反逆のデロリアン(1981年)
よくわかる 自動車歴史館 第16話
タイムマシンになったDMC-12
映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー(BTTF)』が公開されたのは、1985年である。タイムマシンはデロリアンDMC-12を改造したもので、パワーユニットは原子炉だった。時速140km以上にならないと装置が作動しないという設定があり、車輪の跡が炎のラインとなって浮かび上がるのが印象的だった。ガルウイングドアを備えた未来的なフォルムは銀色に輝き、当時の日本の子供たちは熱狂的に迎えた。しかし、元となったモデルは、この時すでに生産を終了していたのだ。
この新奇なクルマを作り出したのは、ジョン・ザカリー・デロリアンである。DMC-12には、彼の栄光と挫折がまるごと詰まっている。デロリアンは元GMの副社長だが、その地位を投げ捨てて新しいクルマを創造することに賭けたのだ。大企業のGMの中で、彼は反逆の男であり続けた。『BTTF』が公開された年に、彼は『デロリアン自伝』という本を出版している。その中には、GMの元上司たちの実名が多数登場し、新しい風を吹き込むことを妨害した企業の論理への呪いの言葉が書き連ねられている。
デロリアンは、自動車都市デトロイトで1925年に生まれた。父はフォードで働く工員で、子供の頃から自動車に囲まれた環境で過ごしている。彼は自然に自動車エンジニアへの道を歩み、クライスラー工業大学で学位をとった。そのままクライスラーで働くつもりだったが、卒業式の祝辞を聞いて考えを変えた。『デロリアン自伝』によれば、技術部門の責任者であるジェームズ・ゼダーはこう言い放ったのだという。
「会社の決まりに適応せよ、それが生き残る道であり……個人であることは忘れることだ」 デロリアンの“反逆”は、この言葉を聞いた瞬間から始まったのかもしれない。大企業で働くことに意義を見いだすことができなくなり、パッカードの研究開発部門に就職した。
GMでの成功と挫折
パッカードでの仕事は、やりがいのあるものだった。自動変速機の開発に没頭し、さまざまな技術的問題を解決していった。能力と実績が認められ、デロリアンは20代で研究開発部門の長となる。しかし、パッカードの経営は悪化しつつあり、彼はゼネラル・モーターズ(GM)からのヘッドハントを受けて移籍を決意する。皮肉なことに、クライスラー以上の大企業で働くことになったわけだ。
ポンティアック部門に入ったデロリアンは、埋め込み式ワイパーの開発などで実績をあげる。1961年にはGMで最年少のチーフエンジニアになり、不振に陥っていたポンティアックの再生に取り組むことになる。若者市場に進出するために、まずゴテゴテしていたデザインをシンプルにした。ボディーを軽量化してさらに大型のエンジンを搭載して、サスペンションを一新した。これによってストックカーレースで華々しい勝利を重ね、若々しくてスポーティーなクルマというイメージを焼き付けたのだ。
1964年には、コンパクトカーのテンペストに強力なV8エンジンを載せたマッスルカーのGTOを売り出し、大ヒットを収める。ただ、このクルマの開発はGM首脳陣の承認を得ないまま極秘で進められたもので、成功にもかかわらずデロリアンは社内で陰に陽に批判にさらされることになった。当時のGMではスーツは黒かグレーでシャツは白と定められるなど、保守的な雰囲気がまん延していた。見た目も行動も派手なデロリアンは、異端児として完全に浮き上がっていたのだ。
それでも、華々しい功績を背景に彼は出世街道を歩み、1965年にポンティアックの責任者となり、1969年にはシボレー部門をまかされる。沈滞していたシボレーを復活させ、1972年、デロリアンは乗用車トラック部門を統括する副社長に任命された。若くして大企業の中枢に迎えられることになり、マスコミは驚異的なドリームストーリーを書き立てた。しかし、彼は次第に仕事への意欲を失っていく。現場からははるかに遠い場所で、社内の政治に巻き込まれて空回りする日々が続くのだ。1973年、デロリアンは44歳でGMを退社した。
最高の幸福からの転落
「私は、ゼネラル・モーターズで技術者として仕事をはじめた。しかし、昇進するにつれて自分の好きな工学からは遠ざかるばかりである。(中略)個人がのびのびとした創造的な仕事にかかわることができるのは、小規模の特殊な会社だけだった」 『デロリアン自伝』で、彼はGMを辞した理由を説明している。1975年、“夢のスポーツカー”を作るために、彼はデロリアン・モーター・カンパニー(DMC)を設立した。
