【技術革新の足跡】FCV――水素社会への道(2002年)

よくわかる 自動車歴史館 第60話

ハイブリッドで先行した日本メーカー

1997年にデビューした初代トヨタ・プリウス。
トヨタがプリウスに採用したハイブリッド機構の図。エンジンとモーター、発電機を動力分割機構によって制御することで、高効率な走りと高いブレーキエネルギー回生能力を得ていた。
2003年に登場した2代目プリウス。大ヒットを記録し、ハイブリッド車の地位を盤石なものにした。

「21世紀に間に合いました。」というキャッチコピーでプリウスが登場したのは、1997年である。世界初の量産型ハイブリッド車(HV・Hybrid Vehicle)で、当時としては驚異的な28.0km/リッター(10・15モード)という低燃費は、自動車業界を震撼(しんかん)させた。1999年にはホンダがインサイトを発売し、日本はハイブリッドカー技術で世界をリードする存在となった。

この状況に対し、欧米の自動車メーカーは冷ややかな態度を隠さなかった。内燃機関とモーターを組み合わせる複雑な機構は効率が悪く、主流とはならないとする声が多かった。また高速走行の多いヨーロッパでは高効率なディーゼルエンジンが有利だとされ、HVには関心が低かった。実際のところプリウスの販売台数はさほど伸びず、インサイトはさらに厳しい状況だった。

風向きが変わったのは、2代目プリウスが爆発的なヒットになってからである。アメリカでは環境意識の高いハリウッド俳優が競って購入し、ブランドイメージは急上昇した。今ではHVは特別な存在ではなくなり、懐疑的だった欧米メーカーもさまざまなモデルを発売している。

欧米メーカーがハイブリッドを“つなぎの技術”だとみなしたのは、本命といわれる次世代車が想定されていたからだ。それが、燃料電池車(FCV・Fuel Cell Vehicle)である。水素を燃料とし、走行中には一酸化炭素、炭化水素、窒素酸化物などの有害物質を排出しない。温暖化ガスの二酸化炭素さえもゼロで、“究極のエコカー”と呼ばれた。21世紀に入った頃からFCVへの期待はふくらみ、開発競争が激しくなった。2010年には量産化すると宣言するメーカーも現れた。

結果としては、FCVでも日本の自動車メーカーが先駆けることになった。2002年、ホンダがFCX、トヨタがFCHVを発表したのだ。

市販化を阻んだ技術的難問

ホンダの燃料電池車であるFCX。燃料電池スタックは車両中央部の床下、2つの水素タンクは車両後方に搭載された。
2002年12月に行われた、ロサンゼルス市庁におけるホンダFCX納車式の様子。
トヨタFCHV。中型SUVのクルーガーを燃料電池車としたものだった。
2010年12月に発売された日産リーフ。同車はEVとして初めて日本カー・オブ・ザ・イヤーに輝いたほか、同年の欧州カー・オブ・ザ・イヤー、ワールド・カー・オブ・ザ・イヤーにも選ばれている。

ホンダもトヨタもFCVは市販せず、官庁などへのリース販売に限定した。開発には莫大(ばくだい)な費用がかかっており、回収するために販売価格を設定することは不可能だった。日本では国土交通省や経済産業省、環境省などに貸し出され、アメリカのロサンゼルス市などでも使われることになった。1997年に京都議定書が採択されて以来、温暖化ガスの削減が強く求められるようになっており、FCVには行政からの関心も高かった。

次世代車として開発を早めようという機運は高まったが、市販化への道はなかなか見えてこなかった。克服しなければならない技術的難問が山積していたのである。燃料電池とは水素と酸素を化学反応させて電気を取り出す装置で、水の電気分解とちょうど逆のプロセスである。スタックと呼ばれるこの装置はまだ開発途上で、効率の向上と小型化が課題となっていた。当時はカナダのバラード社がトップを走っていて、ホンダが最初に採用したのはこの会社の製品だった。これに対し、トヨタは独自に開発したスタックを搭載しており、ホンダも2004年の改良版からは自社製のものを使うようになった。

燃料としての水素をどうやって車内に収めるかも、難しい課題だった。ガソリンのように、金属や樹脂で作ったタンクに入れることはできないのだ。水素分子は小さいので、わずかな隙間からも漏れてしまう。金属に吸着させたり、メタノール改質器を使ったり、さまざまな方法が試行錯誤されてきた。両社が採用したのは高圧タンク方式だったが、圧力は350気圧ほどで十分な量を確保できなかった。航続距離は、FCXが355km、FCHVが330kmと、物足りないものだった。

