わたしの自動車史(後編) ― 熊倉重春 ―

熊倉さんのースティン・ヒーレー・スプライト

半世紀も浮気に浮気を重ねてきたけれど、なぜか“こいつ”とだけは縁が切れないのが59年型オースティン・ヒーレー・スプライト。通称「カニ目」だが、わが家に来てから41年にもなり、もちろんカミサンより古顔なので、敬意を評して「カニさん」と呼んでいる。

72年に埼玉で発掘した時は28万円。それまで愛用してきたスバル1000スポーツが25万円で売れたけれど、そのころCGの給料は5万円そこそこだったから、差額の3万円を工面するのが大変だった。なのに、思い込んだら命懸け、それからは食うや食わずの超ガマン大会で、徹底的なレストア作戦に突入した僕。モノコックボディーが腐食だらけで、もうタタミイワシ状態だったのだ。

そこで練馬のベテラン鈑金(ばんきん)屋さんを拝み倒して工房内に定盤を設置、腐った部分をバッサリ切開し、ほとんど全体の3分の1を新品の鋼板から手たたきで製作した。つまり新車同然というわけ。こうなると機械部分もそのままじゃ気がすまない。そのころ日英自動車で働いていた知人(今は英車レストア界のカリスマ)の自宅に丸ごと持ち込み、それこそビス1本まで見直す大作業を敢行した。ピストン+リング+ピン+コンロッド+メタルの4気筒ぶん純正部品ごっそり仕入れ、互いの誤差5g以内になるように組み合わせを選び、残りは返品なんていう禁じ手も駆使。それも薬局のてんびんバカリで念入りに測るという凝りよう、わかりますか。おかげで、平凡なOHVの3ベアリングなのに、抜群のバランス感で7000rpmまで軽く吹けるように仕上がったのが何よりの自慢。最近ちょっとクラッチが不調だけれど、“程度日本一”は間違いない。でも、結果として当時のスカイラインGT-Xの新車が買えるほど注ぎ込んだので、本当に本当の素寒貧(すっかんぴん)になってしまった。

こんな入れ込みすぎも僕の弱点。40万円で買ったアルファ・ロメオ155ツインスパークに、まるで新車の純正であるかのようにカーナビを組み込みたくなったら、ショップの親父も燃えちゃって、最高の仕上がりになったけれど、クルマより高くついた。22年落ちのメルセデス・ベンツ300SE(W126)を、何から何まで仕立てなおして、実質的に新車によみがえらせたら、なんとまあゴルフGTIの新車を買えるほどで、仕方なく手放す羽目に陥ったり……。

今あらためて思い返すと、まるで泣きながら生きてきたみたいだが、一台一台とことん心を込めただけに、僕の脳内オートモビル・ミュージアムは、これ以上ないほど燦然(さんぜん)と輝いているのであります。このビョーキ、これからも治らんのだろうな。

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[ガズ―編集部]