ボディーはステンレス製で、ガルウイングドアを持つ。デザインを請け負ったのは、ジョルジェット・ジウジアーロだ。エンジンはプジョー・ルノー・ボルボが共同で開発したV6の2.8リッターで、搭載位置はリアである。メカニカルな設計は、ロータスのコリン・チャップマンが手がけた。北アイルランドのベルファストに工場を作り、生産設備を整えた。自動車業界のスターが仕立てた斬新なモデルは大きな話題となり、1981年に生産が開始された時には多くのバックオーダーを抱えていた。この年のクリスマスパーティーで、彼は成功を祝う人々に囲まれて最高の幸福を味わった。
翌年、すべてが暗転する。製造工程の不備によりトラブルが続出し、対応に巨額の資金が必要となった。英国政府から得られるはずだった補助金は停止され、さらに資金不足が加速する。政情が不安定だった北アイルランドでは港湾ストが続発し、部品供給が絶たれた。アメリカの景気が減速し、自動車業界は大不況に落ち込んだ。さまざまな困難が降りかかったが、致命的な事態はデロリアン自らが招いたものである。資金供給を受けるために接触していた人物が麻薬関係者で、警察のおとり捜査により彼自身が逮捕されてしまったのだ。DMCの命運は尽き、1982年のクリスマスイブに工場は閉鎖された。
その後の裁判でデロリアンは無罪となっているので、法的な問題はないことになる。しかし、あまりにも脇が甘かったことはまぎれもない事実だ。ほかにも多くの訴訟を抱えることになり、再起して新たなスポーツカーを作るという彼の夢は果たされなかった。
『BTTF』では、タイムマシンを作ったドクが2015年にタイムスリップし、生ゴミで駆動する新型のエコ動力を手に入れて1985年に戻ってきた。その技術はまだ実現しそうにないが、2011年にDMC-12をベースにしたEVの構想が発表された。デロリアンの夢は、形を変えて受け継がれている。
1981年の出来事
topics 1
”ハイソカー”ブームでソアラが人気爆発
1980年代前半に、日本中で“ハイソカー”がブームとなった。ハイソサエティーカー(High Society Car)の略だが、もちろん和製英語である。上流階級のクルマをイメージするもので、具体的には4ドアハードトップを指すことが多かった。 トヨタ・クラウン、トヨタ・マークII、日産ローレルなどが代表的なモデルで、特に白いボディーカラーが好まれた。1981年に登場したトヨタ・ソアラは、一躍ハイソカーのナンバーワンに躍り出る。全グレードで直列6気筒エンジンを搭載し、優れた高速性能を誇った。
新たに採用されたボディーカラーの「スーパーホワイト」が爆発的人気となり、ソアラは“女子大生が乗せてほしいクルマNo.1”に選ばれた。ハイソカーブームはバブル期を経て収束し、ソアラはオープンカーに形を変えた4代目が最後のモデルとなった。
topics 2
"トールボーイ"シティが大ヒット
“ホンダホンダホンダホンダ〜”と連呼しながらムカデ歩きをするホンダ・シティのCMは斬新で、子供たちの間で大流行した。歌っていたのはイギリスのスカバンド「マッドネス」である。
クルマの形は、CM以上にインパクトがあった。ホンダが“トールボーイ”と呼んだスタイルは常識はずれの1470mmという全高を持ち、ドライビングポジションも高かった。その恩恵で室内スペースを広くとることができ、荷室にぴったり収まる専用の50ccバイク「モトコンポ」が同時に発売された。
ハイパワーなターボモデルやカブリオレが追加されたが、2代目となってごく普通のハッチバックに変わり、1993年に生産を終了した。その後海外向けモデルとして復活し、東南アジアを中心とした地域で生産・販売が行われている。マッドネスも一度解散したが再結成し、今も活動を続けている。
topics 3
チャールズ皇太子とダイアナ妃が結婚
1981年7月29日にセントポール教会で行われたロイヤルウェディングの様子は、70カ国に中継された。若く美しいダイアナとチャールズ皇太子の結婚は、世界中から祝福を受けたのである。日本でもダイアナ妃は大人気となり、1986年に夫妻が来日した際には訪れた先々で熱狂を巻き起こした。
表面の華やかさと裏腹に王宮での生活はつらいことが多かったようで、エリザベス女王との確執や夫の不倫に悩まされた。ウィリアムとヘンリーのふたりの王子を産んだが、来日時には皇太子との関係は冷め切っていたといわれる。1992年に別居し、1996年には正式に離婚が成立した。
離婚後は慈善活動や地雷除去活動に注力していたが、1997年に交通事故で逝去した。残されたウィリアム王子は2011年にキャサリンと結婚し、新世代のロイヤルカップルを英国民と世界が祝福した。
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[ガズー編集部]
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