【ミュージアム探訪】プジョーミュージアム(前編)

フランスはソショーにある「ミュゼ・ド・ラヴァンチュール・プジョー」。エントランスおよび館内には、アールヌーヴォー調のアーチが随所にあしらわれている。その一部はパリの地下鉄駅から移設された“本物”だ。
プジョーの製品は自動車だけではない。こちらはアンドレ・クレージュとのコラボレーションによる婦人用自転車(1985年)
モーターサイクルの部から。戦後物資輸送を底辺で支えたトリポーター(三輪輸送車、1958年)
ローマ教皇専用車は、メルセデスだけにあらず。ヨハネ・パウロ2世のアルザス-ローレーヌ地方訪問用に製作された504パーパモビル(1988年)
1980年代、ラリーシーンにその名をとどろかせたプジョー205ターボ16。

パリから東に向かってオートルートを走ること約4時間半、ソショーは、自動車メーカー・プジョーの企業城下町だ。その町の一角にあるのが、年間8万人が訪れる博物館「Musée de l’Aventure Peugeot(ミュゼ・ド・ラヴァンチュール・プジョー)」である。
ちなみに日本でl’aventureと書くと、何かラブ・アフェアのイメージが先行するが、この博物館の場合は冒険、つまりアドベンチャーを意味する。創業から今日まで続くプジョーの挑戦を回顧するミュージアム、といったところだ。1988年の開館前はビール工場だったという建物のエントランスをくぐると、約120台の四輪車と約50台のモーターサイクルが迎えてくれる。もちろん、なかにはプジョーを語るうえで欠かせない205をはじめとする歴代ラリーカーも含まれている。

プジョーはなぜここがゆかりの地なのか?という読者諸兄の疑問に答えよう。
15世紀までその起源をさかのぼることができる創業家プジョー一族は、ソショーから遠くないモンベリアールを本拠としていた。
18世紀中頃、ジャン-ピエール・プジョーは、父親の製粉業の機械化を手がける。続いて彼の息子ジャン-ピエール・プジョー2世は、1810年に先代から引き継いだ製粉用の水車小屋を改造し、製鋼所を開業する。背景には一帯に埋蔵されている豊富な鉱物資源があった。これこそプジョーの近代工業進出の記念すべき第1歩であった。
19世紀中頃になると、プジョーは自転車を含む鋼材を使ったさまざまな商品を自ら手がけるようになる。
やがて1889年、プジョーにとって初の自動車である蒸気三輪車を発表する。続いて翌年には、ダイムラー製ガソリンエンジンを搭載した四輪車を世に送り出す。
そして1916年、新たな工場用地として取得したのがここソショーで、以来町はプジョーとともに歩んできた、というわけだ。

この博物館、時折開催される期間展も気合が入っている。例えば数年前には、「禁じられた展覧会」と題して、開発計画が中断、つまりボツになった試作車ばかりを集めた特別展を開催した。
また、博物館はPSAプジョー-シトロエン・ソショー工場の一般見学も完全予約制でオーガナイズしている。参考までに、現在ソショーで生産されているのはプジョー308、3008、5008である。

博物館を運営する関連団体「ラヴァンチュール・プジョー」が行っているもうひとつの仕事は、古いモデルの部品供給活動である。それも超ヒストリック・モデルだけでなく、104、304、504といった1960年代末から80年代のポピュラーなモデルも含まれる。とかく自国のエンスージアストの間で、「ドイツ車に比べて充実していない」といわれてきたちょっと古いフランス車のパーツ供給体制だが、挽回の努力が地道に行われている。

ところで、今日でこそかなりアグレッシブなデザインを取り入れているプジョーだが、少し前まではなんとも質実剛健なイメージが漂っていた。
理由は、地図をみればわかってくる。ソショーから最も近いスイス国境まではわずか15kmだ。ドイツと国境を接するスイス・バーゼルまでもクルマで1時間である。
歴代のプジョー車に、(今日こそ同じグループだが)パリを舞台としたあまたの華やかな逸話に彩られたシトロエンとは対照的な、どこかゲルマン的な真面目さが漂う理由がおのずとわかってくる。それだけでも、ソショーの町と博物館を訪ねる価値があるといえよう。

(文と写真=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA)

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[ガズ―編集部]