水素は、流通段階でも扱うのが難しい。漏れやすいのは同じであり、高圧での保存が求められる。水素ステーションの建設には、ガソリンスタンドよりもはるかに大きな費用が必要だ。また、水素は自然界には単独ではほとんど存在せず、燃料として使うには何らかの方法で製造しなければならない。水を電気分解して作るのが理想だが、採算を考えれば現段階では不可能だ。石油や石炭を改質して水素を取り出す方法では、完全にクリーンとはいえなくなる。ガソリンに対抗できるコストで、しかも環境面でアドバンテージを得るのは簡単なことではない。

そして、新たなライバルも出現した。電気自動車(EV・Electric Vehicle)である。2009年に三菱がi-MiEVを発売し、2010年には日産がリーフで続いた。アメリカのテスラモーターズは、それより早い2008年にスポーツカーのロードスターを発売している。EV自体はガソリンエンジン車よりも歴史が古いが、電池の性能が向上したことにより、エコカーの有力な選択肢となったのである。

高まる水素エネルギーへの注目

ホンダFCXクラリティ。従来モデルのFCX同様、官公庁や民間企業へのリース販売のみが行われた。
PHEVとはブレーキエネルギーの回生だけでなく、外部からのバッテリーへの充電も可能なハイブリッド車、もしくは発電や走行の補助を行うエンジンを搭載した電気自動車のこと。写真は三菱アウトランダーPHEV。
トヨタとBMWは、2013年1月に自動車の共同技術開発に関する正式契約を締結。その中には、燃料電池車の研究開発も含まれていた。
トヨタは2014年11月に、燃料電池車「ミライ」の販売を開始した。

EVが脚光を浴びたことにより、FCVは後景に退いた形となった。それでも、地道な開発が着々と進められていた。トヨタが2007年に発表した改良版のFCHV-advは、水素タンクの圧力を2倍の700気圧にし、航続距離を830km(10・15モード)に伸ばしていた。ホンダが2008年からリース販売を開始したのは、FCXの後継車となるFCXクラリティである。スポーティーな専用ボディーをまとい、最高速度は160km/h、航続距離は620km(10・15モード)となった。

一方、期待されたEVも普及は遅々として進まなかった。ネックとなったのは、価格と航続距離である。高価な電池を大量に積まなければならず、軽自動車をベースとしたi-MiEVでも当初の価格は450万円を超えた。国の補助金を適用しても、負担額は300万円以上である。航続距離は最大で120kmとされたが、ヒーターを使うと80kmまで落ちる。電池切れの危険を考えると、せいぜい50〜60kmほどが実用的な移動範囲だった。

充電は夜間に自宅で行うのが基本だが、非常の際に急速充電器を使うと、80%まで回復するのに30分を要する。使い勝手の悪さが、EVの購入をためらわせた。結局、エコカーとして最も普及したのは、車種の選択肢の広いHVだった。ただ、初代プリウスと比べると飛躍的に燃費が向上してはいるものの、ガソリンを使って走るのだから究極のエコカーとはいえない。EVとHVを組み合わせたプラグインハイブリッドカー(PHEV・Plug-in Hybrid Electric Vehicle)も発売されたが、やはり電池を多く積まなくてはならないため、価格面では競争力を持つに至っていない。

次世代車の方向性が定まらない中、FCVをめぐって新たな展開が生まれる。2011年、トヨタ、ホンダ、日産とエネルギー企業10社が、水素ステーション100カ所の先行整備をうたった共同声明を発表した。2013年には、トヨタとBMW、日産とダイムラー、フォードがそれぞれに燃料電池システムで提携することが明らかとなる。日本では2014年4月に閣議決定されたエネルギー基本計画に、「水素社会の実現」という文言が盛り込まれた。

燃料電池はガソリンエンジンに代わる動力源というだけにとどまらず、エネルギーの根本的な転換という意味を持っている。アイスランドでは、国全体で石油に頼らないエネルギー構造を実現するための試みが行われており、FCVに加えて燃料電池バス、燃料電池船を運行し、水素ステーションの建設を進めている。2050年には水素社会を実現するという壮大な計画だ。日本と同じく資源を持たないアイスランドにとって、石油依存からの脱却は悲願なのだ。

