わたしの自動車史(後編) ― 小沢コージ ―

スーパーカーブーム、ハイソカーブームに続き、さらに私をクルマにのめり込ませるきっかけとなったのは、分かりやすい話、免許だろう。その昔、“日本一速い男”の星野一義さんに話を聞いて共感したのだが、星野さんはバイクに初めて乗った時「拳銃を持ったようだった」と感じたそうだ。私も同様で、「ああ、こんないい加減な存在がクルマを運転していたのね」と自覚してビビった。
ちょっとハンドルを左に切れば人や自転車にぶつかる。しかし、私は高校生の頃、駆け抜けるクルマの横をガンガンチャリンコですり抜けていた。なんて危ないことをしていたんだ……とその時ちょっと反省もした。

日産ローレル(1982年)

良くも悪くも人の一生を左右しかねないモンスターを操ることが18歳で許される。それが免許の本質であり、その解禁度合いは酒を初めて飲んだときより大きく、マジメな話、「俺も大人になったんだなぁ」と実感した。
しかも当時は細かい失敗をよくした。免許取得直後、友人のローレルを運転していきなりタイヤを側溝に落とした。周りの人に引き上げてもらって事なきを得たが、結構簡単に大ごとになるじゃん!と思った。さらに駐車違反でキップを切られて、なにそれ?と思うと同時にプチ犯罪者キブンを味わって、これまた大人の世界を少し知った気がする。
自己責任……日本では完全にはそうなっていないけれど、クルマは基本自分で責任を取らなければならない。特に学生時代には、普通、生活でそうそうリスクを感じることはない。クルマを持って、初めて社会のトビラを開いたようなキブンにもなった。

さらに、そこで出会ったのが『CG(カーグラフィック)』の姉妹紙である『NAVI』である。普通の自動車雑誌にはほとんど興味を持たなかった私でも、『NAVI』には夢中になった。ちょっと小難しい自動車の社会的記号性を語っているページも良かったが、それ以上にクルマを操り、所有し、語る事の楽しさや意味合いや喜びを、いろんな角度から取り上げていったからだ。
当時の私は普通の人が普通に国産車をホメるのに、ちょっとマニアの人が輸入車をホメるのが不思議だった。もちろんメルセデス・ベンツやBMWのブランド性は分かる。だが、ブランド物に基本興味のない私としては、それ以外の「なにか」があると思っていた。その興味に応えてくれたのは唯一『NAVI』だけだった。ハンドリングの違い、エンジンフィールの違いだけではなく、文化的側面や作る国の風土にまで結び付けて解説していた。
正直、マニアックではない私は『NAVI』を通じて、クルマの奥深さであり、面白さであり、難しさを知ったわけだ。

今、ある意味自動車メディアは当時より後退していると思っている。自動車業界そのものを見ても、ユーザーが時代や国の方針もあってクルマへの興味を失っただけでなく、ちまたには再び端的なエコスペックや安直なデザインが横行している。しかもアジア諸国の台頭によって、今後のクルマ作りやクルマ社会は間違いなく変わっていく。そういう意味で、自分のやることはまだまだあると思っている。
だからいろいろ多角的に取材する“バラエティ自動車ジャーナリスト”なる肩書を付けているのだ。なんちゃってね(笑)。

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[ガズ―編集部]