わたしの自動車史(前編) ― 吉田由美 ―

吉田 由美(プロフィール)自動車専門誌をはじめ、一般誌や女性誌、テレビ、ラジオ、インターネット媒体などで活躍する「カーライフエッセイスト」。短大時代にモデルとして自動車雑誌やレース番組に出演し、その後、国内メーカーでのドライビングインストラクターを経て執筆活動をスタート。クルマにまつわるさまざまな物事を、独自の視点で紹介している。
360cc時代の軽乗用車であるダイハツ・フェローマックス。1970年にフェローの後継モデルとして登場した。
初代トヨタ・ソアラ。トヨタが初めて手がけた3ナンバー枠の高級スペシャリティーカーだった。
ゼネラルモーターズのスペシャリティーカーであるポンティアック・ファイヤーバード。写真は1970年に登場した2代目の後期モデル。

今でこそ、どっぷりとクルマ生活を送っている私ですが、意外とクルマデビューは遅く、24歳の時でした。というのも私は、今でも体調不良の時などにサーキットやワインディングロードを走ると、自分の運転でも乗り物酔いをしてしまうほど乗り物酔いの激しい人。子供の頃はそれがさらに激しく、クルマだけではなく、乗り物全般が苦手でした。なので、乗り物に乗ることはある意味、拷問(笑)。そのため、昔はクルマにはそれほど興味がなく、高校の頃も誕生日の早い同級生たちが普通自動車免許を取りに教習所に通ったり、クルマの話をしたりしていても、誕生日が遅い私は、実はまったくクルマにも免許にも興味がありませんでした。

そんな私の、クルマ関係で最も古い記憶は、幼稚園に入るか入らないかぐらいの頃、当時、一緒に住んでいた母方の祖父母たちに、よく温泉に連れて行ってもらっていました。当時は盛岡に住んでいて、祖父母たちは年に何度か玉川温泉に湯治に行くのです。もちろんどんなクルマに乗っていたかまでの記憶はありませんが、嫌な記憶としては残っていないので、当時はまだ乗り物酔いはしていなかったと思います。
乗り物酔いの記憶があるのは、小学生ぐらいから。遠足の時などにバスに乗ることがうれしいことではなく、むしろつらいことのひとつでした。わが家では父しか自動車免許を持っておらず、クルマも父が通勤で使う1台だけ。しかも父は映画会社の劇場勤務だったため、普通の会社員の方よりは出勤が遅く、帰宅も遅めでした。さらにお休みになると「マンガまつり」などが上演されて忙しくなるため、私の記憶ではかなり小さい頃を除けばほぼ「母子家庭」状態。わが家のメインの交通機関は、基本的に自転車かあるいは公共交通機関でした。当時父は「ダイハツ・フェローマックス」というクルマに乗っていましたが、「トットットコトコ」という父のクルマのエンジン音だけは聞き分けることができました。ちなみに、父のクルマで私が覚えているのはこのクルマのみです。

そんな、父のクルマ以外のクルマの記憶というか、今の私に少しつながる出来事と思われるのが、小学校3年生ぐらいの頃の「スーパーカーブーム」。弟と争うように当時は車種を見分けていました。その頃、盛岡にもスーパーカーのキャラバン隊がやってきて、それを母と弟と3人で見に行きました。しかも、そのためにポケットカメラを買ってもらい、ちょっと大人になった気分でした。

小学5年生の時に、父が栃木県足利市に転勤することになり、家族で足利へ。その時、住んだ家の前が賃貸の駐車場でしたが、そこにボンネットに火の鳥が描かれているポンティアック・ファイヤーバードが止まっていて、いつも「どんな人が乗っているんだろう?」と思って眺めていました。結局、オーナーさんの姿は一度も目撃しなかったような……。その家は3年ぐらいで引っ越してしまい、私のクルマとのつながりも、その後、ほぼ途切れてしまうことになります。

高校生になり、私は女子高に通っていましたが、他校の男子の先輩たちに誘われて、「トヨタ・ソアラ」や「日産シルビア」「日産セドリック/グロリア」といった当時流行のクルマに乗る機会が増えました。しかし、実はその時でもまだまだ私の乗り物酔いのトラウマは消えず……ほかの同級生たちがどんなクルマに乗せてもらったかを自慢しあう中でも、残念ながら私はクルマに興味を持つことはありませんでした。

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[ガズ―編集部]