先進諸国では2020〜25年までに自動車1台当たりのCO2排出量を約100g/kmに抑えることを義務付けることが決まっており、環境対策車の開発は急務となっている。ただ、次世代車にはまだ不確定要素が多く、テスラモーターズCEOのイーロン・マスクも「FCVが自動車産業が進むべき正しい道だとは思わない」と発言している。その中で、日本は水素社会へと大きくかじを切った。国会の水素議連のメンバーは100人を超え、経済産業省は「水素・燃料電池戦略ロードマップ」を策定した。2020年の東京オリンピックは水素社会をアピールする絶好の機会ととらえられ、舛添要一東京都知事は「競技施設、選手村ではガソリン車を排除する」と発言した。

2015年が水素元年になると目される中、トヨタは一足早く2014年11月18日に量産FCVのミライを発売した。リースではなく、一般ユーザーも購入することができる。ホンダは2015年度、日産は2017年にFCVを発売する計画だ。2020年には、大手自動車メーカーのFCVが出そろうことになるといわれている。エネルギー革命が、見えないところで静かに進んでいるのかもしれない。

2002年の出来事

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トヨタがF1参戦

ホンダが初めてF1に挑戦したのは、1964年である。デビュー翌年には初勝利を飾り、高回転高出力のホンダパワーを世界に知らしめた。1968年に活動を休止するが、1983年にエンジンサプライヤーとして復帰する。マクラーレンと組んだ1988年には16戦中15勝という驚異的な成績を上げた。

トヨタは世界ラリー選手権やルマン24時間レースで好成績を残していたが、F1とは縁がなかった。何度かエンジンを供給するといううわさが流れたが、実現することはなかった。初めて参戦したのは、2002年である。エンジンだけでなくシャシーも設計し、フルコンストラクターとして臨んだ。

開幕戦のオーストラリアGPで6位入賞を果たして期待が高まったが、その後リタイアする場面も多く、コンストラクターズランキングでは10位に終わった。2005年シーズンにはヤルノ・トゥルーリとラルフ・シューマッハーを擁し、ランキング4位にまで浮上した。2007年から2年間は、トヨタ傘下となっていた富士スピードウェイで日本GPが行われている。

2008年からは、日本人ドライバーの小林可夢偉が新たに起用される。彼は2009年の最終戦アブダビGPで6位入賞を果たし、翌シーズンへの期待が高まった。しかし、トヨタはこの年でF1から撤退してしまう。再度復帰していたホンダがリーマン・ショックによる状況悪化を理由に2008年シーズンで活動休止しており、トヨタも苦渋の決断を迫られた。

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スポーティーカーが続々と販売終了

日産スカイラインGT-R

自動車排出ガス規制は、1975年にマスキー法に準ずる基準が定められてから、段階的に厳しさを増していった。2000年には平成12年度規制が実施され、昭和53年度規制からさらに強化された。

2005年からは新長期規制と呼ばれる平成17年規制が実施されることになっており、試験モードが変わってクリアすることがさらに困難になることが明らかだった。これを受け、規制対応を諦めて撤退するモデルが続出した。

トヨタ・スープラ、日産スカイラインGT-R、日産シルビア、マツダRX-7などである。規制に対応するにはパフォーマンスがダウンすることは避けられず、また多額の費用がかかる。スポーティーカーが売り上げを落としている中、販売を継続する選択肢はなかった。

2003年にはマツダRX-8が発売されたが、RX-7の後継車ではなく新規の車種とされる。日産が2007年に発売したGT-Rは、スカイラインの名の付かない固有の車種である。

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日韓ワールドカップ開催

FIFAワールドカップが始まったのは、1930年。開催国はウルグアイで、同国が初の栄冠を勝ち取った。2回目は4年後で、イタリアで開かれている。当時は南米とヨーロッパの力が突出していて、両地域で交互に開催されることになっていた。

日本が初めて参加したのは、1954年のスイス大会である。本大会出場への道は遠く、予選敗退を繰り返した。1994年のアメリカ大会ではハンス・オフト監督のもとで勝ち進んだが、いわゆるドーハの悲劇でアメリカ行きの切符を逃した。

1998年のフランス大会で初めて本大会を経験し、2002年の日韓共同開催のワールドカップを迎えた。ヨーロッパとアメリカ大陸以外で開催されるのは、初めてのことである。

日本は予選リーグでグループHに入り、ベルギーとは引き分けたものの、ロシアとチュニジアに勝利して決勝トーナメントに進出した。日本代表はその後3回連続して本大会に出場しているが、ベスト16の壁を突破できていない。

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[ガズ―編集部]

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