその思いも強くなり、将来は海外に出て、レースをしたい、海外で活躍している日本人ドライバーと「どんなカテゴリーでもいいから関わり、将来は一緒に仕事ができたら良いなぁ」と具体的に考えるようになりました。その後、専門学校に進学しインターンシップなどを通じてモータースポーツの面白さを改めて知ることになり、卒業後はレーシングチームに就職をしました。

  • 写真 トヨタ自動車

2019年 スーパーGT チームチャンピオン

  • 写真 トヨタ自動車

2019年ドライバーチャンピオン

就職後、自分の中で将来のビジョンを設定して活動をしていこうと考え、「国内で3~5年はレースメカニックとして仕事をし、その後には絶対に海外に出る」という夢でもある目標を設定しました。国内では中嶋企画に1年(2015年)、エムケーカンパニー/コンド―レーシングに2年(2016-2017年)、トムスに2年(2018-2019年)所属させていただきました。多くのことを学び経験をすることができたと思っています。

渡米のきっかけ

  • 2011年のIndy Japan The Finalのパドックで貰ったサイン。その当時の琢磨さんのマネージャーのマシュー・ウィンターさんに「レース応援しています」と連絡をしたらパドックに来たら声をかけてと言われ、お会いしたときにもう少しで部屋から出てくるから待っててと。その後に琢磨さんから頂いたもの。もの凄い人がいた中で丁寧に書いて貰えました。

昨年(2020年)の3月に晴れて渡米を果たしましたが、僕がなぜアメリカを目指したかというと、INDYCARに日本やヨーロッパのレースにはない魅力があったからです。
僕が初めて生で見たレースが、2010年のINDY JAPAN 300mile。翌年(2011年)は東日本大震災があり、実質ツインリンクもてぎのオーバルコースでの最後のレースでしたが、その当時から佐藤琢磨選手のファンということもあり、父が「行ってみよう」と誘ってくれ実現したものでした。そのときに初めてサーキットで感じた、レースの雰囲気・オーバルの迫力・パドックのチームの人たちがものすごくフレンドリーだったことが僕の中で強く印象に残っていて、このレースで仕事をしたいと思うようになりました。

そして、2019年、年が明け専門学校の先輩と食事に行った際に、海外に行くか行かないか迷っていると話をしたところ「やれるだけやってみなよ」と言われ、そこで自分の中でも踏ん切りがつき渡米に向けて動き始めました。

異国のチームへのアプローチ

春先にINDYCARの全チームにメールを出しましたが、返事は数チームからしかきませんでした。どのチームも「ビザかグリーンカードがあれば雇うよ」という回答でした。しかし、唯一、現在、所属しているRahal Letterman Lanigan Racing(以下、RLL)のみがいろいろと対応してくれました。

  • 写真 トヨタ自動車

2019年、ドイツのDTMとスーパーGTの交流戦がありました

やり取りを進めているうちに、出張で2019年DTM最終戦に参戦するためにフランクフルトの空港に着いたときに「次の週、面接をしたいから来てほしい」というメールを受け取りました。ドイツから帰国し次の日にはアメリカに向けて出国、面接に向かいました。しかし、そのときはビザの問題などもあり雇うことはできないという返事が帰国後にきました。正直悔しかったです。それでも諦めきれず、その後も交渉をしました。僕の中で何が何でも諦めたくなかったからです。一つの大きな夢であったのと、諦めたらそこで終わりだと思っていたからです。

チームとやり取りをしている間で、国内レース関係者の方から連絡をいただき、佐藤琢磨選手のキッズカートのお手伝いをさせていただける機会がありました。その際に、琢磨選手からチームの状況やアメリカのビザのことなど、大変参考になるお話を聞くことができました。また、チームにもコンタクトしていただけるとも言っていただきました。

その後、12月にトムスを退職しましたが、実際2020年の仕事については何も決まっていませんでした。ただ中途半端に在籍するのもチームに迷惑をかけてしまうのでは思ったので退職を決めました。しかし、実際にいろいろとことが決まり始め渡米するまでの2ヵ月弱は、アルバイトとしてチームにお世話になりました。そして、現在の所属先であるRLLからビザ取得に向けて動いていると連絡をいただき、その後、無事ビザを取得、3月に無事渡米することができ現在に至ります。

次回は、現地での様子をレポート!お楽しみに!

(テキスト:須藤翔太、編集:大谷幸子)

[ガズー編集部]

MORIZO on the Road